横田滋さん死去 87歳
拉致されためぐみさんの父

中学1年生の時に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、40年以上もの間、娘の救出活動を続けてきた横田滋さんが5日午後、老衰のため亡くなりました。87歳でした。
横田滋さんは昭和52年、中学1年生の時に新潟市の学校から帰る途中、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、40年余りにわたって娘の救出を訴えてきました。
平成9年に拉致被害者の家族会が結成されてからは、会の代表として、妻の早紀江さんとともにすべての都道府県を回り、救出を求める署名活動や1400回を超える講演を重ねてきました。
平成17年の暮れに血小板の難病を患っていることが分かり、これに長年の活動による疲労も重なって、13年前に家族会の代表を退きましたが、「拉致問題への世論の関心を維持しなければ」と、定期的に病院で検査を受けながら各地で被害者の帰国を訴え続けてきました。
平成26年には、モンゴルでめぐみさんが北朝鮮で産んだ孫に当たるウンギョンさんと面会しましたが、その場にめぐみさんの姿はなく、娘を救出する覚悟を新たにしていました。
早紀江さんとともに“拉致被害者の救出運動のシンボル”として活動の先頭に立ってきた滋さんですが、解決にあまりにも長い時間がかかるなか、足腰の衰えに加え、会話にも詰まるようになり、全国を回っての講演活動などは平成28年3月を最後にできなくなっていました。
めぐみさんが拉致される前日の自分の誕生日に娘からプレゼントされたくしを大切にしてきた滋さん。高齢となり解決が時間との闘いとなるなか、被害者の一刻も早い帰国に向けた北朝鮮の決断と日本政府の取り組みを求めていました。
滋さんは、体調を崩しおととし4月から川崎市内の病院に入院していましたが、5日午後2時57分に老衰のため亡くなりました。
滋さんの救出活動の歩み
横田滋さんは、娘のめぐみさんの救出活動に人生をささげてきました。
昭和52年、中学1年生のときに新潟市の学校から帰る途中、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん。
滋さんは、めぐみさんの写真を公開して行方を捜し続けましたが、20年近く有力な情報は得られませんでした。
平成9年にめぐみさんが北朝鮮にいるという情報が寄せられ、3月にはほかの家族とともに拉致被害者の家族会を結成してその代表に就任しました。
当時、銀行員だった滋さんと主婦の早紀江さんは人前で話すことに慣れていませんでした。
署名集めを中心に活動しましたが、メディアや世の中の関心は低く、「本当に拉致なんてあるのですか」と疑いの声をかけられたこともあったといいます。
そうした中でも、毎年10月のめぐみさんの誕生日には、夫婦でケーキを買って再会を誓い合ってきました。
そして、平成14年の日朝首脳会談で北朝鮮のキム・ジョンイル総書記が初めて拉致を認め、5人の被害者が帰国しました。
このとき、めぐみさんの帰国はかないませんでしたが、拉致被害者の救出を求める世論が一気に高まりました。
滋さんは依頼があれば、断ることなく全国どこにでも駆けつけ、1日に何件も取材を受けたり講演を行ったりして精力的に活動を続けました。
滋さんが持っていたチラシの裏やノートにはびっしりとスケジュールが書き込まれていました。
しかし、年齢を重ねるにつれて、たびたび体調を崩すようになり、平成19年に家族会の代表を退任しました。
退任時の記者会見では「種をまき続ければ必ず花は咲く」などと話し、娘との再会を誓っていました。
滋さんは代表を退いたあとも講演を続けその回数は1400回を超えました。
しかし、足腰の衰えに加え会話にも詰まるようになり、平成28年3月を最後に講演活動などはできなくなっていました。
