【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん
2022年10月16日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「あっぱれ!律儀な武将たち」。
戦国の世といえば、人と交わした約束などなんのその、裏切りだってあたりまえ。そんな時代に誠実で義理堅い態度を崩さなかった律儀な武将の生きざまとは?
ご紹介するのは、徳川家康の三河時代から仕えた武将、高力清長(こうりききよなが)。
年齢は家康より12歳年上で、家康からとても信頼された人物でした。
三河武士というと気骨ある荒くれ者、というイメージがありますが、そんな中で高力清長は律儀で誠実。
しかもその律儀っぷり、並外れていました。その行いとは?
若き日の徳川家康が一向宗の門徒と戦った、いわゆる「三河一向一揆」でのこと。
高力清長は家康の下で奮戦、そしてついに一揆の軍を平定。
この後、高力のとった行いが、評判になります。
戦場となった一向宗の寺は見るも無残。仏像は壊され、経典はあちこちに打ち捨てられていました。
これを見た高力、驚きの行動に出ます。
散乱していた経典を一つ一つ拾い集め、持ち主に返却。
さらに、壊れた仏像を補修。どんな時でも神仏を敬う姿勢を崩しませんでした。
そんな高力清長、後に三河を治める奉行の一人に任じられますが、このときも高力らしい律儀な態度で領民に向き合います。
たとえば、農作物の出来が悪く農民が年貢を下げてほしいと願い出てきたときのこと。
他の奉行が「不届き千万、首を切れ!」と突き返すのを高力はとりなし、こう言います。
「さもあろう。お上の慈悲を賜るよう、取り計らってみよう」
こうしてどんな相手にも、律儀に誠実に向き合った高力清長。
人から「仏高力(ほとけこうりき)」と呼ばれ、慕われ続けました。