久保田利伸

中学の時、
ラジオのスイッチを入れて、
人生が変わった。

久保田利伸:
FM50周年、おめでとうございます。

ーー 一番記憶に古いラジオとの接触、いつぐらいにどんな場面でしたでしょうか?

久保田利伸:
小学校のとき、父親の聞いてるAM野球放送。これが厳密に言えば一番始めのものですけども、でも実際に、自分の部屋で何が楽しみだったかと言うと、中学1年生で、自分の部屋がもらえたと同時に、そこで自分の好きなラジオというものが聴ける。そこから、番組なり音楽なりが好きな時間に好き放題聴けるっていう。それなんですね、中学1年生の時に。で、その時に、静岡でFM静岡と、ノイズ混じりで入るAM日本放送。この2つを中学1年の春から、ずっと聴きましたね。そこからずっとですね。

とにかく自分の空間、自分の時間。「好きなもの」を存分に楽しめるっていう。でも僕にとって一番大きいのは、部屋をもらって自由に勉強できるんじゃなくて、部屋をもらって、本当に、本当に嘘じゃなくってラジオなんですよ、僕。本当にそうなんですよ。ずっと聴いてました。部屋に、ドアを開けてやる事ってラジオのスイッチを入れる事なんですね。で、寝るまで聴くものですから。もちろんあの、勉強の集中の妨げになるような面白すぎるトークとかっていうのは我慢しなきゃいけませんけども、それ以外はずっとスイッチを入れっぱなし。自分の部屋にいると入れっぱなしですね。

「ヤングジョッキー」を聴いて、それで同じぐらいの時間に他の方もやるような事もあったので、そういうものを聴いて。でも一番好きだったのが、あの、好きというか・・楽しみでしたねぇ。で、僕は中学に入った時に、ラジオのスイッチを入れて、今まで自分が知らなかった洋楽に触れるわけですけども。洋楽に触れると黒人の人の歌うソウルミュージックっていうものをちゃんと聴けるのと同時に、洋楽全部が好きだったので、渋谷さんもよく聴きました。渋谷さんは、ロックの伝道師で、番組の1曲目からすぐに「ガァーン」ってディストーションの音楽をかけるんですけども、それもが楽しくって。学校に翌日行って、洋楽好きのやつと話す為にそれを聴いといて、みたいな。

ーー機械としてはどんなラジオだったんですか?

久保田利伸:
良いこと聞きましたね~。それはですね、一番始めは近所のお兄さんからもらった古いちっちゃなスピーカー付きのステレオ。もうユニットになってる。

えっと、多分この上か下にチューナー、ラジオの選局、ラジオが組み込まれてて、で、両サイドにスピーカー。全部の大きさでいけば、60センチ以内、80センチ以内のものでしたけども、それをもらったんですね。学校の先生をしてた気がする、そのお兄ちゃんが。で、すっごく洋楽好きで、「利伸君、音楽好きなんだってな」って言って、「俺もういらないから」ってくれたものに、ラジオのチューナーがついていて、そこに同時にラジオで「わ、この曲、この・・この歌何なんだろう。このファルセットで歌う歌は何なんだろう。ファルセットで、裏声で歌う何なんだろう」って言って。

それでなんとか探して、例えば、その、音楽好きでありましたから、ステレオくれた音楽好きなお兄ちゃんに聞いて、「それはね、スタイリスティックスって言うんだよ」って言って、スタイリスティックスを持ってたりして、そのレコードを借りて来て同じターンテーブルでかけたりとかっていう事。で、ラジオで曲を見つけて、で、本当のネタを、ものを探してそこでかけるっていう。で、のちに1、2年ぐらいすると、どうしても道を歩いてると、電気屋さんの前を通ると必ず欲しいものがあるんですよ。「あのラジカセが欲しい。あれが欲しい」って思って、ある時お年玉で自分のものを買いましたからね、ラジカセを。カセットテープの付いてる。

ーー自分が今度放送に回った時に何か、どう楽しんでもらいたいとかっていうのはありましたか?

