東日本大震災発生から11年
不明者の捜索や伝承続く

東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から3月11日で11年です。年月の経過とともに、教訓をどう語り継ぐかが課題になる中、各地で犠牲者を追悼し、記憶を伝える行事が行われます。

死者・行方不明者2万2200人超

2011年3月11日の午後2時46分ごろ、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東北や関東の沿岸に高さ10メートルを超える津波が押し寄せました。

警察庁などによりますと、これまでに確認された死者と行方不明者は1万8423人となっています。

また、長引く避難生活で体調が悪化して死亡するいわゆる「震災関連死」に認定された人は、復興庁と各都県によりますと今月10日現在で3786人とこの1年で11人増えました。

「関連死」を含めた死者と行方不明者は2万2209人にのぼります。

避難者3万8000人余

避難生活を余儀なくされている人は、減少が続いているものの復興庁のまとめでは先月の時点で3万8139人となっています。

岩手県大槌町の海岸では、10日、警察や海上保安部などが行方不明者の捜索を行いました。

行方不明者の捜索行われる 岩手 大槌町

岩手県によりますと、東日本大震災で県内では、先月末の時点でいわゆる「震災関連死」も含め5144人が犠牲となり、今も1110人が行方不明となっています。

このうち、県内で最も多い416人の行方が分かっていない大槌町では、10日朝、警察や消防、それに海上保安部などから70人余りが集まり、はじめに海に向かって黙とうをささげたあと、捜索活動を始めました。

海岸では、警察官が熊手を使って砂を掘り起こしたり、警察犬と一緒に海岸沿いを調べたりして捜索していました。

また、海上では海上保安部の潜水士が海の中にもぐって行方不明者の手がかりがないか探していました。

捜索にあたった釜石警察署によりますと、管内では震災が発生した翌年の4月を最後に行方不明者の手がかりになるものは見つかっておらず、年月の経過とともに難しさが増しているということです。

釜石警察署地域課の橋本明日香巡査は「大槌町は小さいころに住んでいた思い入れのある土地なので、今も帰りを待つご家族のもとに手がかりを届けられるよう、丁寧に捜索したいと思います」と話していました。

津波に耐え残った「奇跡の一本松」の根 11日から都内で公開へ

岩手県陸前高田市で震災前に7万本あったとされる松林で、津波に耐えて唯一残った「奇跡の一本松」の根が東京 千代田区で11日から一般公開されます。

岩手県陸前高田市の奇跡の一本松は、かつて7万本の松があったとされる「高田松原」で、津波に耐えて唯一残り、被災した人たちを勇気づけてきました。

その後、枯れていることが分かり、モニュメントとして保存するため、松はいったん切り倒され、保存処理が施されて今は元の場所に復元されています。

一方で、根の部分については倉庫に保管されていましたが、多くの人に見てもらおうと11日から東京 千代田区で一般公開されることなり、10日は内覧会が開かれました。

展示された「奇跡の一本松」の根は、高さ2.4メートル幅13メートルで力強く根を張りめぐらせています。

展示を手がけた建築家の内藤廣さんが「奇跡の一本松の根を初めて見たときに衝撃を受けた。実際に見て根が訴えるメッセージをぜひ受け取ってほしい」とあいさつしました。

共催する陸前高田市地域振興部阿部勝部長は「震災から11年になりますが、まだ課題も山積みで復興に至ってはいませんが、東京からはそれがわかりにくいかもしれません。ぜひこの根を見て被災地に思いをはせていただければと思います」と話していました。

この展示会は東京 千代田区で11日から来年2月まで開かれ、来場には事前予約が必要です。

震災犠牲者に静かに祈りささげる石碑が完成 宮城 石巻

東日本大震災の犠牲者に、静かに祈りをささげるための石碑が、宮城県石巻市の復興祈念公園に完成しました。

石碑が建てられたのは石巻市の「石巻南浜津波復興祈念公園」で、地元の住職が犠牲者の遺族などが、静かに祈りをささげられる場所を作ろうと計画し、寄付金などを活用して建てました。

石碑は、高さがおよそ2メートルあり、目を閉じた2つの顔が支え合う形をしていて、その碑文には、「哀しみの中でも愛するあの人をいつも心に」と残された人たちの思いがつづられています。

また10日は、祈る際に鳴らすことができる鐘が石碑のすぐ隣に取り付けられました。

石碑を建てた西光寺住職の樋口伸生さんは、「震災で家族を亡くした人たちが、今も静かに悲しみに耐えていることを世間に知ってほしい。鐘を鳴らしたり、石碑に触れたりしながら気持ちを静めて、いたわり合う気持ちを感じてほしい」と話していました。

追悼と復興への思いを“黄色いハンカチ”に 福島 いわき

東日本大震災の津波の被害や災害の教訓を伝える福島県いわき市の伝承施設で、復興を応援するメッセージなどが書かれた250枚の黄色いハンカチが掲げられています。

黄色いハンカチは、いわき市薄磯地区の海岸近くにある「いわき震災伝承みらい館」の敷地に張ったロープに取り付けられています。

地元では、津波で犠牲になった当時小学4年生の女の子が描いた灯台の絵をデザインしたハンカチが知られていて、地元の語り部の会は、多くの人から追悼と復興への思いを寄せてもらおうと、去年から黄色いハンカチにメッセージを書いてもらう取り組みを行っています。

ハンカチは30センチ四方の大きさで、語り部のメンバーが生地の縁を縫製して手作業で準備したということで、「命の尊さ大切さ伝えよう」とか「しんさいは大変だったけどみんなでこれからも頑張ろう」など、さまざまなメッセージがつづられています。

2回目のことしは、地元や全国各地から合わせて250枚が寄せられ、青空のもと潮風に揺れていました。

いわき語り部の会の大谷慶一さんは、「メッセージを自分で書いたりここで見てもらったりして、命の大切さを考えるとともに、災害に備えるきっかけにしてほしい」と話していました。

黄色いハンカチは3月31日まで、いわき震災伝承みらい館で展示されています。