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特別企画 2017年2月13日放送

ただ、ひたすら前へ 競走馬・オグリキャップ



格差を越えて、走れ

競走馬は、優秀な戦績を残している血統から生まれているかどうかで、その価値は大きく左右される。血統が良ければ、取引額も高く、大きな期待が寄せられる。一方、血統が悪ければ、・・・いうまでもない。競走馬は、血統が圧倒的にものを言う、厳しい“格差社会”で生きている。オグリキャップは、父親の競走成績が優れていなかったため、“二流の血統”と評価されていた。そのため、30年前、岐阜の笠松競馬場でデビューしたとき、活躍を期待する人は、ほとんどいなかった。
しかし、馬主の小栗孝一は、オグリキャップに自分の人生を重ね合わせ、期待を寄せていた。貧しい家庭に生まれ、幼くして叔母の家に養子に出された孝一。「恵まれない環境に負けてたまるか」と、自ら事業を興し、ガスバーナーの製造販売などで成功した。馬主となった孝一は、たとえ血統が良くなくても、きゅう舎を毎日訪ねるなど、家族の一員として馬に愛情を注いだ。馬に託した願いはただひとつ。「“血統”という格差を乗り越えて、走ってほしい」

写真地方競馬でデビューしたオグリキャップ 期待は低かった
写真二流の評価だった、父親のダンシングキャップ
写真自分の人生を競走馬に投影していた馬主の小栗孝一


“負けたくない”という意地

オグリキャップの可能性にいち早く気付いたのが、笠松競馬時代の調教師だった鷲見昌勇だった。鷲見は、調教でオグリキャップが全速力で走ったとき、速い馬によく見られる「重心の低い走り」を見せたことに注目。その才能を開花させるため、頻繁にレースに出走させて鍛える地方競馬ならではのトレーニングを課した。競走馬は、レースが続くと疲れから食欲が落ち、体重が落ちる場合が多いが、オグリキャップは、逆に体重が20キログラムも増えるタフさを見せた。
さらにオグリキャップは、勝負に対する強いこだわりを持っているかのようだった。笠松競馬時代に主戦騎手を務めていた安藤勝己は、オグリキャップに、闘志や意地を感じ取った。
「オグリキャップは、歯を食いしばって、あごを出して走る根性を持っていた馬。自分を持っていたし、“負けたくない”という意地があった」(騎手 安藤勝己)

デビューから8か月で、12戦10勝と破竹の快進撃を続けたオグリキャップ。馬主の小栗孝一のもとには、中央競馬への移籍話が持ちかけられた。孝一は、悩んだ末、「さらなる活躍をしてほしい」と、手放すことを決めた。オグリキャップは、中央競馬に移籍した後も連勝を重ね、圧倒的な強さを見せつけた。

写真“重心の低い走り”に注目した調教師の鷲見昌勇
写真「オグリキャップは、自分を持っていた」と語る騎手の安藤勝己
写真地方競馬で圧倒的な強さを見せつけた


ONとOFF

関係者の証言によると、オグリキャップは、調教やレースでのONの状態と、きゅう舎で過ごすときと気持ちの切り替えがはっきりしてという。

「エサをよく食べたし、きゅう舎ではおとなしかった」(調教師 鷲見昌勇)
「調教を終わって馬房に入ると、疲れを取るために必ず寝返りを打っていた」(調教師 瀬戸口勉)

しかし、ひとたび、レースに向けての調教が始まれば、気合いが入った。レース当日のパドックでも、自分から前へ前へと進み、やる気をみなぎらせた。さらに、ゲートに入る前には、必ず見せたのが、ぶるぶるっと身を震わす“武者震い“だった。調教師の瀬戸口勉は、気合いを入れるために、このしぐさをしていたのではないかと考えている。
頑張るときは頑張り、休むときは、しっかりリラックスして休養を取る。このメリハリこそが、オグリキャップの仕事の流儀だった。

写真きゅう舎ではよけいな動きをせず、静かだった
写真レース当日は、気合いを入れ、やる気をみなぎらせた
写真「メリハリが強さの秘密だった」と語る調教師の瀬戸口勉


いつも通り、淡々と

最大のライバルとしてオグリキャップの前に立ちふさがったのが、同じあし毛のタマモクロス。中央競馬に移籍した後、初めて敗れた相手だった。「打倒タマモクロス」を掲げ、オグリキャップのあん上を任されたのが、名手・岡部幸雄。オグリキャップと岡部は、昭和63年有馬記念で、タマモクロスを破って優勝。地方競馬でデビューしたオグリキャップが、ついに日本の頂点に立った瞬間だった。岡部は、オグリキャップの“仕事の流儀”について、こう語った。

「心がぶれず、安定している。普通、ビッグレースになると、人馬ともに興奮して、心臓がバクバクになる。でも、オグリキャップは興奮しているが、いっさい表に出さない。いつも通り、淡々と仕事をするという何千頭に1頭のタイプ」

写真死闘を繰り広げたオグリキャップとタマモクロス
写真有馬記念に優勝 日本の頂点に立った
写真オグリキャップの精神力に脱帽した騎手の岡部幸雄


伝説のラストラン

平成2年秋、オグリキャップは突然、惨敗を重ねた。天皇賞秋6着。ジャパンカップ11着。関係者は、有馬記念を最後に引退することを決めた。しかし、復活をあきらめていなかったのが、地方競馬時代の馬主・小栗孝一だった。孝一は、有馬記念の前、家族に「これでは、終わらない」とつぶやいた。
引退レースを託されたのが、天才騎手・武豊。調教で乗ったとき、オグリキャップの調子は決して良くなかった。武は、レースが始まる前まで、勝てると思っていなかった。しかし、レースが始まると、オグリキャップは気分良く走っていた。そして、17万人を超える観客が見守る中、先頭でゴール。劇的な復活劇に、客席からは、自然とオグリコールが巻き起こった。これまで何頭もの名馬にまたがってきた武豊。オグリキャップには、特別な魅力を感じたという。

「ただ強いとか、ただいっぱい勝ったとか、それだけじゃない。本当に人をひきつける魅力的な馬だった。引退レースの前にわざと負けて、自分でストーリーを描いていたのかなって思ってしまうぐらいの馬だった」

7年前にこの世を去ったオグリキャップ。今、一頭の娘が遺伝子を受け継いでいる。新たな伝説の誕生を楽しみにしたい。

写真日本中を魅了した伝説のラストラン
写真オグリキャップに不思議な魅力を感じた騎手の武豊
写真今、オグリキャップは北海道の牧場に眠っている