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第327回 2017年6月5日

桜咲く、人で咲く 樹木医・和田博幸



桜の名所に、この男あり

長野県伊那市の高遠城址公園、東京都台東区の隅田公園など全国の70か所以上の桜の名所で、満開の花が咲くように陰で支えてきたのが樹木医・和田博幸だ。樹木医といっても木と向きあうだけではない。押し寄せる花見客と桜をどう共存させるか。数十年先まで桜をどう健康に保つか。和田は知恵をしぼって公園全体のプランニングを行っていく。人々が絶景を存分に楽しみながらも、木の周囲の土壌を守るための園路の配置。花の位置を人の目の高さにするか、見上げるようにするかまで気を配りながらの木のせんてい。桜の名所を作り上げ、守っていくための和田の心配りはじつに細かい。全国の自治体などが和田を頼り、そのプランを元に桜の名所が守られている。和田は、桜に関する高度な専門性を持つばかりでなく、限られた予算内でどう進めていくかまで真摯(しんし)に突き詰める。その姿勢が、全国の桜守から厚い信頼を集めている。

写真
写真日本三大桜名所のひとつ、高遠城址公園。和田はいま3か年計画で将来のプラン作りを進めている。


百年先を、思い描く

和田が人生をかけて向き合った桜がある。山梨県北杜市に立つ山高神代桜だ。一説に「樹齢二千年」とも語り継がれ、古くから地元の人々からあがめられてきた。しかし一時は樹勢が衰え、枯れてしまうことが危ぶまれた。16年前、復活に向けての調査と工事の施行管理などを託されたのが、和田だった。ほどなく見えてきたのは、人が「よかれ」と行ったことが、桜に大きなダメージを与えていたこと。桜を飾り立てるように囲んだ石積みは根を広げるための障害になり、巨大な幹を守るように設置した屋根は新しい根の水分補給をさまたげていた。復活させる唯一の術は、木の周囲の土をすべて入れ替えるという前代未聞の工事だけ。しかも復活の保証はない。和田は腹をくくって仕事に臨んだ。入れ替えた土の量は230トン、4年におよぶ大工事となった。
それから11年。山高神代桜は、ひと春ごとに花の数を増やしている。百年先まで大丈夫なように土作りをしたという和田。確実な復活に向けて、これから先も気が長い取り組みが続いていく。

写真山高神代桜。大正11年、桜として日本で最初に国の天然記念物に指定された。


人と桜を、つなぐ

大学で化学を専攻した和田は、製薬か食品関係への就職を考えていた。桜を専門とする樹木医の道に進むことになったのは、まったくの偶然。草むしりのアルバイトがきっかけだった。和田は「草むしりはとても奥深い」という。取り除く草と残す草をより分けて、丁寧に作業を続けていくうちに、山野草が咲き誇る美しい庭が出来上がる。そんな和田の仕事ぶりが目にとまり、桜の名所づくりを行う財団法人の研究員になるよう誘われた。和田はたちまち桜に魅了された。日本にある野生の桜は10品種。これを元に日本人は、じつに850品種ものさまざまな桜を作り出してきた(現存するのは350品種)。人によって作り出された桜は、人の世話なしには生きられない。そうしたことから、和田はつねに「人と桜をつなぐ」ということを意識する。桜の名所づくりを依頼されたときには、世話をするボランティアの育成もプランに入れる。樹木医が一人でできることは限られる。多くの人が関われば関わるほど、より美しい桜の名所ができると和田は言う。

写真桜の名所には、その手入れを手伝うボランティアが欠かせない。和田はその育成に力を注ぐ。


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

皆さんがそれぞれ思われたり、考えたり、っていうものを、みんな集めて、それをひとつにまとめて、方向性を導いて、それをかたちにしていく。それがぼくの仕事なんだと思います。

樹木医・和田博幸