友文書改竄「すべて佐川
局長の指示」自殺職員 手記

財務省の決裁文書の改ざんに関与させられ、自殺した近畿財務局の男性職員が、改ざんの経緯などを書き残していた「手記」などを、遺族が弁護士を通じて公表しました。国会での追及をかわすため、財務省の本省が主導して、抵抗した現場の職員に不正な行為を押しつけていた内情が克明に記されています。

公表されたのは、森友学園に関する財務省の決裁文書の改ざんに関与させられた近畿財務局の職員で、おととし3月、改ざんが発覚した5日後に自殺した赤木俊夫さん(当時54)が書き残していた「手記」と「遺書」です。

「手記」は2種類あり、自殺した日の日付の手書きのものには「今回の問題はすべて財務省理財局が行いました。指示もとは佐川宣寿元理財局長と思います。学園に厚遇したととられかねない部分を本省が修正案を示し、現場として相当抵抗した。事実を知っている者として責任を取ります」などと記されています。

また、もう1つの「手記」はパソコンで7ページにまとめられたもので「真実を書き記しておく必要があると考えた」との書き出しで始まります。

学園との国有地取り引きが国会で問題化する中、野党の追及をかわすために財務省本省が指示していた不正行為の実態について、財務局の現場の職員の視点で細かく記されています。

この中では、実際には保管されていた学園との交渉記録や財務局内の文書を、国会にも会計検査院にも開示しないよう最初から指示されていたと明かしたうえで、事後的に文書が見つかったとする麻生財務大臣など幹部の国会での説明に対し、「明らかな虚偽答弁だ」という認識を記しています。

さらに「虚偽の説明を続けることで国民の信任を得られるのか」と財務省の姿勢に疑問を投げかける記述や「本省がすべて責任を負うべきだが最後は逃げて、財務局の責任にするのでしょう。怖い無責任な組織です」と組織の体質を批判する記述もあります。

そして最後に手記を残す理由について「事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。55歳の春を迎えることができない儚さと怖さ」と締めくくっていて、死を覚悟してまでも自身の責任を果たそうとした赤木さんの思いが読み取れます。

一方、「遺書」はすべて手書きで3通あり、家族に宛ててこれまでの感謝の気持ちを記したもののほか、1通は「森友問題」という書き出しで、「理財局の体質はコンプライアンスなど全くない これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ。手がふるえる。恐い命 大切な命 終止符」と財務省への憤りが記されています。

「手記」の詳細

(※『』内が「手記」の文章)

自殺した近畿財務局の職員、赤木俊夫さんが書き残した「手記」の主な内容です。

「手記」は手書きの2ページのものと、パソコンでまとめた7ページのものの2種類があります。このうち手書きのものは、赤木さんが自殺したおととし(平成30年)3月7日の日付になっています。

この中では
『今回の問題はすべて財務省理財局が行いました。指示もとは佐川元理財局長と思います。学園に厚遇したととられかねない部分を本省が修正案を示し現場として相当抵抗した。事実を知っている者として責任を取ります』などと記されています。

一方、パソコンでまとめた「手記」は「真実を書き記しておく必要があると考えた」という書き出しで始まります。

『はじめに私は、昨年(平成29年)2月から7月までの半年間、これまで経験したことがないほど異例な事案を担当し、その対応に、連日の深夜残業や休日出勤を余儀なくされ、その結果、強度なストレスが蓄積し、心身に支障が生じ、平成29年7月から病気休暇(休職)に至りました。これまで経験したことがない異例な事案とは、今も世間を賑わせている「森友学園への国有地売却問題」です。本件事案は、今も事案を長期化・複雑化させているのは、財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いていることが最大の原因でありますし、この対応に心身ともに痛み苦しんでいます。この手記は、本件事案に関する真実を書き記しておく必要があると考え、作成したものです。』

「森友学園問題」が社会問題化する経緯を記したあと、籠池前理事長ら森友学園側との交渉は、現場の近畿財務局ではなく財務省が主導したとしています。

『全ては本省主導国有地の管理処分等業務の長い歴史の中で、強烈な個性を持ち国会議員や有力者と思われる人物に接触するなどのあらゆる行動をとるような特異な相手方で、これほどまで長期間、国会で取り上げられ、今もなお収束する見込みがない前代未聞の事案です。そのため、社会問題化する以前から、当時の担当者は、事案の動きがあった際、その都度本省の担当課に応接記録(面談等交渉記録)などの資料を提出して報告しています。したがって、近畿財務局が、本省の了解なしに勝手に学園と交渉を進めることはありえないのです。』

