和天皇 拝謁記
歴代首相の人物評繰り返す

昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」には、当時の吉田茂総理大臣について「吉田ハカンで動く人間ハ六ヶ(むつか)しいね」と述べるなど、昭和天皇から見た歴代総理大臣の人物評が頻繁に記されています。

「拝謁記」を記していたのは民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治で、日本国憲法のもとで昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務め、在任中、600回余り延べ300時間を超える昭和天皇との対話を詳細に記録していました。

「拝謁記」には戦前から戦後にかけて、昭和天皇が接してきた歴代の総理大臣の人物評が頻繁に登場します

近衛文麿と東條英機

特によく出てくるのが、日中戦争開戦や御前会議で対米戦争の方針を実質的に決めた際、総理大臣を務めていた近衛文麿と、その後任で、太平洋戦争開戦時の総理大臣として戦後、A級戦犯として処刑された東條英機です。

昭和27年5月28日の拝謁では、昭和天皇は自らは事務的な人間であり、同じように事務的な人間と相性がよかったとしたうえで、近衛と東條を比較し、「近衛はよく話すけれどもあてニならず、いつの間ニか抜けていふし、人はいかもの食ひで一寸(ちょっと)変つたやうな人が好きで、之を重く用ふるが、又直(じ)きにその考へも変る。政事家(せいじか)的といふのか知らんが事務的ではない。東條ハ之ニ反して事務的であつたそして相当な点強かつた。強かつた為に部下からきらはれ始めた」と語ったと記され、別の機会には、「近衛と東条との両長所が一人ニなればと思ふ」などと述べたと記されています。

芦田均と吉田茂

一方、戦後の総理大臣では、田島を宮内府の長官に任命した芦田均と、その後、長く政権を担った吉田茂との対比が多く登場します。

昭和26年5月23日の拝謁では、田島長官が吉田について勘で決めたことを強く押し通す人物だなどと話したのに対し、昭和天皇は「芦田は其点よろしい。理論ぜめで少しぎこちないが行き届く。研究した結果道理でおして、一寸(ちょっと)きつすぎる場合もあるが事態はちやんと研究する。吉田ハカンで動く人間ハ六ヶ(むつか)しいね吉田と芦田との長所が一人だとよい」と述べたと記されています。

「国レベルで考え独自の視点から判断」

分析に当たった成城大学の瀬畑源非常勤講師は「昭和天皇は人物評が好きだった。事務的な人物が好きで論理的に話が通じる人の方が、自分と波長が合う一方、やや流されやすいというか、感情的になりやすい人物に対してはあまり評価が高くない。基本的に論理的であるということが評価基準の1つで、それは昭和天皇自身がそういう人だったということもあると思う。昭和天皇の人物評からは自分と同じような考え方であってほしいといったところが透けて見える。国というレベルで物事を考えて人を見ているということでは昭和天皇は他の人にはない視点から人々を判断しているので、当時の人たちを複眼的に見てその評価をもう一回考え直すきっかけや手がかりになると思う」と指摘しています。