東西ドイツ統一 国際情勢の
激動ぶり 外交文書で明らかに

1990年の東西ドイツ統一の9か月前に行われた、当時の西ドイツのコール首相と海部総理大臣との会談で、コール首相が統一実現には、かなりの時間がかかるという見方を示していたことが、公開された外交文書で明らかになりました。国のトップでも先行きが見通せない国際情勢の激動ぶりが伺えます。

第2次世界大戦後、東西に分断していたドイツでは、1989年11月9日に冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊し、翌1990年10月に当時の西ドイツのコール首相が中心となり、東西統一が実現しました。

今回、公開された外交文書には、ベルリンの壁崩壊の2か月後、東西ドイツ統一の9か月前の1990年1月に、当時の海部総理大臣がヨーロッパを訪問した際の各国首脳との会談内容が記録されています。

このうち、西ドイツのコール首相は、ドイツ統一の実現時期について「一朝一夕で達成されるものではない。すべてうまくいったとして、今世紀末に到達されうる目標である」と語っています。

また、イタリアのアンドレオッティ首相は「米ソ両軍の削減、撤退の問題を解決することなくドイツ統一を急ぐことは、単なる混乱を意味する。できるだけ遅い方がいい」と、統一に否定的な見解を示しています。

ベルリンの壁崩壊後、東西ドイツの統一の是非をめぐっては、アメリカ、イギリス、フランス、当時のソ連といった第2次世界大戦の戦勝国をはじめ、欧米各国でも意見が分かれていました。

ドイツ現代史などが専門で成蹊大学の板橋拓己教授は「1990年の初頭は、皆がドイツ統一は遠い先の出来事だと思っていた。1990年というのは激動の時代で、重要な出来事が1週間ごとに決まっていった。東西ドイツは分断されたままだというのが当時の人の常識なので、先を見通すことは本当に難しかったと思う」と指摘しています。