久保田利伸:
あの、とにかくラジオで自分の番組がある。ラジオで話しているという事に関しては、むちゃくちゃ意識して緊張しますよね。というのは、やっぱり自分が、中学生の時からずーっと触れてきたもの。で、毎日一緒にあったものなんで聴く側じゃなくて出す側、送る側の席に座っているというのは過剰に意識しましたよね。だからもう、噛む噛む。喋れない。慣れてくれば、その内自分の言葉を疲れるようになりますけども、台本をきっちり用意してもらっても、噛む噛む。ただ、幸せなのは自分が好きな音楽、ほとんどを自分で選曲する音楽を何万人、ま、放送によって違いますけども、ものすごい沢山の人に同時に聴いてもらえるって「こんな幸せな事あんのかな」と。

僕が聴く側だった場合は、静岡のちいちゃな町でぽつんと一人聴いてましたけども、同じような事を全国でやっている。で、その人達に、俺の喋っている事と、自分の好きな音楽を聴かせちゃうって「なんて幸せな事してるんだろう」って思いましたね。ある意味、自分が歌ったりとか、自分が作った曲を歌ったりとか、そういう事もやっぱり、僕ら幸せですけども、なんか、自分が好きな人の曲、もしくは今僕が思う事みたいな事をそこで勝手にオンエアしたり喋ったりするっていう「これは何て自由な事だろう」って思いましたね。

ーーあと、自分の曲がアメリカでかかったっていう機会もあったと聞きましたが。

久保田利伸:
うーん。ニューヨークでなかなかかけてくれなくって、ただ僕ラジオっ子ですんでラジオでかかる、かからない。っていうか、アメリカのヒットはラジオからでしか無いので、今もずーっと。どんだけかけてくれるかって。で「ニューヨークでかけてくんねぇなぁ」って。でも、アメリカの町にちょっとしたキャンペーンみたいな形で行くじゃないですか?で、ある時南部のどっかで、アラバマか・・ちょっとわかんない、南部の車の中しか覚えてない。どっかのラジオ局に移動するっていう時だったか、帰る時だったか。移動する、その目的のラジオ局じゃない局から、曲が、僕の曲がかかったんですよ。幸せでしたねぇ。カーラジオですよね。カーラジオでかかって。この1曲、ラジオで1曲自分の曲をかけてもらうという事が「こんなに幸せなんだ」。

日本にいて、初めてきっと日本でね、かかった時というのは、きっと幸せなんでしょうけども色んな事が分かんないんで、あの、嬉しいも何も無いんです。あの、忙し過ぎちゃって、わけわかんないし、若いし。だけど、30過ぎてアメリカで、やっっと自分の曲がラジオでかかってるのを聴いたって時は、ありがたかったですね。なんかそれ以降は本当に、1曲かけてもらう事の、1回かけてもらう事の意味とか価値っていうのをすんごく意識するようになりましたね。感謝しますね、そういうのは。

ーー今、伺っただけでも、もーのすごい濃いお話で。あの、久保田さんのね、特にどういう言葉を選んだら良いかなって、悩んじゃいますよね。

久保田利伸:
あぁ、そうですよね。本当に僕の場合はね、本当に本当にラジオがあって、ラジオが・・ラジオ・・中学1年から結局ラジオマンですよね、僕はね。ラジオを聴いている。ラジオマンって言うとラジオを喋る人になっちゃうけども、もう中学の時から、そっからずーっと現在まで続いてるわけですよね。だから・・で、中学の時にあんだけ強烈に、えっと・・ラジオを聴く生活をしていなかったらば、僕は多分、歌を歌ってないですよ。歌を歌ってるとは思うけども、僕の音楽のスタイルは全然違うし、プロになってないかも知れない。

あそこで、ものすごくレベルの高い曲に出会って「大好きなものはこういう曲なんだ」っていうアーティスト達に出会っていったりとかってする。で、多分出会わなかったんですよ。もし、ラジオのスイッチを自分の部屋で入れなかったら。そしたらば今、本当に今の仕事をしてるかどうか分からないぐらいでかいんですよ、僕にとってラジオが。