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これまでの放送

第41回 2007年2月15日放送

己を出さず、自分を出す 庭師・北山安夫


主張しない庭

北山の造り出す庭は、徹底して無駄をそぎ落とした簡素な庭。自然のままの石を組み上げ、凛(りん)とした空間を生み出す。北山は目指す庭についてこう語る。
「なんでもないっていうことがすばらしい。盛りだくさんではいけない。なぜか知らないけども、振り返ってみたいと思わす。感じてるようだけど感じていない。感じていないようなんだけれど感じているっていう。それをいかにして実践するか」

写真建仁寺の中庭に造られた「潮音庭」


中途半端では感動は生まれない

12月、北山のもとに群馬県の禅寺から名物の桜を主役に、庭を作り替えてほしいという依頼が入った。現場に入るなり、北山は次々と庭の樹木を切り落としていく。
頭の中にあるのは、数年後に成長した木々の姿。周りの樹木と満開の桜が互いに引き立てあうよう、無駄な木々を切っていく。
そんな北山が一本の木の前で立ち止まった。樹齢100年はあると思われるサルスベリ。
桜の木にかぶさるように伸びていた。切るか、残すか。
「もの作りっていうのは決断の塊なんですよね。こうする、ああする。『まぁ良いか』では感動なんて絶対相手に与えない」と北山。躊躇(ちゅうちょ)なく桜と重なる部分を大胆に切り落とした。

写真樹齢はおよそ100年。立派に成長していた


石は気持ちでねじ伏せる

庭師・北山の真骨頂は、「石組」と呼ばれる石を配置する技術にある。石を置くだけで、雄大な風景から信仰の象徴までを表現する石組。しかし自然の石には、圧倒的な存在感がある。どの石をどのように使うか、見極めを間違えれば、庭が石に負けてしまう。
そのため北山は現場に入る前、徹底的にイメージを固める。現場で悩んでいては、感性に訴える石組はできない。北山は言う。
「相撲と一緒なんです。相手が大きいから、飲まれたらあかん。自分のほうが石よりも力があるんだと思わなければならない」

写真石組は、据える石の高さや角度などで微妙に印象が変わってくる


プロフェッショナルとは…

逃げられない人。要はアマチュアというのは辞められる、いつでも辞められるんですね。プロは辞められないですよ。引き受けたというたら最後までやり通さなければならない。自分の意思では絶対におけない人なんですよね、その人がプロフェッショナルだと思います。

北山安夫

The Professional’s Tools

のど飴

一度作業が始まるとキリが着くまで、現場に立ち続ける北山にとって、のど飴は必需品だと言う。糖分がなくなりお腹が空いたりすると、イラついたりして、要らないことまで言ってしまう。のど飴は、一種の精神安定剤とか。

写真


再生できないデジタルカメラ

「機械は全然ダメ」という北山は、資料用に撮影した映像も自ら見ることはしない。
「残像として残すと、次どこかのときに思い出すんです。人間というのは」という北山は、いつも頭の中に、そのイメージを記録するよう努めている。
その話に茂木の解説。
「脳の内側にある情報というのは生きているんです。だからどんどん変化していく。その中でいろんな創造性が生まれてきたりするので、やはり脳の中にイメージを入れておくことは大事だというのは非常に納得いきます」

写真