横田さん家族「気持ちの整理がつかない状態」
妻の横田早紀江さん、それに息子の拓也さんと哲也さんはコメントを発表し「先日から入院していた夫の横田滋が本日午後2時57分、老衰のため息を引き取りました。これまで安倍総理大臣をはじめ多くの方々に励ましやご支援をいただきながら、北朝鮮に拉致されためぐみを取り戻すために、主人と二人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」としています。
横田めぐみさん 拉致の経緯
横田めぐみさんは1977年11月、バドミントンの練習を終えて新潟市の中学校から帰る途中、行方が分からなくなりました。当時13歳、中学1年生でした。

警察犬による捜査の結果、めぐみさんのにおいは自宅まであと50メートルほどの曲がり角で途絶えていました。その後、行方は全く分からず、北朝鮮に拉致されたとする情報がもたらされたのは、20年近くたった1997年でした。
それから5年後の2002年9月、当時の小泉総理大臣が北朝鮮を訪問して行われた日朝首脳会談で、北朝鮮は拉致を認める一方、「めぐみさんは死亡した」と説明しました。
しかし、その説明には矛盾や誤りが多く、2004年の日朝実務者協議の時に北朝鮮が「めぐみさんのものだ」として出してきた遺骨からは別人のDNAが検出されました。
また、北朝鮮が示した「めぐみさんのカルテ」とされる文書に記載された人物の年齢も、めぐみさんの当時の年齢と異なっていました。
政府は、北朝鮮の説明には信ぴょう性がないとして、めぐみさんを含むすべての被害者の早期帰国を求めてきました。めぐみさんは現在、55歳です。
安否不明の拉致被害者の親 健在は2人に
政府が認定している拉致被害者のうち安否が分かっていない12人の親で、子どもとの再会を果たせずに亡くなった人は、平成14年の日朝首脳会談以降だけでも、横田滋さんで8人になります。
最近ではことし2月に拉致被害者、有本恵子さんの母親の嘉代子さんが94歳で亡くなりました。
拉致問題はことし、最初の事件の発生から43年、被害者の家族会が結成されてから23年となり、解決にあまりにも長い時間がかかるなか、「生きているうちに再会を果たしたい」という家族の思いはこれまで以上に強くなっています。
横田滋さんの死去で、今も健在な親は、横田めぐみさんの母親の早紀江さんと、有本恵子さんの父親の明弘さんの2人になり、拉致問題の解決は時間との闘いになっています。
日本人拉致問題とは
政府が北朝鮮による拉致被害者と認定している17人は、昭和52年から58年までの7年間に相次いで拉致されました。このうち5人は、平成14年の日朝首脳会談のあと帰国を果たしています。
このほかの12人の被害者について、北朝鮮は「死亡」または「入国していない」と主張していますが、「横田めぐみさんのものだ」として出してきた遺骨から別人のDNAが検出されるなど、その説明には矛盾や誤りがありました。
政府は、北朝鮮の説明は信ぴょう性が疑われ受け入れることはできないとして、すべての被害者の早期帰国を求めています。
北朝鮮の説明には矛盾や不自然な点
政府が認定している拉致被害者のうち、安否がわからない12人に関するこれまでの北朝鮮の説明には矛盾や不自然な点がありました。
北朝鮮は平成14年の日朝首脳会談で拉致を認めて以降、8人の被害者について、「死亡した」とする説明をくり返してきました。
しかし、死亡を証明する書類が存在しなかったほか、「横田めぐみさんや松木薫さんのものだ」として出してきた遺骨から別人のDNAが検出されるなど、説明を裏付ける客観的な証拠は示されていません。
また「ガス中毒」や「心臓まひ」など、8人が死亡に至った状況に関する説明にも不自然であいまいな点がありました。
