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第289回 2016年3月14日放送

出会いが、力となる 国際災害ボランティア・吉椿雅道



そこに人がいるかぎり

国際災害ボランティア・吉椿雅道が所属するNGOは、神戸にある。スタッフはたった2人、活動資金のほとんどは市民からの募金で潤沢ではない。それでもこれまで、世界34の地域でさまざまな支援を展開してきた。吉椿のモットーは「大きな支援から取りこぼされている人を救うこと。」短期的な緊急支援ではなく、中長期的な復興支援に取り組んできた。
昨年4月のネパール大地震。すぐに現地に向かった吉椿は、支援先を、山岳地域にあるグデル村とした。それは一人の出会いから始まった。ネパールの少数民族シェルパ族のラクパさん。聞けば故郷グデル村へは歩いて二日かかり、報道もされておらず支援も全く入っていないという。吉椿はラクパさんやその仲間と共に、グデル村の住宅再建プロジェクトを立ち上げた。吉椿は8月に、地元の大工を集め耐震技術を学びながら再建の構想を一緒に考えた。そこには吉椿ならではの狙いがあった。「耐震のことを知っている大工を連れていけば確かに早い。でもそれではその土地の力にならない。」今ではなく未来につなげたいという、吉椿の理念がある。

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出会いの20年

吉椿の活動の出発点は、21年前の阪神・淡路大震災。親友の安否を確かめるために地元福岡から駆けつけた吉椿は現地の惨状を目の当たりにして、何かしなければ、という思いに突き動かされる。その時、東洋医学の心得があった吉椿は「足湯」を行い、被災者一人一人と向き合う中でさまざまな思いを聞いた。当時27歳だった吉椿は、ただ聞くことしか出来なかった。その後自分を見つめ直すために海外へ。本当に被災者の思いを受け止めることが出来たのは2004年の新潟県中越地震の時。再び足湯を施す中で、「なかなか声をあげられない人たちの声を代表しなくてはいけない」と、吉椿は災害ボランティアを一生の仕事と決めた。しかし、2008年の中国・四川大地震では、2年がかりで進めていた住民のための共同施設建設プロジェクトが失敗。吉椿は打ちひしがれ、仕事を辞めようと思った。そんな吉椿に村人が声をかけた。「あなたはこの村に明るい未来や今までにない希望をくれました。」被災者を支えていたはずが支えられていたことに気が付いた吉椿は、現場に立ち続けることを決意する。これまで出会った被災者から投げかけられたさまざまな言葉が、吉椿を今も現場に向かわせる原動力となっている。

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出会いが、人を強くする

今年1月、ネパールでの住宅再建プロジェクトが本格的に動き出し、吉椿はグデル村に向かった。日本を出て5日目、グデル村に到着。滞在は予算ギリギリの10日間だ。村では、地元大工15人が総出で、再建住宅の1棟目をモデルハウスとして建築中だった。大工は皆一生懸命に取り組んでいたが、吉椿が主導した設計図に沿っただけの作業が気になった。これでは彼ら自身の身につかない。吉椿は大工を集め、耐震強度を上げる工夫を、もっと試行錯誤して欲しいと伝えた。すると大工は日本からの貴重な金を無駄にしたくないと言う。吉椿は訴えた。「この金は神戸の人々の募金だ。20年前に支援を受けた恩返しだから、その思いを生かして欲しい・・・」思わず涙ぐむ吉椿。被災者自身の自立がいかに難しいか、知っていたから出た涙だった。
吉椿は、モデルハウスのチェックと並行して、村を回って被災者の声を拾い続けた。話し合いの最後で吉椿が必ず聞くことがある。「この村の良いところ、誇りはなんですか?」被災者自身が、村の再建に自ら取り組んで欲しい。住宅再建の手助けはその一歩にすぎないという吉椿の思いからだ。滞在の終盤、こうした吉椿と接し続けた大工たちの一人、カトマンズから来ていた若者から思わぬことを告げられた。「村に戻ります。」吉椿との“出会い”が生んだ、大きな一歩だった。

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プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

難しい質問ですね。どういう人がプロフェッショナルなんですかね。妥協せずに悩みながら、真摯にね、人に向き合ったり、人と関わるってことがね、プロフェッショナルなのかなと思いますけど。

国際災害ボランティア 吉椿雅道