20年以上続いた内戦や、諸外国からの経済制裁などの影響もあり、今も貧困や病がまん延するスーダン。川原は地方の無医村へ出向き、巡回診療を行う。スーダン人医療チームと組み、多い日で200人以上もの患者を診る。しかし川原が行うのは診療だけではない。診療を行う際、常に意識しているのが、「地域を診る」ことだ。
診療の合間を縫っては、村々のインフラ環境をチェックする。スーダンでは水の問題が深刻で、感染症の原因となっている。村の人がどのような水を飲んでいるのか、下水の施設はどうなっているのか、川原は丹念に探る。病の根源には必ず地域の問題がある。一人一人を診るだけではなく、その根本から治療していくスタイルを貫いている。
ほとんどの地方には医師がいない。
村の井戸が壊れていた。
水が原因で、病気になるケースが多い。
川原は常に、信念に従い「行動」を起こすことで人生を切り開いてきた。人の役に立ちたいと、医者の道を目指し九州大学医学部に入学。卒業後は外務省の医務官になった。当時スーダンは内戦の真っただ中。大使館職員とその家族しか診られない医務官の立場にもどかしさを感じ、職を辞した。
スーダンに行ってからも、「行動」を続ける。スーダンの国や人に関する理解が足りていないと感じれば、ひとつの村に住み込み、村人と共同生活を営んだ。
長引く内戦、経済制裁や独裁政権など、スーダンが抱える問題は奥深い。海外の支援団体が活動できる幅も限られる。しかし、立ち止まらずに動き続けることで、一歩一歩、困難の壁を乗り越えていけると信じている。
NGOを立ち上げた頃。首都の病院で働きながら、地方の巡回診療を行った。
活動停止命令を受け、1年ぶりに訪れた シェリフ・ ハサバッラ村。歓迎を受ける。
高校時代、ラグビー部のキャプテンだった川原。川原の胸にいつもある言葉は「One for all All for one」だ。
川原が外務省の医務官を辞め、収入が0になったとき、川原を支えたのが高校のラグビー部の仲間たち。「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」この精神のもと、みな寄付金集めに走り回り、第二の人生を歩む川原を支えた。医療支援の現場でも同じだ。困っている人がいれば助ける。逆にスーダンの人に助けられたり、学びを得ることもある。
お互いがお互いを尊重し、助け合う。そんな関係を築いていきたいと川原は語る。