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これまでの放送

スペシャル 2009年8月25日放送

みな、どん底から はい上がってきた ~逆境からの復活スペシャル~


どんなにつらい時でも、明日は必ず来る

農薬を使わず、アイガモに食べさせることによって田んぼの雑草や害虫を除去するアイガモ農法。この農法を世界に広めたのが、福岡の農家・古野隆雄だ。
古野は、27歳で農薬も化学肥料も使わない米作りを決意。しかしその後、伸び続ける雑草を朝から晩まで抜き続ける毎日を過ごした。月収が、少ない時には3万円という厳しい日々を耐え抜き、ついに転機が訪れたのが10年後。富山にアイガモを使って雑草をとっている農家があると聞き、すがる思いで農法を学んだ。しかし、今度は野犬が古野の行く手を阻む。どんなに手段を講じても野犬によってアイガモが殺されてしまうのだ。
遂にあきらめようと妻と話をしていた時、部屋に7歳の長男が入ってきた。そして、仕掛けがまた破られたことを聞くと、こう言った。「じゃあ、またヒナ買うとやろ」。
幼い頃から挑戦し続ける古野を見てきた息子にとって、失敗してもまた挑むことが当たり前と思っていた。古野は、長男の言葉に奮い立った。そして、ひとつのことに気づく。
「うまくいかないことが、当たり前」。やがて古野は、たまたま訪れた山間の村で、畑をいのししから守る電気柵に目をとめる。これで、野犬の侵入をくい止められないか。すぐに業者にかけあい、田んぼに張り巡らせると、効果はたちどころに現れた。その秋、古野の田んぼには一面の稲が育った・・。
そして今、古野はひとつの言葉を逆境に向かう人に送りたいと考える。「どんなに辛い時でも、明日は必ず来る」。

写真農家・古野隆雄。13年間の失敗を乗り越えた。


視点を変えれば、光は必ず見える。

いじめのない理想のクラス作りが注目される中学教師・鹿嶋真弓。「エンカウンター」と呼ばれる手法を用いながら、生徒同士が本音で話し合い、コミュニケーションのきっかけを作る授業を行う。
しかし、その鹿嶋は過去に大きな壁の前でもがき苦しみ抜いた。校内暴力が問題になり始めていた頃に教師になった鹿嶋。荒れる生徒たちに体当たりで向かいあう鹿嶋は、「女金八」と呼ばれ親しまれていた。
しかし、4つめの中学に異動した直後、これまでにない深刻な状況に直面する。初めて受け持ちのクラスに向かった鹿嶋は、教室に入ったとたん、「うざい」「帰れよ」といった冷たい生徒たちの声で迎えられる。これまでは、反発はあっても生徒とつながりを作ってきた鹿嶋にとって、自分の人格すべてを否定されるような拒絶になすすべがなかった。
自信を打ち砕かれ、朝、学校の門をくぐれず、帰ってしまうほど追い詰められた鹿嶋。教師をやめたいとまで思うようになったところを立ち止まらせたのは、かつての同僚の一言だった。「あきらめるなんて、鹿嶋さんらしくない」。その時、鹿嶋の心にかつての自分が蘇る。今の自分は、自らの苦しみから逃れるため、若き日のように本音で生徒に向き合っていない。本当に苦しんでいるのはむしろ生徒たち自身ではないか。
鹿嶋は、もう一度生徒と向き合おうと決意した。たとえ自分が相手にされなくても、生徒同士のコミュニケーションを促せないか。そして、ひとつの手を考えた。2泊3日の移動教室。鹿嶋は、生徒たちに、内緒で親に書いてもらった子供たちへの手紙を渡した。生徒たちはやがて互いにそれを見せ合い始め、そしてついにはそれを鹿嶋にも読んでほしいと差し出した。その後も、鹿嶋は生徒たち同士が本音で話し合えるような授業をすすめる。いつしか、生徒たちの自分勝手な行動はなくなり、授業が成り立つようになった。