続いて、国会対応にあたった財務省の内情を明かし、佐川氏から野党の追及をかわすために財務局に保管されている文書を開示しないよう指示があったとしています。

『国会対応平成29年2月以降ほとんど連日のように、衆・参議院予算委員会等で、本件事案について主に野党議員から追及(質問)されます。世間を騒がせ、今も頻繁に取り上げられる佐川(前)理財局長が一貫して「面談交渉記録(の文書)は廃棄した」などの答弁が国民に違和感を与え、野党の追及が収まらないことの原因の一つとなっています。この資料(応接記録)を文書管理規則に従って、終始「廃棄した」との説明(答弁)は、財務省が判断したことです。その理由は、応接記録は、細かい内容が記されていますので、財務省が学園に特別の厚遇を図ったと思われる、あるいはそのように誤解を与えることを避けるために、当時の佐川局長が判断したものと思われます。佐川理財局長の指示により、野党議員からの様々な追及を避けるために原則として資料はできるだけ開示しないこと、開示するタイミングもできるだけ後送りとするよう指示があったと聞いています。(現場の私たちが直接佐川局長の声を聞くことはできませんが、本省国有財産審理室の補佐からは、局長に怒られたとよく言っていました。)また、野党に資料を提出する前には、国会対応のために、必ず与党(自民党)に事前に説明した上で、与党の了承を得た後に提出するというルールにより対応されていました。』

会計検査院の特別検査に対しても、保管されている記録を見せないよう、財務省本省の指示があったとし、この検査をめぐる財務省幹部の国会答弁は虚偽だとしています。

『会計検査院への対応国会(参議院)の要請を受けて、近畿財務局が本件事案に関して会計検査院の特別検査を、昨年平成29年4月と、6月の2回受検しました。この時、法律相談の記録等の内部検討資料が保管されていることは、近畿財務局の文書所管課等の全ての責任者(統括法務監査官、訟務課長、統括国有財産管理官)は承知していました。したがって、平成30年2月の国会(衆・予算委員会等)で、財務省が新たに議員に開示した行政文書の存在について、麻生財務大臣や、太田理財局長の説明「行政文書の開示請求の中で、改めて近畿財務局で確認したところ、法律相談に関する文書の存在が確認された」(答弁)は、明らかに虚偽答弁なのです。さらに、新聞紙上に掲載された本年1月以降に新たに発覚したとして開示した「省内で法的に論点を検討した新文書」について、本年2月19日の衆院予算委員会で、太田理財局長が「当初段階で、法務担当者に伝え、資料に気付く状況に至らなかった。法務担当に聞いていれば(文書の存在)に気付いていたはずだ」との答弁も全くの虚偽である。それは、検査の際、この文書の存在は、法務担当に聞かなくても、法務担当以外の訟務課・統括国有財産管理官は作成されていることを当然認識しています。これも近畿財務局は本省主導で資料として提示しないとの基本的な対応の指示に従っただけなのです。』

国会や会計検査院に対し、虚偽の説明を続ける財務省の姿勢に、赤木さんは赤い文字で「疑問」を投げかけています。

『(疑問)財務省は、このまま虚偽の説明を続けることで国民(議員)の信任を得られるのか。当初、佐川理財局長の答弁がどこまでダメージコントロールを意識して対応されていたかといえば、当面の国会対応を凌ぐことだけしか念頭になかったのは明らかです。』

『財務省は前代未聞の「虚偽」を貫く平成30年1月28日から始まった通常国会では、太田(現)理財局長が、前任の佐川理財局長の答弁を踏襲することに終始し、国民の誰もが納得できないような詭弁を通り越した虚偽答弁が続けられているのです。現在、近畿財務局内で本件事案に携わる職員の誰もが虚偽答弁を承知し、違和感を持ち続けています。しかしながら、近畿財務局の幹部をはじめ、誰一人として本省に対して、事実に反するなどと反論(異論)を示すこともしないし、それができないのが本省と地方(現場)である財務局との関係であり、キャリア制度を中心とした組織体制のそのもの(実態)なのです。本件事例を通じて、財務省理財局(国有財産担当部門)には、組織としてのコンプライアンスが機能する責任ある体制にはないのです。』