さらに大韓航空機爆破事件の実行犯で北朝鮮の工作員だったキム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚に田口八重子さんが日本語を教えていた事実や、よど号ハイジャック事件のメンバーと妻が一部の日本人拉致に関わっていたことなど、帰国した拉致被害者の証言や警察の捜査で判明していることと食い違う点も多く、政府は、これまでの説明は「信ぴょう性が疑わしい」と判断しています。
このほか、北朝鮮が入国そのものを否定したり未確認だとしている4人のケースについても、警察の捜査で拉致への北朝鮮の関与が明らかになっています。
北朝鮮「解決済み」の立場
拉致問題について北朝鮮は、2002年の日朝首脳会談でキム・ジョンイル(金正日)総書記が初めて拉致を認めて謝罪し、5人の被害者が帰国したことなどから「解決済み」という立場です。
北朝鮮は、2014年に特別調査委員会を立ち上げて、拉致被害者を含む日本人行方不明者の再調査に応じると表明しました。
しかし、2016年に、北朝鮮が核実験や事実上の長距離弾道ミサイルの発射を強行したことを受けて、日本政府が制裁措置を決めたところ、一方的に特別調査委員会を解体すると発表しました。
去年5月には、安倍総理大臣が拉致問題の解決に向け、前提条件をつけずに日朝首脳会談の実現を目指す考えを明らかにしましたが、北朝鮮側は「われわれへの敵視政策は何も変わっていない」として、応じる姿勢をみせていません。
去年11月、北朝鮮外務省のソン・イルホ日朝国交正常化担当大使は談話を発表し、「『拉致』や『圧迫』などの粗悪な単語しか思い浮かべることができないのが安倍だ」と名指しで批判したうえで、「永遠にピョンヤンの敷居をまたぐ夢すら見るべきでない」として反発しています。
北朝鮮の国営メディアは、その後も安倍総理大臣を名指しで批判しながら、日本による植民地支配の謝罪や賠償を求めています。
また北朝鮮は、日本政府が北朝鮮に対する国連安全保障理事会の制裁決議を着実に履行するよう訴え、輸出入の全面禁止などの日本独自の制裁を維持していることにも反発しています。
政府認定の拉致被害者で安否不明は12人
政府が認定している拉致被害者のうち、安否がわかっていない12人は次の方々です。
▼1977年9月に石川県の海岸で行方不明になった、東京で警備員をしていた久米裕さん(当時52)
▼同じ年の10月に鳥取県米子市の自宅近くで行方が分からなくなった松本京子さん(当時29)
▼その翌月の11月に新潟市で学校から帰る途中、行方不明になった当時、中学1年の横田めぐみさん(当時13)
▼1978年の6月ごろ、ヨーロッパに向けて出国したあと消息が途絶えた神戸市出身の田中実さん(当時28)
▼同じ年の6月に1歳と2歳の幼い子どもを残したまま行方不明になった埼玉県出身の田口八重子さん(当時22)
▼その年の8月に鹿児島県の浜に夕日を見に出かけたまま行方が分からなくなった市川修一さん(当時23)と増元るみ子さん(当時24)
▼同じ月に新潟県の佐渡で行方不明になった曽我ひとみさんの母親のミヨシさん(当時46)
▼1980年6月に宮崎市の海岸で消息が途絶えた大阪の中国料理店の店員だった原敕晁さん(当時43)
▼同じ年、スペインで行方不明になった札幌市出身の石岡亨さん(当時22)と熊本市出身の松木薫さん(当時26)
▼1983年にロンドン留学を終えてヨーロッパを旅行中に行方が分からなくなった神戸市出身の有本恵子さん(当時23)
拉致被害者家族会 飯塚代表「大変残念」
