あなたは退場 総務省動く

にわかには、信じられなかった。

「ふるさと納税の通知を守らない自治体を対象外とするよう制度を見直すようだ」
8月下旬に関係者からもたらされたこの情報。

わずか1か月半前の7月の記者会見で、当時の野田総務大臣は、返礼品をめぐる自治体どうしの競争が過熱していることについて「地方自治を尊重したい。強制という形は取るべきでない」と述べるなど慎重な姿勢だったからだ。
そして総務省は、過度な返礼品を贈り続ける自治体を退場させるため、制度を見直すという厳しい判断を表明した。
総務省で何が起きていたのか。
(政治部総務省クラブ 宮内宏樹)

爆発的増加のきっかけは

ふるさと納税は、生まれ育ったふるさとや、過去に住んだことがある自治体を応援できるようにと10年前に導入された。
最初の平成20年度の寄付の総額はわずか81億円だったが、平成29年度の寄付額は3653億円。5年連続で過去最高を更新している。
寄付額の推移を見ると、平成27年度から爆発的に増えている。

この時に何があったのか。

調べてみると、きっかけは総務省だった。
控除を申請するための確定申告が不要になったほか、住民税の控除額の上限が2倍に引き上げられた。ふるさと納税を浸透させようと、制度を変えたのだ。

手続きが簡素になったために利用者が増える中、返礼品を贈ることで多くの寄付を集める自治体が現れ、それを見たほかの自治体も返礼品を積極的に贈り始めたのだ。

そして選ぶ側も…

返礼品の競争は一気に過熱した。高級和牛やカニ、お掃除ロボット、ハワイ旅行券も。
どんどん高価なものが返礼品として登場し、ふるさと納税の返礼品をまとめて紹介する、ネットショッピングのようなサイトも作られた。
当初の目的である「ふるさとの自治体を応援する」という趣旨とはかけ離れ、どんな返礼品を受け取ることができるかで寄付する自治体を選ぶ人が増えていったのだ。

大臣の通知も効果なし

ショッピングの様相を呈してきたふるさと納税。
総務省もただ黙って見ていたわけではない。

去年4月、当時の高市総務大臣。

大臣名で、返礼品の調達価格を寄付額の3割以下にするよう求める通知を出した。
ただ強制力は無く、過度な返礼品を贈っていた自治体は、1156から841に減っただけだった。

ことし4月も当時の野田総務大臣名で、調達価格の抑制の徹底、それに返礼品を地場産品に限るよう求める通知を出した。

それでも、全体の2割弱の327の自治体が、通知には従わなかった。

実は水面下で動いていた、総務省

野田大臣名の通知を出したことし4月。実はこの時点で、総務省が制度の見直しの検討を始めていたことが今回の取材で分かった。

「正直者がばかを見ないようにしてほしい」

過度な返礼品を見直した結果、寄付が大きく減った自治体からの声が寄せられていた。
『自主的に改善を促す一方で、法律を改正することで制度そのものを変えてはどうか』
制度を担当する総務省の自治税務局内で、水面下での検討が始まった。

これが、最後通告

制度改正に向けて検討を進める総務省は、ことし7月にある布石を打った。

例年この時期にまとめられるふるさと納税の寄付の総額。発表にあたって異例の対応をとったのだ。
10億円以上の寄付を集めた自治体のうち、返礼品の調達価格を寄付額の3割以下にすることと、地場産品にするよう求めた通知に従わず、当面、見直す考えもないとしている12の自治体名の公表に踏み切った。

そこには、前の年度よりも約100億円多い、全国1位の135億円余りの寄付を集めた大阪・泉佐野市や、家電などの高額な返礼品を贈り、全国4位の72億円余りを集めた佐賀県みやき町などの名前が並んでいた。

ある幹部は「これは警告だった」と振り返る。総務省としての、最後通告とも言える公表だった。

当時の野田大臣。記者団が「通知に強制力を持たせるべきではないか」と質問したのに対し、「あくまで地方自治を尊重したい。強制というかたちは、取るべきではない」と述べていた。7月の時点でも、自治体が自主的に見直すことを期待していた。

その後、8月に入り、総務省でふるさと納税を担当する課長は、野田大臣の意向を受けて、公表した12の自治体のトップに直接電話をかけて見直しを要請した。
しかし自治体のトップからは、「見直すにしても調整に時間がかかる」「他の自治体も守っていないではないか」という反応が。

従わぬ自治体は「対象外」に

去年4月の最初の通知から1年半。
「やることはすべてやった」「このままではふるさと納税の制度そのものが立ちゆかなくなる」「『地方自治』は好き勝手やっていいという意味ではない」
総務省の事務方の腹は決まった。