そして、みずからも関わることになった「決裁文書の改ざん」の経緯の説明に移っていきます。

『決裁文書の修正(差し替え)元は、すべて佐川理財局長の指示です。局長の指示の内容は、野党に資料を示した際、学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するよう指示があったと聞きました。佐川理財局長の指示を受けた、財務省本省理財局幹部、補佐が過剰に修正箇所を決め、補佐の修正した文書を近畿局で差し替えしました。第一回目は昨年2月26日(日)のことです。当日15時30分頃、出勤していた統括官から本省の指示の作業が多いので、手伝ってほしいとの連絡を受け、役所に出勤(16時30分頃登庁)するよう指示がありました。その後の3月7日頃にも、修正作業の指示が複数回あり現場として私はこれに相当抵抗しました。管財部長に報告し、当初は応じるなとの指示でしたが、本省理財局の総務課長をはじめ国有財産審理室長などから部長に直接電話があり、応じることはやむを得ないとし、美並近畿財務局長に報告したと承知しています。美並局長は、本件に関しては全責任を負うとの発言があったと部長から聞きました。部長以外にも、次長ら管財部幹部はこの事実をすべて知っています。本省からの出向組の次長は、「元の調書が書き過ぎているんだよ。」と調書の修正を悪いこととも思わず、本省の補佐の指示に従い、あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行ったのです。(大阪地検特捜部はこの事実関係をすべて知っています)これが財務官僚機構の実態なのです。パワハラで有名な佐川局長の指示には誰も背けないのです。佐川局長は、修正する箇所を事細かく指示したかどうかはわかりませんが、補佐などが過剰反応して、修正範囲をどんどん拡大し、修正した回数は3回ないし4回程度と認識しています。役所の中の役所と言われる財務省でこんなことがぬけぬけと行われる。』

さらに森友学園をめぐる問題を主導した財務省の姿勢や、組織の体質への痛烈な批判が続きます。

『森友事案は、すべて本省の指示、本省が処理方針を決め、国会対応、検査院対応すべて本省の指示(無責任体質の組織)と本省による対応が社会問題を引き起こし、嘘に嘘を塗り重ねるという、通常ではあり得ない対応を本省(佐川)は引き起こしたのです。この事案は、当初から筋の悪い事案として、本省が当初から鴻池議員などの陳情を受け止めることから端を発し、本省主導の事案で、課長クラスの幹部レベルで議員等からの要望に応じたことが問題の発端です。いずれにしても、本省がすべて責任を負うべき事案ですが、最後は逃げて、近畿財務局の責任とするのでしょう。怖い無責任な組織です。』

そして『刑事罰、懲戒処分を受けるべき者』として佐川氏のほか、当時の財務省理財局の幹部らを名指ししています。

所属する組織の指示で、不正に加担させられた赤木さん。自らの死を覚悟してまで「手記」を書いた理由を綴っています。

『この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55歳の春を迎えることができない儚さと怖さ)家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。私の大好きな義母さん、謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さこんな人生って何?兄、甥っ子、そして実父、みんなに迷惑をおかけしました。さようなら』。

「遺書」の内容

自殺した近畿財務局の職員、赤木俊夫さんが残した3通の「遺書」の内容です。

1通は「森友問題」という書き出しで「佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それに指示NOを誰も言わない理財局の体質はコンプライアンスなど全くない これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ。手がふるえる。恐い命 大切な命 終止符」と手書きされています。

ほかの2通も手書きで家族に宛てたもので、妻や義理の母親などに「これまで本当にありがとうゴメンなさい恐いよ。心身ともに滅いりました。ゴメンなさい大好きなお母さん」などと書かれています。
「手記」と財務省の調査報告書 食い違いも
「手記」には、決裁文書の改ざんや交渉記録の廃棄などの経緯が克明に記されています。この内容とおととし6月に財務省が公表した調査報告書の内容には、一部で食い違いも見られます。

(1)改ざんの指示

手記には決裁文書の改ざんについて「すべて、佐川理財局長の指示です」としたうえで、佐川氏の指示を受けた財務省理財局幹部が過剰に修正箇所を決め、3年前の2月26日から近畿財務局で改ざんが始まったなどと記されています。
これについて財務省の調査報告書でも改ざんが始まったのは2月26日で、佐川氏が改ざんを事実上指示していたと認定しています。

報告書によりますと、佐川氏は当時の部下の理財局の総務課長と国有財産審理室長から決裁文書の内容について報告を受け「そうした記載のある文書を外に出すべきではなく、最低限の記載とすべきであると反応した」としています。