拉致被害者家族会の代表で田口八重子さんの兄の飯塚繁雄さんは、NHKの電話インタビューに応じ、横田滋さんが亡くなったことについて「長い間家族を取り戻すために活動した仲間がいなくなるのは非常に残念で、家族にとっては大変気の毒だ。考えてみれば、こういう状態になるのは当たり前で、何もしないでほったらかしにしたら、日にちがどんどんたっていく。家族も被害者も年をとって病気になるのはわかっている。事前に感知してこうならないようにどうするか考えていかなければ今後とも同じ状況が繰り返される。私個人も体調が弱っていてほうっておけばこうなる。残念だが政府なり、担当者が実態踏まえてこうなる前にどうしたらいいのか考えて対応してもらいたい」と述べました。

さらに「活動した仲間がどんどん減って少なくなってきた。私たちの活動が、北朝鮮にちゃんと届いているのか、どうやったら取り返せるのか。はっきりと打ちだしていかないと、なにもしないで時間だけがたつという状態が続くと、なんのために努力をしてきて、北朝鮮にいる家族のために早く助けたいために頑張ってきたのか。これが消えてしまう。ほっとけばこうなるということを各担当は認識していただいて早急に手を打っていただきたい」と述べました。
飯塚耕一郎さん「いつも優しく接していただいた」
田口八重子さんの長男で母親が拉致された時、1歳だった飯塚耕一郎さんは取材に対し、「滋さんとは、救出活動以外にも、食事などでご一緒しましたが、いつも優しく接していただきました。一目だけでも、めぐみさんと会わせられなかったのかと、悔しい気持ちでいっぱいです」と話しました。

そのうえで、「被害者と再会できない家族がまた1人増えたことに、悲痛な思いを抱いています。このような悲劇が二度と起こらないよう、日本政府には被害者全員の帰国に向けた具体的なアクションを起こしてほしいし、キム・ジョンウン(金正恩)委員長には賢明な判断を強く求めたい」と話しました。
曽我ひとみさん「会わせてあげたかった」
横田めぐみさんと北朝鮮で一時、一緒に暮らしていた拉致被害者の曽我ひとみさんは、6日、新潟県佐渡市で記者会見し6日朝、書き上げたという横田滋さんへの手紙を読み上げました。

この手紙の中で、曽我さんは、「帰国してからの出来事が次々と思い出され、くやしくて、くやしくてこんなに頑張ってきたのにめぐみさんに会うことはなく天国に旅立ってしまった」としています。
そして曽我さんの帰国前から滋さんが拉致被害者の救出運動に取り組んだことについて「私の人生を救ってくれたこと、心から感謝してもしきれません。なのに、私は何の恩返しもできませんでした。めぐみさんに会わせてあげたかった。たくさん話をさせてあげたかった」と滋さんへの思いを表現しています。
曽我さんは、昭和53年8月に佐渡から拉致され、平成14年に帰国を果たしました。
横田めぐみさんとは、北朝鮮で一時、一緒に暮らしていたこともあるということで「めぐみさんはお父さんについてとても優しくて笑顔がとてもすてきだといつも話をしていました。
めぐみさんもお父さんに似てとても優しい子でした。長い間、一生懸命活動して帰国を待っていてくれたことその苦労・苦しみは、会えなくても、絶対にめぐみさんに伝わっていると思います」と話していました。
また、政府に対して「拉致被害者全員が家族のもとに1日でも1分でも早く帰れるよう力を尽くしてほしい」と訴えました。
地村保志さんと妻の富貴恵さん「本当に残念」
北朝鮮に拉致されたあと平成14年に帰国を果たした地村保志さんと妻の富貴恵さんがコメントを発表しました。

この中で2人は「滋さんには拉致被害者の家族会の代表として、われわれ被害者の救出に大変なご尽力をいただき、深く感謝申し上げます。滋さんとめぐみさんとの再会がかなわず本当に残念でなりません」としています。
そのうえで「拉致被害者の家族は高齢化し、解決には一刻の猶予もありません。問題が早期に解決され、母、早紀江さんと娘、めぐみさんが再会できますことを、心より願ってやみません」とコメントしています。
蓮池薫さん「帰国に一歩でも近づく方向に」