8月下旬、温めてきた腹案を当時の野田大臣に示した。

通知に従わない自治体をふるさと納税の対象外とするよう制度を見直すべきだと訴えた。

説明を聞き終えた野田大臣、「やむをえないよね」と了承したという。

野田大臣も、自治体には自主的に通知どおりにしてもらうことが望ましいと思いながらも「確信犯的に通知に従わない自治体は何とかしないといけない」という考えを持っていたのだ。

事務方の説明を受けて「我慢してきたがそろそろ潮時」だと見直しを決断した。

大臣の了承を得た幹部はすぐさま、ある場所を訪れた。

総理大臣官邸だ。

10年前にふるさと納税の導入を主導した当時の総務大臣、菅官房長官に説明するためだ。

そして菅官房長官からも了承を取り付ける。制度見直しの方針が固まった瞬間だった。

なぜこのタイミングに

制度の見直しの表明がなぜこの時期だったのか。

それは地方税法の改正が必要だからだ。

総務省は早ければ来年の4月から、通知に従わない自治体は、税金が控除されないよう制度を見直したいとしている。そのためには、年末にかけて行われる与党の税制調査会での議論で、了承をもらう必要がある。

総務省が見直しの表明にあわせて行った調査では、9月1日の時点で、返礼品の調達価格の目安を適用していない自治体は全国の自治体の13.8%にあたる246。地元産品ではない返礼品を贈っている自治体も全国の自治体の10.6%にあたる190残っていた。

総務省は今後、11月1日時点で通知に従っているかどうか、改めて調査し、制度を見直す前に、少しでもこうした自治体を減らしたいとしている。

歓迎、そして混乱と反発

ふるさと納税の制度見直し。自治体はどう受け止めたのか。

「公平な競争ができる」と歓迎する意見が多い中、見直しに戸惑う自治体もある。

高額の家電などの返礼品を贈って、昨年度、全国4位の寄付金を集めた佐賀県みやき町。ふるさと納税を子育て支援の充実にあててきた。

5年前から定員を超えるようになった保育園では、受け入れられる子どもの数が200人から300人に増えるという。

末安伸之町長は「過熱した競争に走ってきたことは認める。本来の趣旨である、ふるさと納税の寄付のあり方に戻るためには、今回の法整備は大変いいと思うが、基準を示してくれないと新たな混乱が生じるのではないかと危惧している」と述べている。

一方、昨年度、全国トップの135億円余りの寄付を集めた大阪・泉佐野市は強く反発した。

財政破綻手前の「早期健全化団体」に指定されたこともある泉佐野市。ふるさと納税は、収入確保の重要な取り組みと位置づけ、寄付の多くは教育や子育て事業に活用してきた。

返礼品には、全国各地の肉や、果物、それにビールなどを取りそろえた。

今年度、5つの小中学校ではプールが整備される予定だ。

小学校の机やいすの買い替えにも活用されている。

9月下旬、東京都内で会見を開き、冒頭「総務省が一方的な条件を押しつけている」とする千代松大耕市長のコメントが読み上げられた。

会見した八島弘之副市長は、返礼品の調達価格の抑制は、すべての自治体が守るならばという条件付きで、受け入れることを表明した。

しかし、地場産品に限ることについては「豊富な特産品を持つ自治体とそうではない自治体との間で格差が生じる。特産品を持たない自治体への配慮や創意工夫ができるような余地を残すべきだ」として、総務省の方針は受け入れられないと強調した。

これについて総務省の幹部は「明らかに地場産品ではないものは、返礼品として認められないが、地場産品かどうか微妙なものについては、具体的に何がよくて、何がダメなのかを細かく規定することは難しい。どの自治体をふるさと納税の対象外とするかどうかは、制度開始までの取り組み状況をみて総合的に判断する」としている。

もはや「欠かせない財源」

ふるさと納税の導入から10年。

返礼品をめぐる自治体間の過熱競争によって、野田前大臣は「ふるさと納税は存続の危機にある」とまで言い切った。

一部の自治体がルールを守らず、寄付金集めが目的化している現状を放置すれば、ふるさと納税に対するイメージが傷つき、制度そのものが否定されるという危機感があったからだ。

「返礼品そのものを禁止すればいい」という意見も聞くが、返礼品が注目されなければ、ここまでふるさと納税のすそ野は広がらなかっただろう。返礼品に取り上げられることで、特産品の知名度アップにもつながっているし、観光に訪れる人や移住する人も現れ、経済波及効果も出ている。

一方、返礼品の見直しに応じない自治体には「財政が厳しく、少しでも資金を集めなければならない」「特産と言える地場産品がない」という事情も抱えている。

財政難にあえぐ自治体が多い中、ふるさと納税による寄付が欠かせなくなっている自治体もあるだけに、制度の見直しに向けては、その声を丁寧に聞く姿勢が総務省には求められている。

政治部記者
宮内 宏樹
平成22年入局。福井局、報道局選挙プロジェクトを経て政治部。総務省などを担当したのち、現在、官邸クラブを担当。