熊本 蒲島知事 治水転換
新ダム建設を国に求める

ことし7月の豪雨で氾濫した、熊本県の球磨川流域の治水対策をめぐり、かつて「川辺川ダム計画」を白紙撤回した蒲島知事は、これまでの姿勢を転換し、環境に配慮した新たなダムの建設を国に求める考えを表明しました。関係者によりますと、新たなダムは川辺川での建設を想定しているということです。

熊本県の蒲島知事は19日午前、県議会の全員協議会に出席し、7月の豪雨で氾濫した球磨川流域の治水対策について、12年前に、みずからが白紙撤回した川辺川ダム計画への考えも含め、今後の方向性を説明しました。

この中で、蒲島知事は「住民の命を守り、さらには地域の宝である清流も守る、新たな流水型のダムを国に求める」と述べ、みずから主導してきた「ダムによらない治水対策」を転換し、新たなダムの建設を国に求める考えを表明しました。

関係者によりますと、新たなダムは川辺川での建設を想定しているということです。

「流水型」のダムは、大雨の時以外は水をためずに、そのまま流す構造で、従来の「貯留型」のダムと比べ、環境への影響が少ないとされています。

球磨川流域の治水対策をめぐっては、国が先月、川辺川ダムが建設されていれば浸水範囲を6割減らせたなどとする検証結果を示し、流域の市町村長を中心に、ダム建設を求める意見が相次いだ一方、環境への影響を懸念して反対する声も上がっていました。

蒲島知事「県民にとって最適な判断を考えた」

蒲島知事は記者会見で「流域の人たちの民意の本質は何かを考え、命と環境の両立が共通の願いだと感じた」と述べ、今回の判断に至った理由を説明しました。

また、「ダムによらない治水対策」を進めてきたこれまでの姿勢を転換したことについて、「信念を持って政治家として一度決断したことを自分の手で変えなければいけないのは本当につらいことだが、県民にとって最適な判断を考えた」と述べました。

そして、蒲島知事は20日、東京で赤羽国土交通大臣と会談し、新たなダムの建設を直接要請する考えを示しました。

流域被害と国の検証結果

ことし7月4日の記録的な豪雨による球磨川の氾濫で、流域では住宅など6000棟以上が水につかりました。

浸水は、面積が東京ドームおよそ220個分にあたる1020ヘクタールにおよび、このうち少なくとも224ヘクタールで、深さが建物の2階以上に相当する3メートルに達しました。

熊本県内で亡くなった65人のうち、大半が球磨川の氾濫によるもので、死因のおよそ8割が「溺死」か「溺死の疑い」でした。

これを受け、国は、県が計画を白紙撤回した川辺川ダムが建設されていた場合の治水効果をシミュレーションし、その結果を県や流域市町村とつくる検証委員会の場で示しました。

それによりますと、川辺川ダムがあれば今回の豪雨で人吉市周辺で浸水面積をおよそ6割減らせたほか、浸水の深さが3メートル以上に達したエリアを9割減らすことができたと推定しています。

一方で、川辺川ダムがあったとしてもすべての被害を防ぐことはできなかったと結論づけました。

知事が表明 「流水型」のダムとは

「流水型」のダムは、利水や発電などの目的で水量を維持するために水の流れをせき止める「多目的ダム」とは異なり、大雨の時以外は水をためずにそのまま流す構造で、「穴あきダム」とも呼ばれます。

上流から下流にかけて水や土砂の流れを維持できるため、環境への負荷が比較的小さいとされています。

この「流水型」のダムが浮上した背景には、流域の産業を支える観光資源にもなってきた清流の環境が悪化することへの根強い懸念の声がありました。

人吉市の旅館組合などは「なりわいの衰退を招く」としてダム建設に反対の姿勢を取ってきました。

こうした声に配慮するため蒲島知事は「治水の安全度を最大化するとともに環境への影響を最小化する対策を追求する」として「流水型」のダムを軸に調整を進めてきました。

一方、「流水型」のダムをめぐっては専門家の間でも評価が分かれています。

蒲島知事が複数の専門家に行った意見聴取では「流水型ダムでも環境への影響は避けられない」として慎重な対応を求める意見も出されていました。

“民意大きく動いている” 知事の「姿勢転換」 その経緯は

豪雨災害を受け、熊本県の蒲島知事は「政治家として重く受け止めている」と述べ、国や流域の市町村とともに今後の球磨川の治水対策の検討に着手しました。

この中で、国から川辺川ダムが建設されていた場合の治水効果が示されると「ダムも選択肢の1つだ」と述べ、ダム計画の白紙撤回以来、「ダムによらない治水を追求する」としてきたみずからの姿勢を転換させます。

これに対し、流域の市町村長もダム建設を柱とした抜本的な治水対策の実施を強く求めました。

蒲島知事が治水対策の方向性を考える上で、判断の指標にしてきたのが流域の生命財産を守る「治水安全度」と清流・川辺川の自然を守る「環境保護度」とのバランスでした。

そのうえで「豪雨災害後の民意を測る」として球磨川流域の住民や観光業などの各種団体を対象に30回にわたって意見聴取の場を設け、延べおよそ500人から意見を聞きました。

この中では、ダム建設を求める声の一方、環境への影響などを念頭に根強い反対意見も聞かれました。

ダムの建設か、見送りか。

報道陣にその方向性を問われた蒲島知事は「流域の安心安全と環境保護の両立を目指して取り組んでいく」と明言を避ける一方で、「ダム計画を白紙撤回した当時と比べ、民意は大きく動いている」とも述べ、ダム建設に傾く胸の内をのぞかせていました。