北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親の横田滋さんが亡くなったことを受けて、拉致被害者で、18年前に帰国した蓮池薫さんが6日NHKの取材に応じ、「滋さんのためにも被害者の帰国に一歩でも近づく方向にしていかなければならない」などと話しました。

北朝鮮に拉致され、18年前に帰国した蓮池さんは、「めぐみさんに対する愛情が非常に強い方で、救出活動の先頭に立ち、燃え尽きるまで闘ってこられた。非常に尊敬していますし、再会が果たせずとても胸が痛いです」と話しました。
また、蓮池さんは、めぐみさんとピョンヤン市内の同じ地区で生活していた当時の様子を滋さんに伝えたときのことを振り返り「滋さんに、めぐみさんの話をすると『それで?それで?』とものすごくうれしそうな顔で聞いてくれました。1400回を超える大変な回数の講演を行ってきたのは、愛情が原動力だったのだと思います」と悼みました。
そして、「政府に対しては、この状況を打開するために大胆な策を考えていたのかどうか、不満です。滋さん亡き後、残された親も少なくなり、いち早く帰国の実現に向けた戦略にベクトルを向けてほしい」と述べたうえで、「救出活動を行う世代がかわったとしても被害者救出への世論がかわらずに盛り上がれば、北朝鮮の政策に影響を与えると思います。滋さんのためにも解決に一歩近づく方向に持って行かなければならない」などと訴えました。
拉致被害者 市川修一さんの兄「すごくさみしく悲しい」
鹿児島県の拉致被害者、市川修一さんの兄、市川健一さんは5日夜、NHKの取材に対し、「すごくさみしく悲しいです。滋さんは心の中で悲しいという思いを抑えながら、いつもにこにこして各地で講演するなどしていました。その姿が印象に残っています。滋さんが亡くなり、一層家族が団結し、めぐみさんを含めた被害者全員を奪還できるようにたたかっていきたい」と話しています。
拉致被害者 松木薫さんの姉「混乱してことばにならない」
熊本市出身の拉致被害者、松木薫さんの姉でこれまで横田滋さんとともに救出活動に取り組んできた熊本県菊陽町の斉藤文代さん(74)は「今は混乱してことばになりません。滋さんの笑顔と優しさが忘れられません。同じ拉致被害者の家族として本当に残念でしかたがなく悲しいです」と話しています。
拉致被害者 有本恵子さんの父「ずっと活動してくれて感謝」
横田滋さんが亡くなったことについて、神戸市出身の拉致被害者、有本恵子さんの父、明弘さん(91)は、「とてもいい人だった。残念だが天命だと思うしかない。拉致被害者の家族会の代表就任を頼んで以来、ずっと活動をしてくれて、一番、感謝している」と述べました。
そして、「横田さんは妻の早紀江さんと一緒に北海道から九州まで飛び回って拉致問題を伝える活動してくれたことにとても感謝している。横田さんがいたからここまで活動してくることができた。早紀江さんに次に会った時には慰めたい」と話していました。
拉致被害者 石岡亨さんの兄「無念だったと思う」
北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんの父親、滋さんが亡くなったことについて同じく北朝鮮に拉致された札幌市出身の石岡亨さんの兄の章さん(65)はNHKの取材に対し「拉致問題で長く相当な覚悟を持って活動を続けてきたのに、めぐみさんが帰国するという報いが一切なく無念だったと思う。事情は違うがうちの両親も弟と会えないまま亡くなっていて、ほかの家族も同じ気持ちだと思うが非常に残念だ」と述べています。
拉致被害者 松本京子さんの兄「政府はいち早く解決を」
鳥取県米子市の拉致被害者、松本京子さんの兄でこれまで、横田滋さんとともに救出活動に取り組んできた孟さんは「何より滋さん自身がめぐみさんが元気で帰って来て、家族で一緒に暮らすことを心待ちにされていた中で、願いがかなわず旅立たれたことは本当に残念だ。帰りを待つ家族が生きているうちに拉致被害者を救出できるよう全力を挙げて頑張っていかないといけないし、政府にはいち早く解決してほしい」と話していました。
