【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2020年11月1日(日)放送の<DJ日本史>のテーマは「歴史を変えた感染症」。太古の昔から人々を苦しめてきた感染症は、時代をどう動かしたのでしょうか?

感染症が天下の命運を決めてしまった、という戦国時代の例をご紹介しましょう。
実は感染症の流行が、豊臣家の滅亡に深く関係していると言われています。

豊臣秀吉は裸一貫から成りあがって天下人になりますが、1598年に亡くなり、その17年後の1615年に豊臣家は徳川家康によって大坂夏の陣で滅ぼされてしまいます。
そのきっかけの1つとなったのが、梅毒という感染症でした。

梅毒は性的な接触などで感染し、病状が進むと皮膚や筋肉などに腫瘍が出来ていく病気。
この梅毒はヨーロッパの大航海時代に世界中に広まりますが、日本では16世紀の終わり、秀吉による朝鮮出兵がきっかけとなって感染拡大が起きたと言われています。

そんな梅毒が豊臣家を滅亡させる一因になったとは一体、どういうことなのでしょうか?


関ヶ原の戦いに勝利し、征夷大将軍になった徳川家康。
このころの家康は、決して豊臣家に強い態度をとっていたわけではありません。
むしろ、孫娘の千姫を豊臣秀頼に嫁がせるなど、豊臣家にかなり気をつかった対応をしています。

こうした両家の協調関係を確認するために行われたのが、1611年の家康と秀頼の二条城での会談。
この時の家康と秀頼は、とても友好的だったと言われています。
家康としては、まだまだ大きな力を持っていた豊臣恩顧の大名の勢力を無視するわけにはいかなかったんですね。

ところが、です。
この後、わずかの間に、両家の力関係があっという間に大きく崩れてしまうのです。
原因は、梅毒。
豊臣家への忠誠心が厚い武将が次々に梅毒に感染し、この世を去っていくのです。

二条城での会見のわずか3か月後にはあの加藤清正が亡くなりますが、死因は梅毒と言われています。
2年後には浅野幸長(よしなが)も命を落としました。
また、家康の実の息子ながら豊臣家の養子になり、両家の間を取り持つ立場にあった結城秀康も亡くなりました。
さらに、豊臣家が頼りとする大大名、前田利長も梅毒で死去。

こうした状況を見て、家康は方針を転換。
豊臣家を攻め滅ぼす方向へ舵を切っていくのです。

ちなみに家康の方は、梅毒をかなり用心していました。自分で薬を調合するなど、健康に人一倍気をつかっていました。
また家臣に対しては、感染源とされていた遊女との接触を禁じていました。

感染症に対してどう向き合うか。
その違いが、徳川家と豊臣家の運命を分けることになったのかもしれませんね。

松村邦洋・堀口茉純 「豊臣家滅亡」について語る!
※下記の再生ボタンからお聞きいただけます(2021年2月2日まで)。

DJ日本史「歴史を変えた感染症」③