ピーター・バラカン

無数にある
音楽との、
出会いの場。

ーーラジオとの出会い、特にFMラジオとの出会い。今回FM、日本のFMが50年なんですけどもね。あのバラカンさんにとってのラジオとの出会いっていう辺りを。いつぐらいで、どんな形でした?

ピーター・バラカン:
僕のラジオとの出会いは1950年代ですから、FM放送のまだ無かった時代で、当時は真空管ラジオで、ま、AMを所謂中波、ミディアム・ウェイブって呼んでいた時代ですけど、それで、当時のイギリスではBBCだけの放送でしたね。えーっとね、波は3つありました。ホームサービスというニュース中心のもの、ライトプログラムという、まぁNHK的な言い方をすれば軽音楽のチャンネル。それからサードプログラムというクラシック中心の波があったんです。

ーー印象に残ってる、それで知った曲、それで知ったコメディアンていうと、ご記憶は?

ピーター・バラカン:
日本でどれくらい知られてるか分かりませんけれど、あの、イギリスでは物凄く人気があった番組でグーン・ショウっていうのは50年代の始めぐらいからありました。

ーーグーン・ショウ。

ピーター・バラカン:
グーン・ショウっていうのは、これはスパイク・ミリガン、ピーター・セラーズ、ハリー・シーカムっていう3人のコメディアンが中心のものでしてね。それが後の、イギリスの、まぁ、モンティ・パイソンのような黄金時代を作ったコメディアン達に影響を与えた、前の世代の人たちですね。あれ、大変人気がありましたね。あとね、ラウンド・ザ・ホーンっていう馬鹿馬鹿しいコメディーの番組が、確か日曜のお昼にやってたと思いますけど。そういうものなんかも聴いていましたね。
音楽はもちろん聴いてましたよ。えーと・・小学校の3年生ぐらいですかね、の頃から子供向けではあるけれど、そういうリクエスト番組の中で時々ロックンロールの曲がかかったりもしましたし、61、2年ぐらいになるとね、日曜日の夕方に放送されていたトップ20のカウントダウン番組っていうのもあって、これはビートルズがデビューするちょっと前くらいから、もう毎週毎週必ず聴いてましたね。

あと、60年代半ばに、有名な海賊ラジオがあったんですね。
これはAMなんですけど、イギリスの海岸から三マイル以上離れたところは国際会議になるので、
そこに船を停泊させて、アンテナを上げて、そこから違法かどうかは微妙なところなのですが、
国際法では、、、その国際会議にいるから違法行為ではありませんけど、結局イギリス政府が
電波を管理したいので、法律を改正して潰したんですね。
ですから海賊放送の最盛期、63年から67年くらいの時期になりますと、その間に
ポピュラー音楽がものすごく、ビートルズの人気とともに大きく膨れ上がったものなので
それが、海賊放送が拍車をかけてみんなの耳に届けたものでしたね。
  
当時BBCはミュージシャンの組合との関係で、1日にレコードをかけて良い時間がすごく制限されていました。で、そういうものですからね、あの・・うーんと、1日にどれぐらいかかった?1日に多分ね、2時間とか3時間とか、そのぐらいしかレコードをかけられない。要するに、レコードばかりかけていると、ミュージシャンが生で演奏する機会が奪われるからという事で、えー、そのとても力を持っていたミュージシャンの組合が、そういう規制をしいていたわけです。で、海賊放送となるとイギリス国内では無いので、同じような規制を全く関係なく1日中ずーっと、僕らが聴きたいようなレコードを次々とかけるわけですね。当然若者に絶大な人気を誇っていたわけです。

ーー日本のFMっていうのは来日した時点で立ち上がっていて、それの接点っていうのはリスナーとしてありました?

ピーター・バラカン:
そうですね。毎週確実にこの番組を聴くっていうよりも、色んな時にラジオのスイッチを入れれば、まぁ当時の70年代の東京では、NHKとFM東京の2つしかなかったんですけど。それを聴いたり、或いは、AMのFEN聴いたり、色々してましたね。或いは民放のAMを聴くこともあったんですけど。

ーー何か日本のラジオ状況について、イギリスと比べて「こういうもんか」って思った事とか、感じた事とか?

ピーター・バラカン:
F・・特にFMでは当時生放送はほとんどなかったんです。えぇ、特に僕がラジオに出演するようになって、ちょっと違和感があったのは、全ての番組が収録なんですね、基本的に。で、当時FM雑誌が複数あったし、大変売れていた時代でもあるんです。で、そのFM雑誌に番組のリスティングが、ほぼ完璧に載ってるわけですね。で、FM雑誌は2週間に1度出てて、その締切が更に2週間前なものですから、どのラジオ番組も1カ月前に作られてる事を知ったわけです。で、日本のラジオ番組、特に音楽番組は新鮮味が今一つ無いという風に感じていたんですけど、それが理由だという事が分かったんですね。で、80年代の後半ぐらいですかね。86年ぐらいから、ここのNHK FMで僕が番組をやるようになったんですけど、僕の番組のプレイリストだけを、そういう風にタイムリーに雑誌に載せる事を拒否したんです。もっとやっぱり新鮮な選曲をしたいから、僕のプレイリストは事後掲載っていう、そういう風にしてもらった。もらいました。

ーーリスナーに対して何て言うか、語りかけるとか、そういう情報を提供するという面ではどういう事をお考えになって・・

ピーター・バラカン:
そうですね、あの、僕はいつも自分が一番影響を受けたというか、関心・・えっと感銘を受けたラジオ番組が学生時代にBBCのローカルの、ロンドンだけのBBCの局があるんですね。そこで放送されていた日曜日のお昼の番組で、チャーリー・ギレットという人がやってた、ホンキートンクっていう番組があったんですよ。で、その番組を聴いて僕は初めて、自分と同じレベルで話してくれるラジオの出演者に会えたんですね。普通の喋り方をするんです。要するに、DJ然とした、放送だからこういう話し方じゃなくて、普通の話し方をするんです。で、すごくそれが良くてね。僕はそういう形のDJが可能だったら僕もやってみたいなって、初めて真剣に思ったものだったんですね。で、まぁ実際に僕がラジオに出られるようになったのは、もっともっと後なんですけど、最初から、やっぱりその同じように普通の話し方で語りかける事を目指したんです。ただ、当時の日本ではね、「あんたの声が小さい。話し方が暗い」っていう風にディレクターに何度言われたことか(笑)。

ーーあ~、そうですか。

ピーター・バラカン:
あの、これで通すことができるには何年経ったんだろう、結構かかりましたね。

ーー多様なバラエティーのあるプロファイルの中からバラカンさんにとってのラジオはっていうと、どういったポイントですかねぇ?

ピーター・バラカン:
出会いの場だと思ってます。音楽は無数にあります。それも、ここ3、40年ぐらいになってから、ものすごいジャンルも増えてるし、市場に出てくる音源は、今、ま、インターネットにいきなり配信されたりするものが、ものすごくあるんですね。で、その中に、ま、人それぞれ面白いと感じるものは様々だと思うけれど、出会う機会はね、意外に少ないと思うんですよ。それで、ラジオっていうのはお金はかからない。自分が探さなくても良い。スイッチを入れれば電波に乗って流れてくる音楽が色々あって、その中から「あ、これ良いなぁ」と思ったら、そのアーティストのファンになるっていう事は僕も昔たくさんあったし、いつの時代でもそういうことがあると思います。ですからね、やっぱりラジオという媒体は今も出会いの場として一番重宝されて当たり前だと思います。