拉致被害者 増元るみ子さんの弟「ことばもありません」
拉致被害者の増元るみ子さんの弟の増元照明さんは「闘病生活が長かったものの、悪化しているとは聞いていなかったのでショックというか、ことばもありません。被害者を取り戻すための活動は滋さんが10歩も100歩も先を歩いてわれわれを引っ張ってくれたシンボル的な存在でした。次はめぐみさんが帰ってくる番だと思って、頑張ってくれていたのにいまだに帰国を果たせないというのは納得がいきません」と話していました。
そのうえで「家族の帰国を求めていく私たちの強い思いは変わりません。拉致問題について国民に理解をしてもらい、後押しをしてもらいたい」と話しています。
首相「断腸の思い 申し訳ない思いでいっぱい」
中学1年生の時に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親の、横田滋さんが亡くなったことを受けて安倍総理大臣は5日夜、記者団に対し、「総理大臣としていまだにめぐみさんの帰国が実現できていないことは断腸の思いであり、申し訳ない思いでいっぱいだ」と述べました。

この中で、安倍総理大臣は「本当に残念だ。ご冥福を心よりお祈り申し上げる。早紀江さんはじめご遺族に心からお悔やみ申し上げたい」と述べました。
そして、2002年の10月に5人の拉致被害者が帰国した際のことに触れ、「その場で写真を撮っていた滋さんの目から涙が流れていたことを今でも思い出す。あの場にめぐみさんがおられないこと、どんなにか残念で悔しい思いだったか」と述べました。
そのうえで、「滋さんが早紀江さんとともに、その手でめぐみさんを抱きしめることができる日が来るようにという思いでこんにちまで全力を尽くしてきたが、総理大臣としていまだに実現できていないことは断腸の思いであり、本当に申し訳ない思いでいっぱいだ。めぐみさんをはじめ、拉致被害者の方々のふるさとへの帰還、帰国を実現するためにあらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動していかなければならない」と述べました。
また安倍総理大臣は日朝首脳会談に向けた進捗状況について、「さまざまな困難はあるが、何としても被害者の方々の帰国に向けて、政府として、さまざまな動きを見逃すことなく、チャンスを捉えて果断に行動して実現していきたい」と述べました。
拉致被害者の救出を願うブルーリボンのバッジを身につけた安倍総理大臣は目に涙を浮かべながら、ひと言ひと言、区切るように話していました。
菅官房長官「大変に残念であり 申し訳ない」
拉致問題担当大臣を兼務する菅官房長官は5日夜、記者団に対し「まず悲報に接して、まさに痛恨の極みであり、早紀江さんをはじめご家族の方々に、心からお見舞いを申し上げたい。拉致問題担当大臣として、めぐみさんを滋さんに会わせることができなくて、大変に残念であり、申し訳なく思っている」と述べました。
そのうえで「私自身、国会に議席を得てから全力で取り組んできた。現在、安倍内閣で拉致問題担当大臣として、結果論だが、遅々として進まない現状に対し、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだし、何としても、めぐみさんを日本に取り戻したいという思いで頑張っていきたい」と述べました。
自民 古屋氏「本当に残念至極」
拉致問題の解決を目指す超党派の議員連盟の会長を務める自民党の古屋 元拉致問題担当大臣はNHKの取材に対し「横田さんは、日本の国民に拉致問題を認識させ、北朝鮮を絶対に許さないという世論を作り上げるため、本当に献身的に尽力された。ワシントンに頻繁に行って政府高官に訴える姿は今でも目に焼き付いている。めぐみさんとの再会を果たす前に他界されたことは本当に残念至極だ。私たちは滋さんの気持ちを心に刻んで、これからも拉致問題の解決のため、全力を尽くしたい」と述べました。