人吉市の被災者「大切なのは生命財産 ぜひダムを造って」

ダムの建設をめぐって、ことし7月の豪雨で被災した住民の中には、同じ被害をもう受けたくないとダム建設に賛成する声も出ています。

人吉市では球磨川の氾濫で中心部が水没し、3000棟以上の住宅が全半壊や床上浸水し、20人が犠牲になりました。

川沿いに住む渕上憲男さん(80)は水害に遭うのは今回が3回目で、昭和40年の水害以降家をかさ上げして建て替えましたが、今回の豪雨では3メートル以上の高さまで水が来て2階も浸水しました。渕上さんは2階のベランダに逃れていすに上がり、8時間以上たってから救助されたということです。

渕上さんは「危ないと思ったが、命拾いをした。いすがなかったら、体が冷えてどうなっていたか分からない。壊れた家を見ると涙が出る」と話していました。

自宅は解体しますが、費用がかさむため建て替えはせずに、比較的、被害の少なかったそばの実家をリフォームして住もうと考えています。しかし、平屋のため、来年以降、再び水害に遭うことを懸念しています。

渕上さんが暮らす町内会では、近くの町内会とともに、ダム建設を求める要望書を先月県に提出していて、渕上さんも署名しました。

渕上さんは、「また線状降水帯が発生するかもしれず、今のままでは安心して暮らせない。ダムに反対する人がいう、清流球磨川を守りたいという理由は理解できるが、それ以上に大切なのは生命財産なので、ぜひダムを造っていただきたい」と話していました。

被災の男性「生命財産・環境どちらも守るという判断 安心」

蒲島知事が新たなダムの建設を表明したことについて、7月の豪雨で人吉市の自宅が2階の床上まで浸水する被害を受けたため現在、夫婦ふたりでアパートを借りて暮らしている渕上憲男さん(80)は、「生命財産と自然環境のどちらも守るという判断で安心した。70年余り住んだ愛着のある土地なので、早く戻りたい。ダムができるまで、2人とも元気でいられるかは分からないが、子どもや孫たちの笑顔が戻ることを期待して、ダムの建設に反対された方と協力しながら、今後の動きを見守りたい」と話していました。

建設に反対 相良村の漁業関係者は

川辺川は良質なあゆがとれる清流として全国に知られています。その清流を守ろうと漁業関係者からダムの建設に反対する意見も出ています。

ダムが建設される相良村で川漁師をしている田副雄一さん(50)は、12年前に蒲島知事がダム計画を白紙撤回すると表明したのをきっかけに川漁師になりました。

田副さんは「転勤で人吉・球磨地方に来たとき清流で仕事がしたいと考え、蒲島知事がダム計画を白紙撤回したので清流が守られると思って川漁師になりました」と話していました。

しかし、今年7月の豪雨以降、川の環境が変わり、あゆが釣れない日が続いています。さらにダムの計画が再び持ち上がったため環境がさらに悪化してしまうと心配しています。

川漁師として生活を続けていけるのか不安を抱えるなか、田副さんは清流を守ろうと、先月、治水対策をめぐる住民の意見を聴く会に出席してダムの建設に反対する意見を知事に直接、伝えました。

田副さんは「ダム湖のヘドロ化が発生すれば水質は悪くなり、河川の生態系への影響やあゆ、やまめの質の低下は避けられない。まずは河川に堆積した土砂の撤去や堤防の強化をしてほしい」と話していました。

人吉市の旅館経営者 「結論早すぎで残念 もっと議論を」

昭和9年から3代続く熊本県人吉市の老舗旅館「人吉旅館」を経営する堀尾謙次朗(63)さんは、蒲島知事が新たなダムの建設を表明したことについて「結論を出すのが早すぎで表明は残念です。もっと議論してほしかった」と話しています。

そのうえで堀尾さんは、「ダムの建設によって天然のアユなどがよく捕れる清流、川辺川の環境が壊され、観光資源としての川辺川が失われてしまうのではないか」と心配していました。

堀尾さんの旅館は豪雨で21の客室のうち13室が浸水被害を受け、豪雨から4か月以上たった今も復旧の見通しは立っていないということです。

川辺川のダム建設めぐる経緯

球磨川流域の治水対策をめぐっては、これまで、さまざまな議論が繰り広げられてきました。

長年、その柱となってきたのが、球磨川最大の支流、川辺川でのダムの建設です。

きっかけは今から55年前、昭和40年のおよそ1万4000棟が被災した球磨川の氾濫でした。

翌年、国は、この時を上回るおよそ80年に1度の洪水にも対応できる川辺川ダムの建設を打ち出したのです。

しかし、ダムの建設によって水没する地域の住民や、環境の変化を懸念する流域の漁業者などを中心に反対運動が展開され、当初、昭和56年完成とされていたダムの計画は遅々として進みませんでした。

その一方で、ダム以外の治水対策を模索する動きが広がりを見せ、平成20年に当選した蒲島知事が「ダムによらない治水対策の追求」を表明。

川辺川ダムの建設は、白紙撤回されました。

その後、本格的な検討に着手した「ダムによらない治水対策」。

川幅の拡大や川底の掘削、それに洪水の際、一時的に水をためる遊水池の整備など、複数の対策を組み合わせる方法が検討されました。

しかし、去年11月に示された10パターンの具体案では、それぞれ、
▽工期が45年から最長で200年に及び、
▽費用も2800億円から1兆2000億円かかるとされ、実現可能性が疑問視されていました。

そして、抜本的な対策が講じられないまま、再び球磨川は氾濫したのです。