安倍昭恵“主人の最後の戦い”
衆院補選山口4区

選挙応援する安倍昭恵さん

歴代最長の政権を担った安倍晋三元総理大臣の死去に伴う山口4区の補欠選挙。
戦いを制したのは、安倍の妻の昭恵が主導して後継として擁立した38歳の吉田真次。
選挙期間中、吉田の傍らには常に昭恵の姿があった。
(下関支局 中尾貴舟)

難航する安倍後継探し

去年7月に安倍元総理が銃撃されて死去し、9月に東京で国葬、10月に地元下関で山口県民葬が行われる中、その裏で進められていたのが、補欠選挙に向けた安倍の後継者探しだった。
安倍夫妻には子どもがおらず、後継として妻の昭恵をはじめ、安倍の親戚や元秘書の下関市長、安倍派の参議院議員などの名前が次々に挙がった。
こうした中、選定を主導したのは昭恵だった。
自身は立候補を固辞したものの、毎月のように東京から下関に入り、安倍後援会の幹部と会合を重ねた。
しかし、候補選びはまとまらず、時間だけが過ぎていった。
難航した理由は、衆議院小選挙区の区割りの変更と、それに伴う候補者調整だった。

山口県内の小選挙区は、補欠選挙の次の総選挙以降、4つから3つに1つ減る。

山口県の新しい区割り


これにより、安倍の後継候補は、補選で当選しても、次の衆院選では下関を含む新3区の党の公認をめぐって外務大臣を務める林芳正との争いになる可能性が高く、“ワンポイントリリーフ”になってしまうおそれがあるのだ。

有力な候補が次々と固辞する中、補選に後継候補を立てなければ、下関で安倍に近い地方議員や企業などの“安倍派”は、林に近い“林派”に飲み込まれてしまいかねない。
こうした懸念を最も強く持っていたのが昭恵だった。

安倍の死去から5か月が過ぎた去年12月になって白羽の矢が立ったのが、下関市議会議員で、若くして副議長などを経験している地元“安倍派”のホープ、吉田真次だった。安倍は生前、若い吉田に目をかけていたという。吉田は、憲法9条の改正や拉致問題の解決を主要な政策として挙げるなど、政治思想の面でも近かった。
こうした事情から昭恵が強く推し、吉田を説得して立候補につながった。

立候補表明の記者会見で吉田も、「安倍先生の遺志をしっかりと引き継いで、日本が世界の中心で咲き誇る国となれるよう力を尽くしたい」と述べ、安倍の使ってきた言葉を織り交ぜながら後継としての立場を強調した。

吉田氏の立候補会見

これまでの安倍事務所を吉田の選挙事務所として使うことになり、3月の開所式で昭恵は、記者団に対し「主人の志と思いを吉田さんにつないでいきたい」と話している。

後継として課題は知名度不足

吉田の課題は知名度だった。
山口4区は県西部の下関市と長門市からなるが、吉田は平成17年に旧下関市と合併した旧豊北町の出身で、人口の多い中心部では無名だった。

昭恵は月に2、3度は下関に入り、吉田が開く集会にも付き添い、支援者に支持を訴えた。

有田氏立候補会見


これに対して立憲民主党は、3月半ばになって、去年まで参議院議員を務めていた有田芳生を擁立した。ジャーナリストとしてテレビ番組にも出演してきた有田の知名度は全国区で、吉田陣営は大きな脅威と捉えた。

立候補会見で有田は、安倍の襲撃事件のきっかけともされる政治と宗教の問題を挙げ、「旧統一教会と政治のつながりをなくしていくきっかけにしたい」と訴えた。
選挙戦は事実上、吉田と有田の一騎打ちとなった。

“安倍の選挙”

出陣式には、元政務調査会長の下村や、政務調査会長の萩生田ら、安倍派幹部が応援に駆け付けた。

第一声で応援演説する安倍昭恵


昭恵自身も演壇に立ち、目に涙を浮かべながら「吉田さんは主人も大変信頼し、将来を期待する下関市議会議員でした。私も最後まで主人のために頑張ります」と述べて、吉田が安倍の後継であることを強調した。

また、出陣式では、吉田の後援会長が、吉田のことを「安倍真次」と呼び間違える一幕もあった。後援会長は安倍後援会の会長から引き続き就任した人物で、改めて“安倍の選挙”が続いていることを印象づけた。

ポスターや街宣車に掲げられた標語も、安倍が掲げていた「美しい国へ」を意識し、「美しく誇りある国へ」とされた。

吉田氏の選挙カー

選挙期間中、昭恵は下関に滞在してあいさつ回りを繰り返し、頭を下げ続けた。吉田の集会には毎回合流して、自らマイクを握った。

昭恵は“主人の最後の選挙”と意気込んでいた。
強く意識したのが「圧勝」することだ。
それは、区割り変更後の公認争いに向け、存在感を示すためだ。得票の目標も前回の選挙で安倍が獲得した8万票と定めた。

昭恵は「林さんを新3区に来させないために票を多く取りたい」と周囲に話していたという。

吉田氏を応援する安倍昭恵

しかし、目標の実現には1つの大きな懸念があった。
“林派”の動向だ。
陣営にとって、“林派”が吉田の「圧勝」を避けるため積極的に選挙活動を行わないのではないかという懸念が最後まで払拭できないままの戦いとなった。

事実、“林派”に属する企業の社長は、「吉田に票を取られては困る。今回は動員はかけない」と話していた。

勝利も今後の懸念は公認争い

こうして12日間続いた選挙戦。

有田は、参議院議員の蓮舫や党代表の泉健太など立憲民主党の顔役を次々に応援に投入したものの、安倍が長く築いてきた保守王国の牙城を崩すことはできず、旧統一教会の問題も地元では大きな争点にはならなかった。

投開票日の4月23日。
吉田の安定した得票が見込まれたことから、午後8時の投票締め切り後すぐに、NHKは“当選確実”を報じた。
安倍の死去を受けて行われた選挙は、妻の昭恵が担ぎ出した後継、吉田の勝利で終わった。

吉田は支援者を前に「このたびの選挙は志半ばで命を奪われてしまった安倍元総理大臣の無念や魂をみんなで引き継いで、実現しようと戦ってきた。その思いは決して変わることはない」と述べた。

また昭恵は「主人が亡くなったあと本当に悔しくて悲しい思いでいっぱいでしたけれども、選挙を通して吉田さんが主人の志をしっかりと継いで国政の場に出てくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。皆さまには吉田さんを立派な国会議員として育てていただければ」と呼びかけた。

今後、公認をめぐる林との争いが待ち受けている。

補欠選挙後の山口県小選挙区選出議員

昭恵も支援を続けていく意向を示していて、生き残りを図る地元“安倍派”にとって、安倍晋三の後継者・吉田真次の存在感を示すための戦いが今後も続くことになる。
(文中敬称略)

【リンク】衆院補選山口4区 開票状況

山口局(下関支局)記者
中尾 貴舟
2017年入局。演劇にのめり込みすぎて学部に8年通ったあと大学院に進学。津放送局を経て、おととしから下関支局に。関門海峡を眺めながら主に行政取材を担当する。