「自分のやり方を貫くためには、自己評価が一番厳しいものでないといけないでしょうね。誰の評価よりも自分の評価、自分に対する客観的な評価が一番厳しいものでないといけない、これはもう絶対です。さらには、結果を示さなくてはいけない。それを示した上で、周囲に対して自分のやり方をしっかりと言葉でも説明できること。自分の可能性を広げるには、自分で自分を教育していくしかないと僕は思っているんですよ。現段階の僕が出来たこともあるし、まったく出来ないこともあるし、その繰り返しなんですよね」
「自分のやり方を貫くためには、自己評価が一番厳しいものでないといけないでしょうね。誰の評価よりも自分の評価、自分に対する客観的な評価が一番厳しいものでないといけない、これはもう絶対です。さらには、結果を示さなくてはいけない。それを示した上で、周囲に対して自分のやり方をしっかりと言葉でも説明できること。自分の可能性を広げるには、自分で自分を教育していくしかないと僕は思っているんですよ。現段階の僕が出来たこともあるし、まったく出来ないこともあるし、その繰り返しなんですよね」
「岐阜県にバット工場があるというので訪ねて行って、あらゆる種類のバットが置いてあるわけですね。その時に1本、手にしたバットがこれなんですよ。もう、劇的な出会いでしたね。結婚する!こいつと!って思いました。それが92年のオフのことなんで、15年間変わってないです、僕のバットは。このバットって、すごく難しいバットって言われてるんですよ。スイートスポット、いわゆる芯(しん)の部分が一般のバットに比べると極端に狭いので。でも関係ないんですよ、そんなこと。いいんだもん、感触が。理屈じゃないんですよ。感覚がすべて。それより強いものはないんです」
「4割は可能性があると思いますよ。実際に歴史上やっている人間はいるわけですし。4割やりたいですね。それはやりたいですよ。僕、引退する年にしたい。だから夢は50歳で4割を打って辞める。これは最高ですよね。あとは、腹が出たら辞めますね。パフォーマンスがどうとかじゃない、腹が出たら僕は野球を辞めますね。だってお腹が出てプレーできるスポーツって限られているんですよ。そのうちの1つが野球なんですけど、すごい嫌なんですよ。でもまぁ、50歳で4割打って引退。そっちがやっぱ格好いいじゃないですか」
「毎年、何かを変えているんですけど、今年は07年につかんだもので臨みます。それぐらい、今回つかんだものは、僕にとって揺るがないものではないかと思っています。より作品という表現のできるプレーができるんではないか。結果としてそうなったんではなくて、俺はこれを作ったと表現できるプレー。プロ入りして16年の試行錯誤は余りに長かったですけれども、不動の何かをようやくつかむかも知れない。そのスタートに立ったと思っています。2008年のシーズン、とても重要な年です」