五輪 復興後押しされず63%
東北3県被災地アンケート
東日本大震災からの復興を後押しする「復興五輪」を理念の1つに掲げた東京オリンピックについて、NHKは岩手・宮城・福島の被災地の1000人にWEB上でアンケートを行いました。
復興が後押しされたかという質問に対しては、「思わない」と回答した人が63%を占め、「思う」と回答した人の6倍近くに達しました。
NHKは、先月25日から28日にかけて、岩手・宮城・福島の沿岸と原発事故による避難指示が出された地域に住み、インターネットの調査会社に登録している人たちを対象にWEB上でアンケートを行い、1000人から回答を得ました。
回答した人の平均年齢はおよそ50歳でした。
「東京オリンピックの開催によって被災地の復興が後押しされたか」と尋ねた質問では、
▽「そう思う」が2%、
▽「ややそう思う」が9%と合わせて11%となった一方、
▽「あまりそう思わない」は23%、
▽「そう思わない」は40%と否定的な回答が63%を占め、
肯定的な回答の6倍近くに達しました。
▽「どちらともいえない」は26%でした。
続いて具体的な成果について尋ねました。
「支援への感謝や被災地の姿を世界に伝えることができたか」という質問では、
「そう思う」、「ややそう思う」が合わせて16%、
「被災地の食材の活用などを通じて被災地の魅力を伝えることができたか」という質問では、
「そう思う」、「ややそう思う」が合わせて19%、
「競技や聖火リレーなどを通じて被災地で暮らす人が勇気づけられたか」という質問では、「そう思う」、「ややそう思う」が合わせて25%で、いずれも厳しい評価が大きく上回りました。
社会心理学が専門の兵庫県立大学の木村玲欧教授は「被災者の中で、オリンピックを誘致するために復興を手段として使ったという印象が強かったうえ、コロナ禍によって復興五輪の意義が見えにくくなってしまった。オリンピックが終わったからおしまいではなく、被災地の状況や課題を見守り続けることが大切だ」と話しています。
五輪の観客の扱い「無観客が妥当だった」が半数
宮城と福島で行われたオリンピックの競技の観客の扱いについては、無観客が妥当だったと回答した人が半数を占めました。
東京オリンピックの競技は被災地では宮城と福島で行われ、新型コロナウイルスの感染が拡大する中、宮城では上限を設けて観客を入れた一方、福島では無観客で開催されました。
今回のアンケートでは、それぞれが住む県でどのような形での実施が適切だったかを尋ねました。
このうち宮城県では、
▽「宮城県も無観客で実施するべきだった」が51%、
▽「判断は適切だった」が16%、
▽「競技を中止すべきだった」と「分からない」がそれぞれ15%、
▽「上限のない有観客で実施するべきだった」が4%でした。
福島県では、
▽「判断は適切だった」が50%、
▽「分からない」が19%、
▽「競技を中止すべきだった」が17%、
▽「福島県も上限のある有観客で実施するべきだった」が14%、
▽「上限のない有観客で実施するべきだった」が0%でした。
競技が行われなかった岩手県では、
▽「競技を実施せずよかった」が53%、
▽「分からない」が35%、
▽「競技を実施すべきだった」が12%でした。
新型コロナウイルスの感染者数は大会期間中に増加していて、いずれの県も慎重な対応を支持する声が半数以上を占める結果となりました。
原発事故による風評被害の払拭 評価分かれる
今回のアンケートでは、オリンピックの開催で原発事故による風評被害の払拭(ふっしょく)に効果があったかも尋ねました。
評価は分かれましたが、海外の競技関係者が福島の桃がおいしいと発言してネット上で話題になったことに好意的な声が集まりました。
東京オリンピックでは、選手村などで福島の食材が提供されたほか、農業高校の生徒の写真を使って福島の食品の安全性とおいしさを伝えるポスターが選手村の食堂に掲示されるなど、風評被害を払拭するためのPRも行われました。
福島県の人たちに「風評被害の払拭に効果があったと思うか」を尋ねたところ、
▽「そう思う」が8%、
▽「ややそう思う」が23%と肯定的な回答をした人が31%だったのに対し、
▽「あまりそう思わない」が16%、
▽「そう思わない」が20%で、否定的な人は36%でした。
▽一方、「どちらともいえない」は33%で、評価は分かれました。
「福島の桃がおいしかった」発言に好意的な声
効果があったと思うと答えた人の多くが自由記述で触れていたのが、ソフトボールのアメリカ代表の監督が、記者会見で福島の桃がおいしかったと発言したことでした。この発言のあと、ツイッターで「#福島の桃デリシャス」をつけた投稿が相次ぐなど、ネット上で話題になりました。
自由記述には「福島の桃をおいしいと言ってもらえたことはうれしかった」とか、「被災地の復興に結びついたとは考えにくいが、福島の桃がクローズアップされたのはうれしかった」などの声が寄せられました。
一方、韓国が選手村の選手団のために給食センターを設け、その理由が福島県産の食材が使われることを懸念したためだと報道されたことについて、風評被害をより悪化させたという声も上がっていました。
自由記述の代表的意見は
アンケートの自由記述に寄せられた声のうち代表的な意見をまとめました。
【復興が後押しされたと思う】
「選手の一生懸命な姿を見て、自分たちも頑張ろうという気持ちになれた」
(福島県 男性 20代)。
「聖火ランナーが行われたくさんの人たちに地元のことを知ってもらえたと思う」
(岩手県 女性 20代)。
「福島の桃が海外の人においしいと取り上げられた」
(宮城県 男性 40代)。
「オリンピックが開催するまでの数年が復興の後押しをした」
(宮城県 男性 60代)。
【復興が後押しされたと思わない】
「新型コロナウイルスの感染が増えるなか、いろいろな制限が加えられ思うような活動やアピールはできなかった」
(宮城県 女性 60代)。
