「参議院議員、引退します。」今期限りで引退予定の議員は20人余

NHKのまとめによりますと、今回の参議院選挙に立候補せず、今期限りでの引退を予定している議員は20人余りとなっています。

自民党

参議院憲法審査会長で、環境大臣も務めた中川雅治氏

中川氏は昭和22年生まれで、参議院東京選挙区選出の当選3回。
旧大蔵省の理財局長や環境省の事務次官などを経て、平成16年の参議院選挙で初当選しました。
参議院議院運営委員長や党の総務会長代理などを歴任し、党の参議院議員副会長を務めました。
環境行政に精通していることを重視され、環境大臣にも起用されました。

国家公安委員長の二之湯智氏

二之湯氏は、昭和19年生まれで、参議院京都選挙区選出の当選3回。
京都市議会議員などを経て、平成16年の参議院選挙で初当選しました。
総務副大臣や参議院決算委員長などを歴任し、党の参議院政策審議会長を務めました。
地方行政などの政策に明るく、国家公安委員長にも起用されました。

農林水産大臣の金子原二郎氏

参議院長崎選挙区の金子氏はことし3月「新しい時代に入る中で早く引退して次の若い人にバトンタッチしたほうがいいのではないかと考えた。今は元気だが、次の選挙に当選しても6年間の任期中に健康的な問題があれば迷惑をかけることになる」と述べ、政界引退を表明しました。
金子氏は、長崎県議会議員を経て、衆議院議員を5期、長崎県知事を3期務めました。その後、平成22年からは参議院議員を2期務めました。
参議院の決算委員長や予算委員長のほか、党の総務会長代理などを歴任し、農林水産大臣も務めました。
大臣就任中は、記者会見で牛乳を飲んで乳製品の消費を呼びかけました。

立憲民主党

参議院副議長で法務大臣も務めた小川敏夫氏
平成31年の副議長就任時には「中立公正を旨として議会の円満な運営に努め、参議院の存在意義を高める努力を全力を挙げて尽くしていきたい」と述べていました。
小川氏は、昭和23年生まれで、参議院東京選挙区選出。
裁判官や検察官を経て弁護士になり、平成10年の参議院選挙で初当選しました。
法務行政に精通し、法務大臣も務めました。

参議院副議長や農林水産大臣を務めた郡司彰氏

郡司氏は去年11月「国会という組織も新陳代謝が必要だと考えるなど年齢を考慮しての判断だ」と述べ、引退を表明しました。
郡司氏は昭和24生まれの当選4回。茨城県出身です。
平成10年に茨城選挙区で初当選したあと農林水産大臣や参議院副議長などを歴任しました。
平成に代わる新しい元号となった令和を決定する際には、副議長として官房長官から意見を聞かれました。

経済産業大臣を務めた鉢呂吉雄氏

鉢呂氏は昭和23年生まれで北海道出身。
農協の職員を経て、平成2年の衆議院選挙で初当選したあと7回連続で当選し、旧民主党の副代表や国会対策委員長を歴任したほか、平成23年には経済産業大臣を務めました。
その後、平成28年に参議院北海道選挙区から立候補して当選しました。
鉢呂氏はNHKの取材に、朝ごはんによく食べるという好物の「牛乳ごはん」のエピソードを教えてくれました。
「うまいよ。甘くなっておいしいんだ。ごはんが少し残ったら、牛乳をかけて、牛乳も少し温かくなるし」

【リンク】鉢呂吉雄氏のサラめしはこちら「鉢呂さんは秘書とおしゃべりランチ」

公明党

元復興副大臣の浜田昌良氏

浜田氏は昭和32年生まれ。比例代表で東海地方や北陸地方を中心に支持を集め、参議院議員を3期務めました。
経済産業省の課長を経て、平成16年の参議院選挙の比例代表で初当選し、復興副大臣や外務政務官などを歴任しました。党の参議院副幹事長も務めました。

