
重い病を抱えていても、自宅で療養して最期の時を迎えたい。そんな患者たちの望みをかなえているのが神奈川県横浜市にある在宅療養支援診療所の院長・小澤竹俊だ。小澤のクリニックでは6人の常勤医が手分けして1日平均40軒の患者宅を訪問。対応する疾患は、がん、脳こうそくの後遺症、神経難病など多岐にわたる。そして小澤は、患者だけでなくケアする家族も支える。小澤は、ケアマネジャーや居宅介護支援事業所、訪問看護ステーションなどと連携しながら24時間体制でバックアップする。連携する事業所は160以上。地域連携体制を築くため、小澤は開業から10年間、地道な努力を続けてきた。たとえばクリニックで毎月欠かさず開いてきた勉強会。患者と家族を支えるために、どんなふうに向き合って誰がどんな役割を果たせるのか。勉強会を通じて、患者・家族の思いをくみ取る技術や価値観を共通していく。こうして、それぞれの事業者が持ち味や得意分野を生かせるように導き、在宅医療の可能性を広げようとしている。
小澤のクリニックで月1回開かれる勉強会。
毎回およそ2時間、在宅医療・居宅介護の現場に即した、実践的な議論が行われる。

小澤が患者と向き合うとき特筆すべきは、その“聴く力”だ。それは直感によるものではなく、臨床倫理学などを学びながら意識して身につけてきたものだ。小澤は患者や家族の思いを聴くために、いつも根本的なところから考えはじめる。たとえば「苦しみとは何か?」という問いに対して「苦しみとは、希望と現実の開きである」と定義する。こうして目の前の患者の「苦しみ」を深く受け止めた上で、どうすれば支えになれるか、ひとつひとつ検証する。このとき小澤が心に刻むのは「決めつけない」という流儀だ。患者を類型化してとらえることを自らに戒め、ひとりひとりが「どうすれば穏やかになれるか」を探っていく。そのために、小澤は1回の診療に1時間近くをあてる。医療行為そのものよりも、患者や家族の気がかりや希望を聴き出すことに多くの時間が費やされる。こうした姿勢があればこそ、小澤は地域連携の司令塔役になることもできるのだ。
患者と家族が同じ方向を向けるように。小澤は診察のとき、
さりげなくいざなっていく。

小澤は、駆け出しのころ救急救命医療に携わり「ベストを尽くしても救えない命がある」という現実に何度も向き合った。それでもなお、患者・家族の力になるにはどうすればいいのか。悩んだ小澤は、31歳の若さで、まもなく命を終えようとしている患者を支えるホスピス医に転身することを決めた。
しかし現実は厳しかった。「生き続けたい」という、決してかなえることができない希望。支えようとしている相手から突きつけられる「はやく死にたい」という言葉。小澤は5年近くもの間、もがき続けた。
そんななか、小澤は「無力でよい」というひらめきを得る。「力になりたいという気持ちを決して忘れてはいけない。その気持ちがありながら“力になれない自分がそこにいてよい”と思える」という境地だった。これが転機になり、小澤は自らのスタイルを築き上げていく。そして勤務医を続けるなかで自宅での医療を望んでいる患者がたくさんいることに気付き、43歳で自らの在宅クリニックを立ち上げた。
24時間患者の元に駆けつける小澤。
“無力さ”を何度も味わったことが原動力になっているという。