瀬戸内海のほぼ中央に浮かぶ広島県の大崎下島。松浦が営む小さな島の時計屋には、全国から壊れた時計が舞い込んでくる。高級腕時計からキャラクターウォッチ、百年前の掛け時計まで。その数、年間300ほど。メーカーや他の時計屋がさじを投げた時計ばかりだ。
松浦は言う。「しんどいことはみんな逃げようとするから。たいぎい(つらい)からね。それを可能にするには、どうしてもしんどい方へいかんと。何でもしんどい方へ考えた方がええ案も浮かぶこともあるし。プラスにはなる」。
松浦は他の職人が避けて通る困難な仕事を引き受けることを信条としてきた。誰も考えないことを、時間をかけて考え続けることで、別の時計の部品を代わりに使うなど直すためのアイデアが思い浮かぶことがあるのだと言う。しんどい方へ進めば、一度は諦められた時計でも救うことができると信じている。
気さくな人柄から一転、修理に入ると、松浦のまとう空気が張り詰めていく
機械式時計は微細な部品がすべて正常に動いて、初めて正確な時を刻む
松浦が戦っているのは、ミクロの世界。1ミリにも満たない部品を正確に、かつ緻密なバランスで組み上げなければならない。しかも、古い時計の部品は替えがきかないものばかりだ。そのため、松浦には極度の集中力が求められる。そんな現場において、松浦が大切にしている信念がある。それは「どんな時計でも、常に最善を尽くす」ということ。
松浦は言う。「一つ一つの時計に、抜け目ないように、誠心誠意尽くす。最高のものに持って行きたいからね。最善を尽くして、動くものにして戻したい気持ちが一番強いです。」
修理の現場において、松浦は常に最高の技術と集中力を発揮できるように、努めている。
ミクロの世界で戦うためには、長年の経験と勘、極度の集中力が求められる
松浦がよみがえらせる時計は、種類やメーカー、年代もさまざま
お客様の時計、一つ一つに真摯(しんし)に取り組む松浦。彼は修理の現場について次のように語る。「私にとっては『手術室』のようなもんです。時計には、どうしても代わりのものが無い場合も多いからね。みんなが思い出のある時計ですから。預かっているものはそれだけ責任があるからね。」
松浦は常に時計と向き合うとき、人の命を預かるようなプレッシャーと戦っている。実は、客の修理の現場にカメラが入ったのは、今回が初めて。カメラが入ることで、松浦の集中力がそがれ、世界に二つとない客の時計に、もしものことがあってはならないという配慮からだ。今回は、足音も立てないという条件で、特別に許可された。
普段は客との交流が大好き
松浦は修理が完了した時計を送り返す時、必ず手書きの手紙を添える。修理した職人にしか分からないような、それぞれの時計に合った使い方を伝えている。