日本維新の会

共同代表や総務大臣を務めた片山虎之助氏

片山氏は、平成元年の参議院選挙に自民党から立候補して初当選し、初代の総務大臣を務めたほか、3年間にわたって、自民党の参議院幹事長を務めました。
その後、自民党を離党し、日本維新の会の前身の「おおさか維新の会」の発足時からおよそ6年間にわたって共同代表を務め、大阪市長を務める松井代表などと連携して、党運営で中心的な役割を担ってきました。
体調不良を理由に共同代表を辞任しています。
平成30年のNHKの取材に対し、参議院の地下にあるそば屋に初当選以来通い続けていることを教えてくれ「もともとは“麺類党”なんですよ。けんらん豪華な鍋焼きうどん。子どもの頃から鍋焼きうどんだけは特別だった。田舎だったからね。えびの天ぷらや卵、しいたけも入っていて、豪華なんだよね。食べると元気になる気がするわね」と話していました。

【リンク】片山虎之助氏のサラめしはこちら「“麺類党”虎さんの鍋焼きうどん」

国民民主党

参議院議員会長の小林正夫氏

小林氏は昭和22年生まれ。
東京電力で労働組合運動に取り組み、平成16年の参議院選挙の比例代表で当時の民主党から立候補して初当選し、3期務めました。
厚生労働政務官も務めました。

共産党

元書記局長の市田忠義氏

市田氏は昭和17年生まれで、平成10年の参議院選挙の比例代表に立候補して初当選し、平成12年から13年余りにわたって党の書記局長を務めました。
この時の書記局長就任と同時に、宮本顕治元議長の勇退以来、3年間空席となっていた議長に不破哲三氏が、委員長に志位和夫氏が昇格していました。

無所属

元行政改革担当大臣の渡辺喜美氏
渡辺氏は6月21日、みずからのFacebookで引退することを表明しました。
「私の第3極を作る目論みは、終了いたしました。第二の人生を考えると、不遜な言い方ですが、やりたいこと、やるべきことが山のようにようにあり、不安と同時にワクワク感で一杯です」と記しています。

渡辺氏は、父親で外務大臣などを務めた渡辺美智雄衆議院議員の秘書を経て、美智雄氏が死去したあとの平成8年の衆議院選挙で栃木3区から自民党公認で立候補して初当選し、以降、6回連続で当選しました。
平成18年には、第1次安倍内閣で行政改革担当大臣に就任し、続く安倍改造内閣と福田内閣では、金融担当大臣もあわせて務め、公務員の天下り規制や道州制の実現に向けて取り組みました。
その後、自民党を離党し「みんなの党」を結成するなどしたあと、平成28年の参議院選挙に当時の「おおさか維新の会」から比例代表で立候補して当選を果たしましたが、その後、除名処分を受け、無所属で活動していました。
渡辺氏はNHKの取材に対し「第3極となる政治勢力を作ろうと頑張ったが実現できなかった。今回の参議院選挙も立候補を模索したがかなわなかった」と述べました。

【リンク】渡辺喜美氏のサラめしはこちら「“みんな”どこへいった 独りだけのランチ」

元法務大臣の柳田稔氏

柳田氏は、大手鉄鋼メーカー、神戸製鋼所の社員を経て平成2年の衆議院選挙で初当選し、2期務めました。
その後、平成10年に参議院広島選挙区から立候補して以降、4回連続で当選し、民主党政権では法務大臣を務めました。

(引退予定議員一覧 敬称略)
自民:岡田広、中川雅治、二之湯智、藤井基之、金子原二郎、中西哲、宮島喜文
立民:小川敏夫、郡司彰、芝博一、那谷屋正義、江崎孝、難波奨二、真山勇一、鉢呂吉雄
公明:浜田昌良
維新:片山虎之助
国民:小林正夫
共産:市田忠義
無所属:渡辺喜美、柳田稔