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第281回 2015年11月16日放送

世紀の大工事、“城”を曳(ひ)く 曳家(ひきや)職人・石川憲太郎



人々の思いも、運ぶ

道路拡張など、やむにやまれぬ事情で建物の場所を移さなければならないとき、用いられる土木工法「曳家」。古来から受け継がれる技術で、550年ほど前の書物には、すでに建物を曳家したという記述が登場する。高齢化で職人が減りつつある業界で、40歳にして国の重要文化財を任される期待の新星が、石川憲太郎だ。
曳家では、建物を横方向に移動させる、いわゆる曳(ひ)きの工程よりも、建物を持ち上げる工程の方がはるかに難しい。建物は年月を経るうちにその重みで柱が沈み込み、全体がゆがんでいることが多いため、ゆがみを直して水平に戻しながら持ち上げなければならない。だが、建物のあちこちに設置した数十台のジャッキを駆使して持ち上げていくとき、少しでも圧力のバランスをかけ間違えると、建物が壊れてしまう。石川は、そうしたゆがみを直すにあたり、建物の構造や柱の太さ、地盤の硬さなどから、どこにどれだけ圧力をかけるべきか、見切る。
この世に二つとない貴重な建物は、壊してしまえば一巻の終わり。そして失われるものは、それだけではないと石川は言う。
「長い年月を経た建物には、人々の思い出や愛着が積み重なっている。建物を壊してしまえば、そうした思いもなくなってしまう。だからこそ、建物と一緒に人の気持ちも動かしていると思って、常に仕事に臨む。」

写真一つとして同じ建物はない。状況に合わせて無事に運ぶために、現場で何度も考え込む。
写真建物を持ち上げるとき、ジャッキ操作が成否を分ける。


恐れを知れ

唯一無二の建物を傷つけることなく運ぶため、石川は常に恐れる心を忘れない。その心がけは、過去に経験した、痛恨の失敗から生まれている。
高校卒業後、求人広告を見て、たまたま曳家業界に足を踏み入れた石川。20代半ばで現場リーダーを務めるようになってまもなく、会津若松で何代も受け継がれてきた古い土蔵を曳(ひ)く仕事を任された。大して難しくない現場だと、すぐさまジャッキをセットして持ち上げた。しかし、上げ始めてまもなく、ジャッキが倒れ、バランスを崩した蔵の壁が大きく崩れ落ちた。不安定な地盤に、これといった対策もせずジャッキを設置したミスが原因だった。家主には、「蔵を残したいと思って曳家するよう依頼したのに、お前たちが壊してどうするんだ」とどなられた。自分が壊した壁を自分で補修し、それまでの自分の仕事ぶりを省みた石川。「曳家は臆病であれ」。以降、その姿勢を、貫いている。

写真成功のためには、用意周到な準備が不可欠。休憩時間にも工法を練り続ける。
写真力仕事の現場。毎朝日課の筋トレを怠らない。


200年分の思いを、つなぐ

今年、石川の元に大仕事が舞い込んだ。青森県にある国の重要文化財、総重量およそ400トンの弘前城天守の曳家だ。天守の真下の石垣が老朽化し、放置すれば崩れ落ちる危険があった。そこで石垣を改修するため、天守を70メートル先の仮の天守台に移動させる。100年に一度の大工事と言われ、世間からの注目を集めていた。
しかし、現場は難問が山積みだった。築200年の弘前城天守に設計図は残っておらず、構造を把握できない。壁はひび割れ、老朽化も著しい。そんな状態の天守を傷つけることなく無事に移動できるのか。
実は、弘前城天守はおよそ100年前に、同じような石垣改修のために曳家されている。100年前の職人が守り抜いた天守を、果たして自分は守り抜くことができるのか。200年前に築城されてから今日に至るまで、天守に積み重なるたくさんの人々の思いを後世へ伝えていくためにも、失敗の許されない現場だった。

写真国指定重要文化財、弘前城天守。200年前に建てられ、今も市民に親しまれている。
写真天守を70メートル離れた仮の天守台に移動させる大工事。
写真明治30年にも弘前城天守は曳家されている。


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

根性ですね。技術うんぬんではなく、精神面だったり、強い心、そして芯の通った気持ちを持ち続けることが、プロフェッショナルじゃないかなと思ってます。

曳家(ひきや)職人 石川憲太郎