和30年日米外相会談
「自衛なら兵力使用を協議」

自衛隊発足から間もない昭和30年に行われた日米外相会談で、当時の重光外務大臣が、アメリカのグアムが攻撃された場合、「自衛目的なら兵力の使用を協議できる」と述べていたことが、公開された外交文書で明らかになりました。専門家は「安倍政権が閣議決定した、集団的自衛権の行使の限定的容認と同様の主張だった」と指摘しています。

外務省が、25日公開した6000ページ余りの外交文書のうち、昭和30年8月、アメリカで行われた、当時の重光外務大臣とダレス国務長官との会談の記録では、1年前に自衛隊が発足する中、アメリカがほかの国から攻撃を受けた場合の日本の対応について意見が交わされています。

この中で、ダレス長官は「日本はアメリカを守ることができるか。例えば、グアムが攻撃された場合はどうか」と質問したのに対し、重光大臣は「自衛が目的でなければならないが、兵力の使用について協議できる」と述べていました。

さらに、ダレス長官が「日本の憲法が許さなければ意味がないと思うが」と問うと、重光大臣は「自衛であるかぎり協議できるというのがわれわれの解釈だ」と重ねて主張し、ダレス長官は「全く新しい話だ。日本が海外出兵できるとは知らなかった」と応じていました。

これについて、日米外交史が専門の日本大学の信夫隆司教授は「当時の日本の基本的認識では、集団的自衛権は行使できず、自衛隊の海外出兵はできなかった。重光氏は、安保条約改定問題もあり、日米を対等な形に持っていきたいということだったのだろう。重光氏が述べたことは、安倍政権が閣議決定した集団的自衛権行使の限定的容認と同じような主張だったと読み取れる」と指摘しています。

外交文書とは

外務省は作成から30年以上が経過した公文書のうち、公開しても支障がなく、歴史上、特に意義があり、国民の関心も高いと判断した文書を、毎年1回公開しています。

今回、公開されたのは、1988年に中曽根前総理大臣がソビエトを訪問してゴルバチョフ書記長と会談した際の記録や、当時の竹下総理大臣の中国訪問に関係する文書、1972年の沖縄返還に関係する文書などを含む15のファイルで、合わせて6000ページ余りです。

この中には、極秘扱いとされていた公電が含まれる一方、現在の外交交渉への影響を考慮したり、現在も外務省の情報源である人物の名前があったりする部分などは一部が黒塗りになっているものもあります。

公開された文書は、外務省外交史料館のホームページに、25日から掲載されるほか、外交史料館では原本を閲覧することもできます。