衆議院議員、引退します。

10月31日に投開票が行われる衆議院選挙に立候補せず、これまでにおよそ30人が今期限りでの引退を表明しています。

自民党 大島理森氏「寂しさの一抹を感じた」

大島理森氏は、衆議院青森2区選出の当選12回。
毎日新聞の勤務などを経て、昭和58年の衆議院選挙で初当選しました。
平成7年に村山改造内閣で環境庁長官として初入閣し、その後、文部大臣や農林水産大臣などを歴任しました。
また、自民党でも国会対策委員長を長く務めたほか、野党時代には副総裁や幹事長として、当時の谷垣総裁を支えました。
そして、6年前の平成27年に衆議院議長に就任し、衆議院選挙の1票の格差の是正や、上皇さまの天皇退位にあたって一代かぎりの退位を可能とする特例法の制定に取り組みました。

14日、国会内で記者会見し、解散詔書を読み上げた際の心境について「議長席から各議員の姿を見て、これでおしまいだと思い『ありがとうございます』と心の中で申し上げた。堂々たる健闘を願いたいという思いだった。読み上げて、議長席を降りた時に寂しさの一抹を感じた」と述べました。
その上で、今後の国会改革について「国権の最高機関たる国会が、国民からさらに期待と信頼を得られるよう努力してもらいたい。野党から、憲法の規定に基づく臨時国会の召集要求が出てきたが、現行憲法の中でどのような対応が望ましいのか国会改革の議論に加え、憲法論議も必要ではないか」と指摘しました。

取材に対し「つるつるっと、おいしいうどんを作るためには、丁寧に、腰をグッと入れて、何度も何度も生地を練ることが大事じゃろ。与野党の話し合いも同じ。自分たちの主張だけを通そうとしてはならん。腰を据えて相手の話を丁寧に聞けば、必ず合意点は見いだせるもんじゃ」と語ってくれました。
【サラめし】大島理森さんの「うどんは控えめじゃ」

自民党 伊吹文明氏「皆さんにはうるさかったかも」

伊吹文明氏は、旧大蔵省の出身で、昭和58年の衆議院選挙に旧京都1区から立候補して初当選し、12回連続で当選しました。
橋本内閣で労働大臣として初入閣し、その後、文部科学大臣や財務大臣などを歴任しました。
また、現在の自民党二階派の前身である伊吹派を率い、福田政権では党幹事長として、衆参両院で多数派が異なる、いわゆるねじれ国会への対応に当たりました。
そして平成24年から、およそ2年間、第74代の衆議院議長を務めました。
伊吹氏は議長退任後も、税や社会保障の論客として積極的に発言を続けてきました。

14日、派閥の会合で「長い間お世話になり、ありがとうございました。皆さんにはうるさかったかもしれないが、政界の身の振り方や集団の中の立ち居振る舞いをしっかり昔の派閥のように教えてくれるのはこの志帥会=二階派くらいではないか。しかし、選挙はそういうことをしっかりやっても当選できるわけではない。1人でも多くの人が当選し、選挙後もしっかり、派として一体的に行動してほしい」と述べました。

自民党 川崎二郎氏「加藤氏・谷垣氏を総理にできず悔やむ」

三重県伊賀市出身の川崎二郎氏は、衆議院比例代表東海ブロック選出の当選12回。
昭和55年の衆議院選挙で初当選し、これまでに運輸大臣や厚生労働大臣、それに自民党の国会対策委員長などを歴任しました。

14日、派閥の会合で「大変お世話になった。同じ派閥に所属した加藤紘一・元幹事長と谷垣禎一・元総裁を総理大臣にできなかったことを、政治人生の中でいちばん悔やんでいる。どちらかが総理大臣になっていたら、もっといい日本になったと思う。衆議院選挙が終わると自民党内の雰囲気はかなり変わると思うが、それぞれ選挙戦を勝ち上がって、新しい自民党の中で頑張ってほしい」と述べました。

取材に対し、ベトナムを視察した経験から「ベトナムの日系企業は、中国や韓国などの企業に比べて労働環境がよく、現地で高い評価を受けていました。それだけに、日本に働きに来る人たちが劣悪な環境で働かされたら、せっかくの評価が台なしになってしまう。ILO議連としても、そういうことがないようにウォッチしていきたい」と語ってくれました。
【サラめし】川崎二郎さんの「フォー」!