無所属 松原氏「全員奪還のために全力で戦う」
拉致問題の解決を目指す超党派の議員連盟の幹事長を務める、無所属の松原仁・元拉致問題担当大臣はNHKの取材に対し、「大変残念だ。めぐみさんと抱き合う姿を見たいと国民の多くが望み、何よりも本人が望んでいたが、かなわないまま亡くなられたのは日本の外交の敗北だ。滋さんの死をむだにすることなく、拉致被害者全員の奪還のために全力で戦うことを誓いたい。安倍政権に拉致問題の解決を迫り、応援したい」と述べました。
自民 山谷氏「申し訳ない気持ちと悲しみでいっぱい」
自民党の拉致問題対策本部長を務める山谷・元拉致問題担当大臣はNHKの取材に対し、「病室でもめぐみさんの写真を飾りながら、必ず会うという気持ちでいらしただけに、本当に申し訳ない気持ちと悲しみでいっぱいだ。めぐみさんを1日も早く日本に連れ戻すという気持ちをますます強くしながら、全力で解決に向けて進んでいかなければいけない」と述べました。
「救う会」会長「痛恨の極み」
拉致被害者の家族の支援団体「救う会」の西岡力会長は「めぐみさんの再会より前にこの日が来てしまったことは痛恨の極みで、こんな理不尽なことがあっていいのかと悔しく思います。滋さんは拉致問題が本当に起きていることを世の中に知らしめ、長年にわたって家族の帰国を訴えてきました。娘に会いたいという親の愛を近くで感じていたので、いまだに被害者の帰国がかなわないことに怒りを感じます」と話しています。
また、今後の活動については「親の世代が子どもたちに会うことが解決だと考えているので、北朝鮮に対して全員の一括帰国というハードルは決して下げずに強い姿勢で求めていきたい」と話しています。
韓国拉致被害者家族でつくる団体代表「胸が痛い」
横田滋さんが亡くなったことについて、生前交流のあった韓国の拉致被害者家族でつくる団体のチェ・ソンヨン(崔成龍)代表はNHKの取材に対し、「本当に残念だ。めぐみさんが戻ってくることを望んでいたが、それがかなわずに亡くなり、胸が痛い」と述べました。
滋さんについては「一緒にビールを飲んだこともある。紳士的でもの静かな方で、尊敬すべき人だった」と振り返りました。
そのうえで、「娘のめぐみさんが無事かわからないまま亡くなり、同じ被害者の立場として心が痛む。北朝鮮は拉致被害者について、今からでも明らかにしてほしい」と述べました。
チェ代表は、北朝鮮でめぐみさんが結婚していた韓国人男性の調査に取り組み、横田さんとも交流がありました。
拉致可能性のタイ人女性のおい「深い悲しみ」
横田滋さんが亡くなったことについて、北朝鮮に拉致された可能性が高いとみられるタイ人女性、アノーチャー・パンチョイさんのおいのバンジョンさんは「私が日本の集会に出席する際には毎回、めぐみさんのご両親である滋さんと早紀江さんにお会いしてお話をして来ました。深い悲しみを表します」とコメントしました。
タイ北部チェンマイ出身のアノーチャーさんは1978年に出稼ぎ先のマカオから失踪し、その後、拉致被害者の曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんの証言から北朝鮮に拉致された可能性が高いことがわかっています。
バンジョンさんは拉致問題の解決を訴えるため、横田さんや日本の拉致被害者の家族と交流を続けていて、「滋さんとのお別れは大きな悲しみです」とコメントしています。
拘束された米大学生の母「悲劇的なこと」
横田滋さんが亡くなったことについて、北朝鮮で1年以上拘束され、帰国後に亡くなったアメリカの大学生、オットー・ワームビアさんの母親のシンディーさんは5日、NHKの取材に対し、「滋さんが亡くなったのは悲劇的なことです。滋さんは北朝鮮がキム一族の指示で美しい娘を奪った日からきっと深く悲しまれてきたことでしょう。ご家族の平穏を祈ります」と悼みました。
