和天皇 拝謁記 旧軍
否定も憲法改正に言及

昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」に、独立回復後の安全保障が現実的な課題となる中で、昭和天皇が戦前のような軍隊を否定しつつも、再軍備やそれに伴う憲法改正の必要性にたびたび言及し、総理大臣に伝えないよう長官にいさめられる様子が記されていました。分析にあたった専門家は「昭和天皇が改憲や再軍備に言及していたことは新たな発見だが、自衛隊的なものを作ることを憲法上認めるというものであり戦前の軍隊を再現する気が全くないということは押さえておかなければならない」としています。

「拝謁記」を記していたのは、民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治で、戦後つくられた日本国憲法のもとで、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めました。在任中、600回余り延べ300時間を超える昭和天皇との対話を詳細に記録していました。

「拝謁記」には、東西冷戦が激しさを増す中で、ソ連の侵略を現実的な脅威と認識し、危機感を募らせる昭和天皇の様子が記録されていて、サンフランシスコ平和条約の調印から5か月が経過した昭和27年2月11日に、昭和天皇が田島長官に対して、「私は憲法改正ニ便乗して外(ほか)のいろ/\(いろ)の事が出ると思つて否定的ニ考へてたが今となつては他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいヽ様ニ思ふ」と再軍備と憲法改正の必要性について言及したと記されています。

昭和天皇は、その一方で、戦前の軍隊や軍閥の復活はかたくなに拒む姿勢を示していて、日本が独立を回復した直後の昭和27年5月8日の拝謁では、「私は再軍備によつて旧軍閥式の再抬頭(たいとう)は絶対にいやだが去りとて侵略を受ける脅威がある以上防衛的の新軍備なしといふ訳ニはいかぬと思ふ」と語ったと記されています。

「拝謁記」には昭和天皇がこうした再軍備や憲法改正についての考えを、当時の吉田茂総理大臣に直接伝えようとして、田島長官がいさめる様子が記されています。

昭和27年3月11日の拝謁では、昭和天皇が「警察も医者も病院もない世の中が理想的だが、病気がある以上は医者ハ必要だし、乱暴者がある以上警察も必要だ。侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会ニある以上軍隊ハ不得已(やむをえず)必要だといふ事ハ残念ながら道理がある」と述べたのに対し、田島長官は「その通りでありまするが憲法の手前そんな事ハいへませぬし最近の戦争で日本が侵略者といはれた計(ばか)りの事ではあり、それは禁句であります」と苦言を呈したと記されています。

また、昭和天皇は、昭和28年6月17日の拝謁で、石川県内灘の米軍基地反対闘争に触れ、「日本の軍備がなければ米国が進駐してヽ守つてくれるより仕方ハないのだ。内灘の問題などもその事思へば已むを得ぬ現状である」と述べたとされています。昭和天皇は、国防をアメリカに頼る以上は、基地の提供もやむをえないという認識を繰り返し示していて、基地反対運動に批判的な見解を語ったことも記されています。

「旧軍の再現ではないこと押さえるべき」

「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「昭和天皇が改憲や再軍備に言及していたことは新たな発見だが、改憲と言っても自衛隊的なものを作ることを憲法上認めるということで、国民主権や象徴天皇の枠組みを変えるところまではいっていない。昭和天皇は旧軍にものすごく批判的で、同じような軍隊を再現する気が全くないということはきちんと押さえておかなければならない」と指摘しています。

「主権国家なら当然だというこだわり」

歴史家の秦郁彦さんは「旧軍閥の復活はダメだというのが前提で、憲法9条を改正して再軍備をするというのが主権国家として当然だというのが昭和天皇のこだわりだ。一方、吉田茂も独自の再軍備の構想を持っていた。ちょうどこの頃に警察予備隊ができたが、吉田としては日本の経済力が足りないうちは本格的な再軍備はできないので待っていてもらいたいという意味を込めて、再軍備に反対していた」と指摘しました。

「国際政治の冷厳な現実を重視」

日本の近現代政治史が専門で一橋大学の吉田裕特任教授は「この資料を見ると昭和天皇は憲法を改正したうえで再軍備すると、かなりはっきり繰り返し述べているので、昭和天皇が独立国家であれば軍隊を持つのは当然だと考えていることがよくわかる。明示的に憲法を改正したうえで、しっかりと再軍備することを考えていたことがわかったことは新たな発見だ」と述べました。

さらに、「吉田茂は軽軍備や安保のもとで憲法を改正せずに経済成長を優先させるといういわゆる『吉田ドクトリン』を採っていたが、昭和天皇がそれとはかなり違う路線を考えていたということも新しい発見だし、あまり予想していなかったので驚いた」と話しました。

そして、「吉田路線によって憲法の問題をきちんと議論しないままなし崩し的に再軍備が進み、その延長線上に今日があるということを考えると、原点においてこれだけ議論があったということを振り返ることは重要だと思う」と述べました。

そのうえで、「昭和天皇は一貫して国際政治の冷厳な現実を重視する、一種のパワーポリティクスみたいな議論が非常に強くて、軍事的な空白が生じたらそこにソ連が入ってくるという考えが非常に強い。背景として、朝鮮戦争の勃発によって冷戦が熱戦に転化してしまったことが大きく、それとともに起こった国内の治安問題やレッドパージなどの騒然とした事態への危惧も非常に強い」と指摘しました。