3.11東日本大震災11年
各地で追悼や記憶伝える

あの日から11年の朝「奇跡の一本松」 陸前高田

東日本大震災から11年となる11日、岩手県陸前高田市では「奇跡の一本松」や復旧した砂浜を朝日が照らしだしていました。

「奇跡の一本松」は、震災前におよそ7万本の松林が広がっていた陸前高田市の高田松原で津波に耐え、ただ1本残った松で、多くの人を勇気づけたことで知られています。

震災後、枯れてしまったあともモニュメントとして保存され、陸前高田の復興のシンボルになってきました。

11日朝の陸前高田市は、風がほとんどない穏やかな朝を迎え、午前6時前に太陽がのぼってくると、去年、復旧が終わった高田松原の海岸や静かにたたずむ一本松を照らしだしました。

沿岸部を見渡す高台 日和山で朝の祈り 宮城 石巻

東日本大震災から11年となる11日、津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市では沿岸部を見渡すことができる高台、日和山に訪れた人たちが朝早くから祈りをささげていました。

宮城県によりますと、石巻市では関連死を含めて県内で最も多い3553人が亡くなり、417人の行方がわかっていません。

市内の沿岸部を見渡すことができる高台、日和山では朝早くから訪れた人たちが海に向かって祈りをささげていました。

震災で住宅が津波の被害を受けたという16歳の男子高校生は「3月11日を迎えて朝日を見たいと思ってここに来ました。11年がたちましたが、当時と変わらない気持ちです。この日のことを忘れないようにしたい」と話していました。

また、復興支援のために震災後の9年前に東京から石巻市に移り住んだ64歳の男性は「3月11日は毎年、この場所に来ています。11年たって建物とかが新しくなって町の風景は変わってきていますが、被災者の皆さんは決してまだ気持ちが整理されているわけではないと思います。この被災の経験を広く伝えて防災に役立ててほしいです」と話していました。

福島 南相馬 警察が海岸を捜索

津波による直接被害だけで500人余りが犠牲になった福島県南相馬市の海岸などで、警察が今も行方が分からない人の捜索を行いました。

このうち南相馬市鹿島区の海岸で午前10時半から行われた捜索には、南相馬警察署や福島県警察本部などの警察官合わせて56人が参加し、棒の先端にかぎをつけた「とび口」と呼ばれる道具や熊手を使って砂浜を掘りながら等間隔に並んで広い砂浜を進み、行方不明者の手がかりを探していました。

震災当時、いわき市で被災し去年警察官となって今回の捜索に参加した南相馬警察署の木村友哉巡査は「11年もたちますが当時のことは忘れられないし、行方不明になった人のことを思うと胸が苦しいです。早く見つけてあげたい、どんなに小さな物でも家族の元に返したいという思いで頑張りたいです」話していました。

警察によりますと、福島県では2011年3月11日の巨大地震による津波や土砂災害などで「震災関連死」を除いて1614人が犠牲になり、今も196人の行方がわかっていません。

ロッテ佐々木投手 “悲しみ消えないが多くの人に感謝”

岩手県陸前高田市出身で、当時、岩手県で被災して津波で父親と祖父母を亡くしたプロ野球・ロッテの佐々木朗希投手は9歳のときに東日本大震災で被災し、当時37歳だった父親の功太さんと祖父母が津波に流されて亡くなりました。

佐々木投手はチームの本拠地・千葉市のZOZOマリンスタジアムで練習後に取材に応じ「11年経っても、つらさや悲しみは消えないが、たくさんの方々の支えがあって、今、野球に打ち込めているので支えてもらった方たちに感謝しかない。震災を知らない子どもたちもいると思うが、身近にいる大切な人たちのことを、当たり前だと思わずに向き合ってほしい」と思いを語りました。

岩手 大槌町 旧役場庁舎の跡地で追悼式

津波で役場の職員40人が犠牲になった岩手県大槌町では、津波で全壊して3年前に解体された旧役場庁舎の跡地で追悼式が行われました。

全員で黙とうしたあと平野公三 町長が、去年7月にまとめた、職員が亡くなった経緯を一人一人調べた報告書を献花台にささげました。そして「職員が命を落とすことになった教訓を次の世代につなげることが私の使命です。私たちの大槌町をこれからも見守っていてください」と追悼のことばを述べました。

続いて、参加した遺族が花を手向け、祈りをささげました。福祉課で働いていた兄を亡くした倉堀康さん(38)は「自分のような苦しい思いをほかの人たちにはしてほしくないので、これからも防災・減災について考え、取り組んでいきたいです」と話していました。

この旧役場庁舎の跡地を巡っては、住民などが震災伝承のあり方を含めた活用方法の検討を続けていて、町はこの結果を踏まえて、新年度中に、津波の高さを示すモニュメントなどを整備したいとしています。

仙台 青葉区 犠牲者を悼む祭壇で黙とう

仙台市青葉区にある商店街には11日犠牲者を悼む祭壇が設けられ、手を合わせる人の姿が見られました。地震が発生した午後2時46分に鐘の音が流れると、通りかかった人たちが足を止めて黙とうし犠牲者を悼みました。

宮城 名取 閖上地区 メッセージを書いた風船を空に

宮城県名取市の閖上地区では毎年3月11日に遺族や地域の人たちが集まり、環境に配慮した風船に犠牲になった人へのメッセージを書いて飛ばす取り組みを続けています。11日は地元のほか、ともに追悼したいと県外からも参加者が訪れ、風船に「安らかに眠ってください。これからもずっと忘れません」とか「仲間たちへ。大きな愛をいつもありがとう」などとそれぞれの思いを込めたことばを記しました。

そして地震が起きた午後2時46分にあわせて黙とうをささげたあと、風船を一斉に飛ばしました。

福島 双葉町 災害公営住宅の工事現場で黙とう

東京電力福島第一原子力発電所が立地し、すべての住民の避難が続く福島県双葉町では、住民の帰還に向けて災害公営住宅の建設工事などが進められていて、地震が起きた午後2時46分には作業をしている人たちが黙とうしていました。

町などによりますと、この場所には合わせて32棟、86戸の公営住宅が建設される予定で、ことし10月から順次、入居できるようになるということです。双葉町は、ことし6月にかつての町の中心部で避難指示を解除することを目指しています。

サンドウィッチマン トレーラー型トイレを気仙沼市に寄贈

仙台市出身のお笑いコンビ「サンドウィッチマン」の2人が、災害の際に活用してもらおうと、トレーラー型のトイレを宮城県気仙沼市に寄贈しました。

仙台市出身のお笑いコンビ「サンドウィッチマン」の伊達みきおさんと、富澤たけしさんは10日に気仙沼市役所を訪れ、菅原市長にトレーラー型のトイレの目録を手渡しました。

今回贈呈されるトレーラー型のトイレは、2人がイベントなどを通じて募った義援金で購入したもので、市ではこのトイレを災害時の避難所に設置したり、被災地での復興活動の際に使用することにしています。

富澤さんは「今回の寄贈は、全国の皆さんから集まった気持ちです。届けることができて安心しています」と話していました。

また、伊達さんは「震災では避難所でのトイレが課題となっていたので、さまざまな場面で使ってもらえたらうれしいです。コロナ禍ではありますが、震災から10年以上たち、全国から東北に遊びに来てほしいです」と話していました。