西寺郷太(NONA REEVES)

マニアックな
ともだちや、
先輩がそこにいる。

ーーラジオを最初に聞き始めた頃の思い出って何かありますか。

西寺郷太:
僕は今45歳なんですが、ちょうど小学校高学年の頃に「FMブーム」で。雑誌で言えば、FMファンとかFMステーションとか毎号買っては、超エアチェックしてたんですよ。ちょうどアナログLPから、CDになるギリギリの世代で、まだLPが全盛だったんですけど。小学4年生でマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」に衝撃を受けて、洋楽を好きになったんですけど、なかなかレコードを買うのが大変で。当時はラジオ雑誌の番組表にどんな曲が選曲されるのか、結構載ってたんですよね。だから待ち構えてラジカセで準備してました。僕も、ラジオはずーっと長年やってて喋りまくってあれなんですけど、当時はイントロで喋るDJがあんまり好きじゃなくて(笑)。というのはそのイントロからびっちりアウトロまできちんとカセットに録りたかったんですよ。

ーーラジオを通して出会った曲とか、何か思い出とかありますか。

西寺郷太:
いっぱいありますね。特に、と言われて真っ先に思い出すのは、ジョン・レノンの「ウーマン」ですかね。ジョン・レノンは、僕が小学校1年生の冬に亡くなったんですけど。その2年後だったかな?家族全員で食卓を囲んで、朝ごはんを食べながら聴いていたFMで、女性DJが「私もこんな風に男性に愛されてみたいものです」って言って、ジョン・レノンの「ウーマン」を選曲したんです。

僕が小1の冬、日本時間で言えば1980年12月9日の昼間にジョンの訃報が日本に届きました。その日の夕方、僕が放課後グランドで遊んでたら若い女の先生が職員室から走って来て、子供達と一緒に遊んで見守っていた先生に「ジョン・レノンが殺された」って言って泣きながら叫んで来て。そこにいた大人たち、先生たちが全員号泣したんです。え?って。ジョン・レノンって凄い人が死んだら、大人がこんな風に泣くんだって。で、その夕方、帰り道に、小1だったんですけど、ジョン・レノンが誰だかなんてさっぱり分かってないんですけど「今日!ジョン・レノンが!死んだー!」ってでっかい声で叫んだんですよ。受け止めきれなかったんでしょうね。それをすっごい覚えてて。

で、そこから2年後のある日、FMで朝ラジオを聴いてたら、女性DJが「ジョン・レノン『ウーマン』、聴いてください」って言ったんで、驚いたわけです。え?ジョン・レノンってあのジョン・レノン?今日ジョン・レノンが死んだ!のジョン・レノンかって。で、「ウーマン」が始まってみると、すんごい優しい歌で歌声で、あっ、あの時に先生が泣いてたジョン・レノンって、このジョン・レノンなんだと思ったのは、もう忘れないですね。

だから自分がいつもラジオで曲を掛ける時、20年以上こういう仕事をやってきてるんですけど、もしかしてその1曲選んだことで、小3の時の僕みたいに、例えば、ああマイケル・ジャクソンってこの人かとか。例えばですけどね。ラジオにはそういうチャンスが、一期一会のタイミングであるなって思ってて。

ーー番組を通してマイケル・ジャクソンの、どう言う所を伝えていきたいとか 初めて聞く人達にどう言うのを聞いて貰いたいなみたいなのってあります?

西寺郷太:
僕自身もちろんマイケルが大好きなんですけど、彼は10代でデビューして、50歳で亡くなってるんですね。10代でデビューしてから20代30代、40代前半位まで、時代時代で音楽的に一番優れてるアーティスト、プロデューサー、ミュージシャンとコラボレーションしたり、曲を作ったりしてきた人なんですよ。マイケルの音楽を語ろうとした時に 例えば初期で言えば、モータウン・レーベルの先輩スティービー・ワンダー、ダイアナ・ロスは欠かせません。マドンナだってプリンスだって同年生まれのライバル。で、後期ならプロデューサーのテディー・ライリーを始め、一緒に曲を作ったり刺激を与えあったパートナーやライバル、先輩や後輩の話をしていくと、ポップ・ミュージックの歴史、音楽の歴史がめっちゃ見えてくると思うんですよ。

今だったら例えばブルーノ・マーズ。ジャスティン・ビーバーやザ・ウィークエンドにしても、マイケル・ジャクソンの影響を受けてない人は基本的にいないと思うんで。レディ・ガガにしてもね。マイケルが亡くなり、本来の意味で現役としてシーンに存在しなくなってから10年経ってはいますけど、その間にもマイケルが残した影響は、ドレイクなんかも正に今マイケルと一緒に曲を出してたりするので。

そう思うと色んな世代の人にマイケル・ジャクソンという人を主人公にして音楽の歴史を体感するのは意義があることじゃないかな?と。今回基本的に2018年、夏の特集が大好評だったということで「マイケル」を中心に1年間やるっていう企画をスタッフに通してもらえました。ただ、ひとりマイケルのみを追いかけるだけでなく、音楽的な文化の歴史、変遷全体を、マイケルを通じて喋れるといいなって思ってますね。

ーー今若い人達が結構聴いてる曲にもマイケル・ジャクソンの流れがあったりとか、繋がってるよみたいな事が。

西寺郷太:
まさにブルーノ・マーズなんかはそういう人ですしね。マイケルや、エルヴィス・プレスリー。もうホントに、彼を例に挙げるまでもなく、ほぼ全てって言っていいんじゃないですかね。ダンサブルな音楽を追求し、実践する人で、好きか嫌いかとかは置いといて、マイケル・ジャクソンという人が残したそのフォーマット、例えばプロモーションビデオなど何ひとつ影響を受けてないと主張する人はいないと思うんでね。

ーー最後自分にとってラジオとは何々だっていう、一言でまとめられる事は。

西寺郷太:
友人みたいなもんじゃないですかねえ。ほっといてくれる時はほっといてくれるし。僕は実際自分がラジオで話す事も多いんですけど、小っちゃい頃は、特にマイケルとかプリンスでも何でもいいんですけど
好きな音楽について僕より詳しい人が周りにいないっていうことが孤独でしたね。自分より詳しい人に会いたいって。ラジオの中にいる人達、湯川れい子さん、ピーター・バラカン、渋谷陽一さん、自分よりも音楽に詳しい人が僕のそばで話しかけてきてくれるっていう体験は中々テレビとかではなかったんで、

だからやっぱり先輩であり友人でありって感じかなあ。今は自分が若い人にどちらかと言うと教える立場も多いので、自分もその役割をある程度果たさなければいけない年齢になったなあとは思いますけどね。

※一部、分かりやすくお伝えするために、要約している部分があります。