交評論家 岡本氏
沖縄からも哀悼の声

新型コロナウイルスに感染して亡くなった外交評論家の岡本行夫氏は、橋本内閣で沖縄問題担当の総理大臣補佐官を務めました。当時、何度も沖縄を訪れアメリカ軍普天間基地の移設計画や振興策の策定に携わりました。沖縄からも突然の訃報を悼む声が聞かれました。

稲嶺元知事「沖縄のこと真剣に考えた誠実な人」

アメリカ軍基地を抱える市町村の振興策を検討する政府の有識者懇談会で、岡本さんとともに委員を務めた稲嶺恵一元知事は「岡本さんは当初、政府側の立場で委員を引き受けられたのでしょうが、一緒に北部や離島を回り地元の人たちの意見を聞くうちに、沖縄に寄り添うようになっていく感じでした。それでも政府と沖縄の関係がうまくいかずご苦労されたと思いますが、沖縄のことを真剣に考えてくれた誠実な人でした。惜しい人を亡くし残念です」と話していました。

比嘉元名護市長「惜しいし残念」

アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設計画や振興策をめぐり、総理大臣補佐官だった岡本さんと頻繁に協議を重ねていたという元名護市長の比嘉鉄也さんは「最近、沖縄でお会いしたときは大変元気でした。移設をめぐってもいろいろな案がありましたが、北部地域の振興に向けて本当によくやってくれました。本当に惜しいし、残念です」と話していました。

宮城前嘉手納町長「有為な人材失ってしまった」

嘉手納町の公民館などが入る施設のロビーには、岡本さんの顔をかたどったレリーフがあります。岡本さんは政府の有識者懇談会のメンバーとしてアメリカ軍基地を抱える市町村の振興にも力を注ぎました。

前嘉手納町長の宮城篤実さんは「基地と嘉手納町の関わりを見て『嘉手納町民は閉塞感(へいそくかん)にさいなまれている』と言ってくれました。沖縄県民の命の問題について深く思いをはせ、普天間基地についていろいろ話していたのが印象に残っています。あれだけ有為な人材を失ってしまったことは、沖縄県民、嘉手納町、そして私個人にとっても残念です」と話していました。