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第106回 2009年1月13日放送

“いい人生やった” その一言のために 診療所医師・中村伸一


病ではなく、人を診る

医師・中村伸一が運命の出会いをしたのは、17年前だった。医師になって3年目、京都との県境にある福井県名田庄村(現:おおい町名田庄地区)の診療所にただ一人の医師として赴任。以来、住民たちの命と健康を支え、時には逆に支えられながら、医師として成長してきた。
「日本の原風景が残る山村に恋をし、結婚した」自らと地域との関係を中村はそう話す。
村の気候や風土、暮らしは熟知。患者のほとんどは顔なじみで、家族やご近所の顔も頭に浮かぶ。だからこそ、「人を診る」ことが出来るのである。
症状や痛みを抑えることがすべてという治療ではなく、患者一人一人がいきいきと過ごすためには何が必要かを考える。膝痛に悩まされながらも、グランドゴルフが生きがいのお年寄り。安静を言い渡すより、痛み止めを打ちながら、趣味を続けさせる方を選択する。患者のしこう、趣味、生活、そして人生そのものを知り、共感しているから出来る診断があるのだ。
中村は自らを「名田庄の専門医」だという。地域のこと、そして患者一人一人のバックグラウンドを頭に詰めこみ、患者の人生に寄り添い続けて17年。今では、患者たちが、こう口をそろえる。「中村先生以外は、考えられません」

写真中村が結婚した名田庄村(現:おおい町名田庄地区)
写真診察室には笑顔が絶えない


誰にでもある お互い様だ

中村も最初から地域医療を志していたわけではない。大学時代は難手術をこなす外科医にあこがれていたし、名田庄に赴任してからも数年は、その夢を引きずっていた。しかし、たった一言が、中村の道を決めた。
赴任して3年目のある夜、中村は、ひたすら自分を責めていた。くも膜下出血を見抜けなかったのだ。長距離運転をした後、酒を飲み、肩が痛いと訴えていた患者。前兆が非典型例だったため、見抜くのは簡単ではなかったが、見逃したのは事実。近くの総合病院に救急搬送した後、家族の車に乗せられて村に帰る道すがら、中村はひたすらわびた。責任をとって医師を辞めようとさえ思った。その時、言われた言葉だ。
寄り添い、助け合って生きる暮らしが残る村。だからこそ人々に備わる心の広さ。中村はそれを実感すると同時に、自分は、地域の人に見守られ、育てようとされていることを実感したという。まもなく、中村は村と結婚することを決めた。

写真若き日の中村。腕利きの外科医にあこがれていた。


最期まで、家で、家族と暮らしたい

名田庄地区では、自宅で最期を迎える人が実に4割。全国平均の3倍にものぼる。
中村は赴任してまもなく、この地区の住民には、「病気になっても、できるだけ家族とともに過ごしたい」という想いが強いことに気づいた。そして、その想いを支えるための、特に二つのことに力を注いできた。
一つは訪問診療。この地域では、普通なら、入院や施設への入所を余儀なくされる人も自宅で過ごすことが出来る。   
もう一つは組織作りだ。中村は、行政を巻き込み、ケアマネージャーやヘルパーなどの介護スタッフ、保健師などと緊密に連携し、三位一体で患者と家族を支えるシステムを作り上げた。
末期ガンの患者が、臨終間際に、介護を続けてきた妻に残した言葉がある。
「最期まで家にいられて幸せな人生やった。お前も中村先生にみとられて、村で死ねよ」住民たちのささやかだが切実な想いに、中村は向き合い続けている。

写真外来の合間を縫って、1日3軒ほどを往診


プロフェッショナルとは…

逃れられない困難な状況にあっても、それを宿命として受け入れる。なおかつ、時として、それをプラス思考にして楽しんでいく。そういうことが出来るのが、プロフェッショナルじゃないでしょうか。

中村伸一

The Professional’s Tools

往診かばん

通常、往診に行くときは、この倍の量を持って行く。中には、医療器具のほか、点滴や、注射のセット、薬剤など。急患の連絡があったときには、とりあえずこのカバンをもって往診車に飛び乗ればいいように、あらゆる想定をして、中に入れるものを決めている。

写真


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