写真壮絶な学級崩壊に直面した中学教師・鹿嶋真弓


奈落の底が深いほど、人は大きくなれる

寺や神社の新築工事や歴史的文化財の修復など、全国の大規模な木造建築を手がける宮大工・菊池恭二。日本屈指と呼ばれるまでになったその棟梁としての度量は、ある壮絶な体験から培われたものだった。
それは、菊池43歳の春のこと。すでに東北で名を知られる棟梁となっていた菊池は、海外出張から戻る途中で、ある衝撃的な知らせを聞く。「作業場が、火事になった」。
総額6700万円相当の材木が一夜で灰になり、その時抱えていた4件の工事を進めることができない。あまりのことに、ただ涙を流すしかなかった。しかし、その時古い知り合いから聞いたひとつの言葉が、菊池の胸を打った。『焼き上がる』。それは、菊池の故郷に伝わる言葉で、「たいへんなことがあっても、そこから立ち直った時、さらに大きくなれる」という意味があった。
ようやく前を向くことができるようになった菊池。だが、大きな問題が立ちふさがった。 材木がなくなってしまった今の状態で、施主である寺や神社の人々が、菊池にまだ工事を任せるつもりでいるのか。仕事を引き揚げられれば、会社はつぶれ、家族も職人も路頭に迷う。数日後、施主たちが菊池のもとを訪れる。菊池は、施主たちが、菊池の心が折れていないか、自分の目を見ているように感じた。自分の、棟梁としての器が試されている・・。菊池は、施主たちの目を見返し、言った。「材木は必ず集めます。工事を続けさせて下さい」。
施主たちは、菊池を信じた。そして2年後、必死に工事に取り組んだ菊池は、すべての工期を守り、建物を完成させた。もう何が起こっても怖くない。菊池が、奈落の底からはい上がり強さを掴んだ瞬間だった。

写真宮大工・菊池恭二。突然の火災の中から、真の棟梁になった。


乗り越えない、その悲しみと共に生きる

企業再生を専門に行う弁護士・村松謙一。「みんなが見捨てても、自分たちだけは見捨ててはいけない」。数々の崖っぷちの会社を救ってきたエキスパートである村松は、ある大きな悲しみの中で、その信念を胸に刻んだ。
25歳で司法試験に合格した村松は、企業再生専門の事務所を就職先に選ぶ。めきめきと実力をつけ、大型案件に取り組む日々。その後独立し事務所を構えた後も、忙しい毎日を送っていた。しかし、その自信溢れる日々が、ある時を境に一変する。
ある朝、村松の事務所に大量のファックスが届いた。大きな案件の傍ら相談を受けていた、小さな子供服店の社長の遺書だった。自分を罵倒し、救えなかったことを悔やみ続ける村松。だが、悲しみは終わらなかった。翌年、長女の麻衣さんが突然亡くなった。一番大切な娘すら守れなかった村松は、放心状態となった。事務所に来ても、動悸が激しくなり家に帰った。何をするでもなく、公園のブランコでぼんやり過ごした。人を救うことに自信がなくなり、再建の仕事も怖くてできなかった。
そんなある日、村松は思いがけないところから連絡を受ける。参議院・財政金融委員会にて、破綻企業の処理について意見を求められたのだ。そこで村松はひとつの質問を受ける。「企業の再生は大事だが、倒産寸前の会社を100%、再生し続けなければいけないのか」。その言葉を聞いた村松の中で、ふいに、忘れていたある思いが燃えあがった。
村松は、こう答えた。「100%再生し続けなければいけないと思います。なぜならば命に関わるんです。全てについて。」
自分の目の前には、救わなくてはならない人がたくさんいる。村松は、再び企業再建の仕事に立ち向かった。
そして今、村松は、絶望の中で目の前の壁にどう立ち向かえばいいのか、こう言う。
「(人生には)絶対に乗り越えられない壁がある。それを乗り越えようとすると、そこに人間の傲慢さが出る。だから、乗り越えなくていい。ただ(悲しみや壁と)一緒に歩くことが、新たな道を見つけるひとつのやり方ではないか」。

写真弁護士・村松謙一。悲しみの果て、新たに立ち上がった。