「被災地の復興が、いつの間にかコロナからの復興になっていた」
(福島県 女性 60代)。
「オリンピックの競技施設の建設に、資材や人材が割かれたため、被災地での建設がスムーズではないこともあったように思う」
(岩手県 女性 30代)。
「オリンピック中も復興のことをあまり感じられず、誘致のために復興を利用したとしか思えない」
(宮城県 男性 70代)。
【聖火リレーを評価】
「地元で聖火ランナーが走りたくさんの人たちに地元のことを知ってもらえた」
(岩手県 女性 20代)。
「復興された景色が聖火リレーで映像として映し出され、世界に復興を伝えられた」
(岩手県 女性 60代)。
【聖火リレーを評価せず】
「聖火リレーは福島では現状を示すコースが採用されなかった」
(福島県 女性 50代)。
「新型コロナが大変な状況で聖火リレーに地元の人が集まることに周囲の目は冷ややかだった」
(岩手県 女性 50代)。
宮城 石巻 災害公営住宅の人たちの声
宮城県石巻市の災害公営住宅では、東京オリンピック・パラリンピックについて、大会をやめて復興にお金をかけてほしかったといった声が聞かれた一方、被災地での聖火リレーに復興の兆しを感じたという声も聞かれました。
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた石巻市新門脇地区の災害公営住宅は、東京オリンピックの聖火が“復興の火”として展示された公園の目の前にあり、およそ90世帯が暮らしています。
住民の70代の女性は「オリンピックをやめて復興にお金をかけてほしかった。開催を喜んでいる人やアスリートを見ると言いづらいが、オリンピックも大変、復興も大変」と話していました。
一方、60代の男性は「コロナ禍の明るい話題で、これからも頑張ろうという勇気がわいてきた。地元でも聖火リレーが行われ、これが復興の兆しだと感じた」と話していました。
自治会の会長を務める富和一郎さん(79)は、震災の津波で市内の自宅が全壊し、5年前にこの災害公営住宅に入居しました。
富さんは「大きな被害を受けた場所を見ながら生活しているので、祭りのような大会とのアンバランスさを感じた。被災による心の疲れが取れない人もまだいるので、オリンピックどころではないという気持ちがどこかにある」と打ち明けました。
一方で、パラリンピックに出場した選手たちの姿に勇気づけられたということで「選手が命懸けで競技しているところを見ると、われわれも何かできるのではないかとたくましさを教えてもらった。このことが今後、生活の中でどう生きていくかだと思う」と話していました。
震災で壊滅的被害 宮城の都市ボランティアの評価
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県名取市閖上地区出身の格井直光さんは、津波で両親が犠牲になり、自宅も失いました。
震災から半年後、被災した人たちをつなごうと格井さんが中心となって地域情報紙を創刊し、本業のかたわらみずから取材にも加わって、復興の歩みや人々の暮らしぶりなどを伝え続けています。
東京オリンピックでは、宮城県の都市ボランティアとして震災の教訓を伝える「語り部」を務めましたが、新型コロナの影響もあって、県が仙台駅の東口に設置した震災を伝えるブースの来場者は1日平均およそ30人ほどにとどまり、格井さんが語りかけることができた相手は、2回の発表でわずか数人でした。
ボランティアを終えた格井さんは「達成率は10のうち1ぐらい。コロナ禍でも辞退しないで参加したということだけ」と率直な感想を述べました。
そのうえで「来場者が少なかったのはしかたのない部分もあった。わずかな確率でも、自分が話をすることで、誰かがSNSなどで発信してくれればつながっていくのではないか。そういう意味では、全く発信できなったというわけではないと思う」と振り返りました。
一方で、大会が被災地の復興を後押ししたかについては「“復興オリンピック”は、名前だけだったんじゃないかなと思う。被災者がいかに自立心を持って前に進むことができるかが真の復興だ。そう思えるようであれば東京オリンピックが後押ししたと言えたと思うが、そこまではいかなかった」と評価していました。
岩手 大船渡 ホストタウン事業担当者 今後の交流に期待
東日本大震災で340人が犠牲になった岩手県大船渡市は震災直後にアメリカの救助隊が行方不明者の捜索を行った縁でアメリカの「復興ありがとうホストタウン」になりました。
ふるさとの復興に携わりたいと震災後に市の職員に転職した生涯学習課の富山智門さんは、2017年に始まったホストタウン事業の担当として申請書の作成から携わりました。
このころは市内には仮設住宅が1600戸以上あり、被災者の生活再建が途上だった時期で、東京オリンピックが「復興五輪」と位置づけられたことについて、富山さんは「アメリカを始め世界の方々に復興の現状を発信するとともに元気に活動しているということを感じてもらえたらいいなと考えていました」と振り返ります。
大船渡市はその後、市長がアメリカを訪問して復興の進捗(しんちょく)を講演したり、震災から7年がたった2018年の3月11日にアメリカから救助を行った隊員2人を招待したりするなどの交流を続けました。
オリンピックの本番でも、アメリカの陸上選手が市内で陸上教室を開催したり、アメリカの救助隊員を再び招待して復興が進んだ町並みを案内したりするなどの交流を予定していました。
新型コロナウイルスの影響で予定していた交流や事業ができずに大会は閉幕しましたが、市ではコロナ収束後を見据えオンラインでやり取りを行って、交流の継続を約束しています。
富山さんは「来年以降オリンピックや復興五輪の理念にたよらずに、アメリカとの交流をスポーツや文化などで続けていくことで海外の方にも大船渡を知ってもらい、市民の方にも国際感覚であったり、世界に目を向けた広い視野を持つきっかけになればいいなと思います」と話していました。