立憲民主党 赤松広隆氏「心おきなくバッジを外す」

赤松氏は、衆議院愛知5区選出の当選10回。
平成2年の衆議院選挙に旧社会党から立候補して初当選し、書記長を務めたほか、平成8年には旧民主党の結成に参加し、民主党政権では農林水産大臣などを務めました。
そして、平成24年から平成26年までと、平成29年から現在まで、合わせておよそ5年にわたって衆議院副議長を務めてました。

14日の記者会見で「国会議員になって32年がたった。2度の政権交代も体験し、大臣として、副議長として、存分に自分の信念に従って仕事をすることができた。心おきなくバッジを外すことができる」と述べました。
また、今後の国会のあり方について「議会制民主主義なので、最後は多数で決めるにしても、少数意見でもよい意見があれば法案の修正などにいかされていく国会であるべきだ。ぜひ次の時代に向かって、新たな国会のあり方、望まれるべき姿を実現してもらえるよう期待したい」と述べました。

立憲民主党 荒井聰氏「やるべきことはやりきった」

荒井聰氏は、衆議院北海道3区選出の当選8回。
当別町出身で、農林水産省の職員や道の知事室長などを経て、平成5年の衆議院選挙で初当選し、民主党政権では、総理大臣補佐官や国家戦略担当大臣を務めました。

14日、NHKの取材に対し「自民党にかわり、安定して政権を担う政党をつくりたいという思いで28年前に政治家になった。なかなかそこに至らなかったという残念な思いはあるが、それを除けば自分がやるべきことはやりきった。
あとは後輩たちに託したい。私は、14年に1回は政権交代が起きると言っておりそろそろその時期なので、準備をしてもらいたい」と述べました。

取材に対し「最近はインドカレーとか、スープカレーとか、いろんな物が出てきているけど、昔ながらのカレーライスというのが、いいよね。カレーライス、ハンバーグ、オムライス、『昼食はどれかを用意しておけば、文句を言わない』と秘書が言っていたな」と語ってくれました。
【サラめし】荒井聰さん 熟練の風味際立つ、レトルトカレー

公明党 井上義久氏「政権を担うことは大変な覚悟」

井上義久氏は富山県出身で、比例代表の東北ブロック、当選9回。
公明新聞の記者などを経て、平成2年の衆議院選挙に立候補して初当選し、公明党の幹事長を務めました。

14日、党の両院議員総会で「9年間、幹事長を務めた経験を通じて、政権を担うことは大変な覚悟や準備、経験が必要だということを痛感した。きたるべき選挙は政権を選ぶ選挙であり、今の野党に覚悟も準備も経験もなく、そんな政権を二度と作ってはならない。公明党は党員や支持者にとって希望であり続けることが宿命づけられた党で、ぜひ頑張ってもらいたい」と述べました。

取材に対し「宮城県とか三陸の海産物の『ほや』は、東日本大震災の前は、獲れた7割から8割を韓国に輸出していたけど、震災で韓国は輸入を全面禁止するようになって、売る先がないわけだ。それで、なんとか国内で少しでも食べてもらおうと、あぶったり、くん製にしたり、いろんな加工をして、できるだけ完売する努力をしているんだ」と語ってくれました。
【サラめし】井上義久さんの復興応援弁当

社民党 照屋寛徳氏「将来を託したい」

照屋寛徳氏は、終戦の年の昭和20年に、サイパンのアメリカ軍捕虜収容所で生まれ、琉球大学を卒業したあと、昭和47年に弁護士となり、アメリカ軍嘉手納基地の騒音をめぐる訴訟などに携わりました。
そして、沖縄県議会議員や参議院議員を経て平成15年から衆議院議員を務め、社民党の衆議院議員としては、全国で唯一小選挙区の議席を守り、党の国会対策委員長を務めました。

おととし9月の取材に対し「高齢になり病気の後遺症もあるので、私の政治理念を共有できる後継候補を速やかに見つけて、将来を託したい」と述べていました。
【リンク】特集 社民党は消えてしまうのか