そして2月26日に審理室長らが文書の改ざんを行い、同じ日に、財務省理財局から近畿財務局の職員に出勤を要請したうえで、別の決裁文書について改ざんするよう具体的に指示したとしています。

(2)近畿財務局の反発

手記には「その後の3月7日頃にも修正作業の指示が複数回あり、現場として私はこれに相当抵抗した」と記されています。

これについて財務省の調査報告書でも近畿財務局の職員が本省理財局からのたび重なる改ざん指示に強く反発したことが記されています。

報告書によりますと、3月7日の未明に理財局から2つの決裁文書の改ざんの案が近畿財務局に送られましたが、佐川氏も含めて議論した結果、翌8日にはさらに多くの記述を改ざんする案が改めて財務局に示されたということです。

改ざんを指示された財務局の職員はそもそも改ざんを行うことに強い抵抗感があり、理財局からのたび重なる指示に強く反発したということで、この職員は3月8日までに上司の管財部長に相談をしたとしています。

しかし財務省は、自殺した職員が改ざんを指示されていたのかや、改ざんに反発した職員だったのかどうかは明らかにしていませんでした。

(3)会計検査院への虚偽回答

手記には3年前の平成29年4月と6月に会計検査院の検査を受けた際の対応について「応接記録を始め法律相談の記録等の内部検討資料は一切示さず、検査院には『文書として保存していない』と説明するよう事前に本省から指示があった」と記されています。

これについて財務省の調査報告書でも去年3月以降、国有地売却問題を検査していた会計検査院から廃棄していない交渉記録を提出するよう繰り返し求められていたにもかかわらず、国会で存在を認めていない文書を提出するのは妥当ではないと考え「存在しない」とする、うその回答を続けたとしています。

(4)法律相談記録では食い違いも

一方、財務省がおととし2月に公表した国有地売却に関する法律相談の文書をめぐっては手記と財務省の調査報告書の内容が食い違っています。

財務省の調査報告書では法律相談の文書の保存が確認された時期について、情報公開請求への対応のため平成29年10月から11月にかけて関連文書を探索した結果、確認されたとしています。

しかし、手記には検査院の検査を受けた平成29年4月と6月の時点で「法律相談の記録等の資料が保管されてていることは近畿財務局の文書所管課などのすべての責任者は承知していた」としていて、「おととし2月の国会で麻生財務大臣や太田理財局長が『行政文書の開示請求の中で改めて近畿財務局で確認したところ法律相談に関する文書の存在が確認された』という答弁は、明らかに虚偽答弁だ」などと記されています。

妻のメッセージ「佐川さん、本当のことを話して下さい」

赤木さんの妻は提訴に合わせて、手記や遺書を公表した理由やいまの心境をメッセージとしてまとめ、代理人の弁護士が記者会見で読み上げました。

「夫が亡くなってから2年が経ちました。あのとき、どうやったら助けることができたのか。いくら考えても私には助ける方法がまだ見つかりません。心のつかえが取れないままで夫が死を決意した本当のところを知りたいです。夫が死を選ぶ原因となった改ざんは、誰が何のためにやったのか。改ざんをする原因となった土地の売り払いは、どうやって行われたのか。真実を知りたいです。今でも近畿財務局の中には、話す機会を奪われ苦しんでいる人がいます。本当のことを話せる環境を財務省と近畿財務局には作ってもらい、この裁判で全てを明らかにしてほしいです。そのためにはまず、佐川さんが話さなければならないと思います。夫のように苦しんでいる人を助けるためにも、佐川さん、改ざんの経緯を、本当のことを話して下さい。よろしくお願いします」

弁護士「国は真相解明のため誠実に対応を」

提訴後に記者会見した原告の代理人の生越照幸弁護士は「真実を訴訟で明らかにするためには、国側が真相解明のために誠実に対応することが大前提となる。国は訴訟で旗色が悪くなるとすぐに認め、肝心の中身に入れないようにするケースが多い。今回は、国も佐川氏もきちんと対応するよう願っている」と話していました。

松丸正弁護士は「亡くなった赤木さんは手記の最後に、『今の健康状態と体力ではこの方法しかとれなかった』と記している。本当は事実をみずから伝えたかったはずだ。この裁判で真実を明らかにしたい。裁判を通じて、今後、違法なことを命じられた現役の職員たちが、声をあげて抵抗できるような組織にしていきたい」と話していました。