【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年6月4日(日)放送の<DJ日本史>は、シリーズ企画「家康の家臣団」第3弾。徳川家康がとりわけ厚く信頼した腹心中の腹心、本多正信(ほんだまさのぶ)・正純(まさずみ)親子の実像に迫りました。

本多親子のような「帰り新参」が幅をきかせ始めるとよく思わないのが、古参の家臣たち。中でも、その筆頭格である大久保忠隣(ただちか)と本多親子の間で激しい対立が起きました。
その混乱を乗り越えていく中で、徳川幕府は新しいステージへ進んでいくことになります。
本多親子の存在が後の政治にもたらしたものとは?


本多親子と大久保忠隣との対立が激しくなってくると、次々に出てきたことがあります。それは、スキャンダル。
今なお真相がはっきりしないことも多いのですが、本多と大久保の双方から、出るわ出るわ。

まず、1612年に発覚したのが本多家に関わるスキャンダル、岡本大八(だいはち)事件でした。
岡本大八とは本多正純の家臣の名前ですが、その岡本は本多家の威光をかさに着て九州の大名にウソの恩賞話をちらつかせ、賄賂をだましとっていました。
その結果、岡本大八は火あぶりの刑に処せられ、本多家はピンチ!

ところが、ほとぼりさめやらぬその翌年、今度は大久保家を揺るがす大スキャンダルが発覚します。大久保長安(ながやす)事件です。
長安は、大久保忠隣が目をかけて「大久保」の苗字まで与えるほどかわいがった人物で、金山銀山の管理を任された実力者でした。その長安が死んだ後になって、実は多額の金を横領していたと糾弾されたのです。
同じ年、さらにもう1つ、大久保忠隣を追い込む事件が発生。なんと、大久保忠隣が豊臣家と内通し謀反をたくらんでいる、という直訴までありました。
ここに至って大久保忠隣は改易。一門も排除されていきました。

一方、本多家はその後、石高15万石以上へと大幅加増。息子の正純は頭脳明せきで、世はまさに本多の時代。
ところが、長くは続きませんでした。
駿府の家康に仕え、その威光を背景に強い態度を示すこともあった本多正純に対し、二代将軍徳川秀忠の側近たちは猛反発。家康が死んだ後には、本多正純も改易されてしまったのです。

こうして従来の勢力が表舞台から去るや、徳川政権は新たなステージを迎えました。
本多正純を改易した翌年、秀忠は将軍職を3代目家光に譲って隠居。歴史の歯車は、一気に動き出すことになったのです。

DJ日本史「家康の家臣団 第3弾」①