部恒三 元衆議院副議長
死去 88歳

衆議院の副議長や閣僚などを務めた渡部恒三氏が亡くなりました。88歳でした。

渡部恒三氏は福島県議会議員を経て、昭和44年の衆議院選挙で初当選して以降、衆議院議員を連続14期務めました。

この間、自民党の田中派、その流れをくむ竹下派に所属し、国民民主党の小沢一郎氏や小渕元総理大臣らとともに、「竹下派七奉行」と称されました。また、厚生大臣や自治大臣、通商産業大臣や自民党の国会対策委員長などを歴任しました。

その後、小沢氏らと自民党を離党し、新生党や新進党の結党に参加しました。

平成8年には衆議院副議長に就任し、7年近く、議会運営に力を尽くしました。民主党時代の平成18年、いわゆる「メール問題」で、党が窮地に陥った際には、国会対策委員長に就任して立て直しにあたりました。

また、野田前総理大臣や、岡田元副総理、前原元外務大臣らの指導にもあたり、民主党政権を支えました。

出身地の会津のことばを使う独特の話し方と気さくな人柄で、渡部氏は、多くの人に親しまれました。

そして、平成24年の衆議院選挙には立候補せず政界を退いていました。

国民 小沢氏「人間味あふれ 誰からも愛される政治家」

国民民主党の小沢一郎衆議院議員は、「突然の訃報に接し、深い悲しみを覚える。最初の当選の時から同じ東北出身ということで意気投合し、その後も田中派で行動をともにした間柄で、政権交代も、ともに力を合わせて実現した大切な仲間の1人だ。本当にユーモラスで人間味あふれ、誰からも愛される魅力的な政治家だった。心よりご冥福をお祈り申しあげたい」というコメントを出しました。

立民 安住氏「立場の異なる人を包み込んでいく人」

立憲民主党の安住国会対策委員長は、記者団に対し、「同じ東北地方選出の国会議員ということで、公私ともにご指導いただいた。今の野党には足りないものを持っていて、ぎすぎすした政策論だけではなく、おおらかな人間関係の中で、立場の異なる人を包み込んでいく人だった。非常に残念だ」と述べました。

自民 石破氏「人の心を捉える立ち居振る舞い」

自民党の石破元幹事長は、記者団に対し、「政治家になる前、田中角栄 元総理大臣の自宅に行った際、初入閣したばかりの渡部氏がその場にいて、人の心を捉える立ち居振る舞いに感心した覚えがある。新進党で一緒だった時期もあるが、自民党とは何かというのを、よくご存じで、国民に対して果たすべき責任は何かを常に考えていた」と述べました。