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これまでの放送

第209回 2013年7月29日放送

天職は、生涯かけて全(まっと)うせよ うなぎ職人・金本兼次郎



生涯、一職人として生きる

“裂き3年、串打ち3年、焼き一生”と表現される、うなぎの世界。金本が初めてうなぎを焼いたのは15歳の頃。以来、70年間この道を追求してきた。金本が焼くうなぎは、美味に加えて見た目にも“美しい”と称される。目指すのは、透明感を備えた黄金色。そのためには、表面を焦がしてはいけない。しかし、焼かなければ輝くようなテリは生まれない。金本は、ギリギリを攻めていく。
完璧に焼き上げたうなぎ。しかし、金本の採点は80点。合格点には達しているが、まだまだ先があると言う。
「もういいや、と言ったとたんにお迎えが来ちゃうよ」そう言って明るく笑う。その強い気持ちこそが、85歳となった今でも厨房に立つエネルギー源だ。

写真金本の真骨頂“かば焼き”
味はもちろん美しさを宿していると評判だ

写真火鉢の上の格闘


伝統は、変化を積み重ねた先に生まれる

金本は江戸時代から続く老舗の5代目。昔から名店と呼ばれてきた店の評判を自分の代で崩してはならない、と常に重圧と闘っている。伝統とは何か。金本は、ずっと考え続けてきた。「若い頃は、伝統をただ守ることに必死だった。」と言う。しかし、時代は猛スピードで変わっていく。昔と同じままでは、ついていけるはずがない。時代の波にもまれる中でいきついたのが、この流儀。追求心を忘れないという職人魂、江戸前の心意気は、時代が変わっても不動のものだ。しかし、養殖うなぎを取り入れたり、うなぎにワインを合わせたりするのは、柔軟に対応していけばいい。何を守り、何を変えるか。その選択の積み重ねが伝統をより豊かなものにしていくのだ。

写真金本は生っ粋の江戸っ子
地元に伝わる祭りも大切に守る

写真白焼きにキャビアとワインを合わせたセット
35年前、斬新なアイデアだと話題を呼んだ

写真フランスのワイン醸造家ラフォンさんと語る
伝統を継ぐ職人同士、話は尽きない


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

80(歳)になっても、90になっても、100になっても、職人として一流のプロはどこまでも追求心がある。もう1つ言うならば、人柄ね。愛される人間にならなきゃ、かわいそうな人間になると思う。

うなぎ職人 金本兼次郎


プロフェッショナルのこだわり

常に同じ仕事をする

きょうは体がだるい、イマイチ気分が乗らない、心配事がある。誰でもそんな日はあるだろう。しかし、金本は厨房に私情を持ち込まない。自分にとっては何百匹のうちの1匹かもしれない。しかし客にとっては、唯一のうなぎ。
だからこそ、いかなる時も全てのうなぎに全力で臨む。

写真白衣に着替え、帽子をかぶると仕事モードのスイッチが入る


仕事に“美しさ”があるか

仕事とは、美を追求することだと金本は考えている。うなぎを美しく焼き上げることはもちろん、下準備の“裂き”にまで美を求める。まな板の前にした立ち姿はキリっとしているか?包丁の動きは流れるような曲線を描いているか?そして、その美を生み出すのは、全力で仕事に向き合う心構えだと言う。決して客には見えることはない努力の積み重ねこそが、極上の料理を生み出すのだ。

写真職人は立ち姿も美しくなければならない


仕事を“作業”にしない

例えば「背びれは5ミリ幅で切り取りなさい」と指示された場合。その時にどう考えるか、が職人として大成するかどうかの分かれ道になるという。何も考えず、ただ言われた通りに5ミリ幅に切っているのでは、機械と変わらない「作業」になってしまう。だが、ヒレに付いた小骨を除くために5ミリの幅が必要なのだ、と意味を考え実行すれば「仕事」になる。全ての工程の意義を自分なりに考えることが大切なのだ。

写真まるで物差しで測ったかのようにヒレを切る職人技


放送されなかった流儀

たまたま就いた仕事が天職 向き、不向きは関係ない

金本の幼い頃の夢は、列車の運転士だった。だが、老舗の長男だという理由だけで、いやおうなく職人になった。
「今の若い人は、仕事が自分に合わないと言ってすぐに辞めるでしょ?でも、それは違うと思う。自分が仕事に合わせて努力をしなきゃ。」
どんな職業でも、縁あって就いた仕事。どんな仕事にも、面白さはあり、やりがいがある。それを見つけ、努力し続ければ、必ず道は開けると金本さんは言う。

写真