またシンディーさんは拉致を実行した北朝鮮について、「なぜ、いまだにこのようなけだものが私たち家族を苦しめることが許されているのでしょうか」と強く批判しました。
シンディーさんは、オットーさんが亡くなってから北朝鮮の責任を問い続けていて、去年5月にはワシントンで行われたシンポジウムに横田めぐみさんの弟の拓也さんとともに出席し、北朝鮮に拉致された被害者の帰国に向けて協力したいと話すなど、被害者の家族にも思いを寄せていました。
国連の特別報告者「悲痛な思い」
横田滋さんが亡くなったことについて、国連の人権理事会の決議に基づき、北朝鮮の人権状況を調査している国連のキンタナ特別報告者はNHKの取材に対し、「娘を抱きしめることもできず、生存に関する情報が全く得られなかったことを考えると、悲痛な思いだ。娘を取り戻そうと、諦めずに闘う滋さんと妻の早紀江さんの姿は拉致問題に取り組む人々を奮い立たせてくれた」とコメントしています。
キンタナ特別報告者は2016年の就任以降、日本の拉致被害者の家族とほぼ毎年面会していて、いまだに解決に至っていないことについては「早紀江さんとめぐみさんの弟に申し訳ない」としています。
そのうえで、「北朝鮮から信頼できる情報が得られ、すべての拉致被害者が家族のもとに戻るまで、国連は恐ろしい人権侵害に伴う責任を果たすよう、北朝鮮に求めていく」として、引き続き解決に取り組む考えを示しています。
米国務省「拉致問題解決を強く求め続ける」
アメリカ国務省は5日、NHKに対し、「横田滋さんのご家族に深い哀悼の意を表します」とする報道担当者のコメントを出しました。
そのうえで国務省は「アメリカは北朝鮮に対し、日本人を拉致した問題を速やかに解決するよう強く求め続ける」として、今後も北朝鮮に対し、拉致問題の解決を求めていくと強調しました。
妻 早紀江さんの親友「ただただ悔しい思いでいっぱい」
横田滋さんの妻、早紀江さんの親友で家族ぐるみのつきあいをしてきたという斉藤眞紀子さんは「ただただ悔しい思いでいっぱいです。早紀江さんからは電話でよく入院中の滋さんの様子を聞いていました。早紀江さんが面会に行った時に『みんながお祈りしているからめぐみもきっと大丈夫』と話しかけると、滋さんは『うん』とうなずいてベッドの脇に置いていためぐみさんの写真を見つめていたそうです。しかし、この2か月ほどは『新型コロナウイルスの影響でなかなか面会できない状況が続いている』とも話していました。一目でもいいからめぐみさんに会わせてあげたかった。本当に残念です」と話していました。
めぐみさんの同級生「やりきれない気持ちしかない」
横田めぐみさんの中学校の同級生で横田滋さん夫妻を長年にわたって支援してきたバイオリニストの吉田直矢さんは「いま知ったばっかりで、ただただショックです。信じられません。滋さんが入院されてからは心配していたものの、必ず回復してくれるものと信じていた。元気なうちにめぐみさんと再会する、その1点を目標にこれまでがんばってきたのにかなわなかった。やりきれない気持ちしかないです」と声を震わせながら話していました。
夫妻と交流のジャーナリスト「無念の一言」
拉致問題に詳しいフリージャーナリストで、横田さん夫妻とも交流があった石高健次さんは「めぐみさんの安否がわからないままここまで待たされ、つらい思いのまま旅立たれたのは無念の一言です。生きて帰る娘を抱きしめるため、ずっとやってこられたが、その間、希望と絶望に翻弄され、いなくなったその日のままの気持ちで自分の命を終えられたのは非常につらかったと思います。政府はありとあらゆる方法で、めぐみさんの安否の情報をつかんでほしい。それしかありません」と話していました。