ラク元大統領が死去

1990年代後半から12年にわたってフランスをけん引し、親日家としても知られたシラク元大統領が26日、死去しました。86歳でした。

シラク元大統領は1932年にパリで生まれ、エリート官僚の養成校である国立行政学院を卒業して、1967年の国民議会の選挙で初当選しました。

そして1974年にジスカール・デスタン大統領のもと、41歳の若さで首相に就任して急速に頭角を表し、1976年にはみずからの政党である「共和国連合」を結成して党首となったあと、翌年から20年近くパリ市長を務めました。

この間、フランスの独自性を志向する保守的なドゴール主義の継承者として、大統領選挙に2度立候補しましたが、いずれも左派、社会党のミッテラン氏に敗れ、3度目の挑戦となった1995年に大統領に初当選しました。

シラク氏は2期12年間、大統領を務め、在任中は南太平洋のムルロア環礁で核実験を強行して国際社会から強い批判を浴びた一方、2003年にアメリカ主導で始まったイラク戦争では、ドイツとともに開戦に反対しました。

退任後の2009年、パリ市長時代に公金を横領した罪で訴追され、その後、有罪判決を受けました。

シラク氏は和歌や俳諧、それに大相撲など日本文化への造詣が深く、公私含めて40回以上、日本を訪問するなど、大の親日家としても知られていました。

シラク元大統領の死去を受けてフランスの議会下院にあたる国民議会では26日、フェラン議長の呼びかけで議員が1分間の黙とうをしました。

相撲好きだったシラク元大統領

フランスのシラク元大統領は相撲好きとして知られ、2000年から7年間、「フランス大統領杯」を贈っています。これは、フランス人作家によってデザインされたつぼの形をしたもので、内部は400グラムの金で装飾されています。

ただ、シラク大統領が土俵に上がって直接大統領杯を力士に手渡したことはありませんでした。

追悼広がる

フランス政府は大統領府に記帳台を設け、週明けの月曜日は国をあげて喪に服すと発表しました。

マクロン大統領は国民向けに演説し「シラク氏は国や国民を愛してきた。国のためにそしてフランスの価値に尽くしてきたことに感謝したい」と述べて、功績をたたえました。またドイツのメルケル首相は声明を発表し、「偉大な政治家で、ヨーロッパ人であったシラク氏の死を悼む」と、哀悼の意を表しました。
パリの中心部にあるシラク元大統領の自宅の前には追悼に訪れる人が相次ぎ「亡くなったことを聞いたのはつらかった。優しく思いやりのある人だった」とか「すばらしい大統領できょうは悲しい日だ」などと話していました。

パリでは官公庁の建物で半旗が掲げられているほかエッフェル塔では夜間の照明を落とすなど、国の内外でその死を悼む動きが広がっています。

安倍首相 談話「両国の交流に尽くされた」

シラク元大統領の死去を受けて、安倍総理大臣は、日本政府と日本国民を代表して哀悼の意を表する、などとした談話を出しました。談話では、「シラク大統領は、1995年から12年の長きにわたり、フランス大統領として、世紀の移り変わる激動の時代に、たぐいまれなるリーダーシップを発揮され、国際社会の平和と繁栄に多大な貢献をされた。日本で、大の親日家として広く敬愛され、数十年にわたり積み重ねられた数え切れないほど多くの訪日を通じて、他の追随を許さない深い造詣へと深化し、両国の交流に尽くされた」と功績をたたえました。

そのうえで、第1次安倍内閣当時の、2007年1月にフランスを訪問した際に、エリゼ宮での首脳会談と夕食会で迎えられたことに触れ、「目を閉じれば、シラク大統領の優しさと、知性にあふれた笑顔が、まぶたに思い起こされる。ありし日の姿を偲びつつ、偉大な政治家、そして、かけがえのない友人のご冥福を心よりお祈り申し上げる」とシラク元大統領の死を悼みました。