2019年5月10日

元経済企画庁長官 故相沢英之さん

相沢さんが愛したビフテキ丼

2019年5月10日

先月、99歳で亡くなった元衆議院議員の相沢英之さん。

旧大蔵省で事務次官を務めたあと政界入りし、経済企画庁長官などを歴任。
今回は、彼がこよなく愛したランチをご紹介します。

衆議院議員を引退したあとも、自民党麻生派の特別顧問を務めていた相沢さん、週に1度、昼どきに開かれる派閥の会合を楽しみにしていたといいます。

亡くなって1か月余り。
派閥の会合で、相沢さんが好きだった「ビフテキ丼」が出されました。

赤坂の老舗洋食屋が誇る逸品。たまり醤油にみりんや砂糖などを加えたタレをつけて、網で焼き上げた黒毛和牛のロースが丼いっぱいに敷き詰められています。

いくつになっても、このビフテキ丼を完食するほどの「肉好き」だったという相沢さん。

背景には、若い頃の過酷な戦争経験があったそうです。
朝鮮半島で終戦を迎えた相沢さんは、旧ソビエト軍によってシベリアに送られ、3年に及ぶ抑留生活を余儀なくされました。

長年、政治行動を共にしてきた麻生副総理兼財務大臣は、次のように振り返ります。

「あの人がシベリアで相当な苦労をしたのは間違いない。決して多くは語らなかったが、あの目の鋭さが、すべてを物語っているとは思わないか」

極寒のシベリアで、満足な食事も取れずに多くの日本人が命を落としたという「シベリア抑留」。
その時の経験が、相沢さんを「肉好き」にさせたのでしょうか。

相沢さんの妻で、女優の司葉子さんに話を聞くことができました。

「夫が『食べることに貪欲なのは、シベリアでの経験があったから』とぽつりと言っていたことがありました。官僚、政治家とずっとハードな仕事だったから、それを支えたのが肉だったのではないでしょうか。合理的な人でしたから、『肉を食べれば、2回の食事が1回で済む』と言ってたこともあります」

「夫は、戦争の記憶はどんどん風化してしまう、あの戦争を語り継がないといけない、自分が先頭に立たなければいけないんだという強い使命感を持っていました」
議員引退後は各地で講演し、シベリア抑留の経験や平和への思いを訴え続けた相沢さん。

ビフテキ丼を愛した政治家は、平和を愛した政治家でもありました。

ごちそうさまでした。