東国原旋風は吹いたのか
激戦!宮崎県知事選挙

「これはもう宮崎が生きるか死ぬかの選択だ」
そう訴えて、再び宮崎県知事選挙に立候補した、元知事の東国原英夫。
12月25日に行われた知事選は、東国原と、3期12年務めた現職の河野俊嗣が事実上の一騎打ちで激しい戦いを繰り広げた。
結果は、河野25万8646票。東国原23万5602票。
東国原は2万3044票差で敗北した。
「変化」か「安定」か。
県民は後者を選んだ。
(松井嚴一郎 坂西俊太)
東国原、再来?
「東国原さん、県知事選出るって」
7月の参議院選挙が終わり、全国的には選挙ムードもすっかり影をひそめたころ、宮崎県内の政治関係筋ではその話で持ちきりとなった。
これまで選挙のたびに立候補がうわさされ、注目を集めてきた東国原。
正式な立候補表明がないまま、今回もうわさはどんどん広がっていった。
またも東国原旋風が巻き起こるのか。しかし、どうも様子が違う。
「いまさら何をしようというのか」
「宮崎を捨てたくせに」
「どうせまたすぐどこかに逃げる」
県内では冷ややかな反応が満ちていた。
謝罪を続ける東国原
ことし8月17日。
東国原は立候補を正式に表明した。
「1期で辞任したことを『宮崎を踏み台にした』『宮崎を捨てたんですね』。こういうお叱りの言葉が僕の中に重い十字架としてのしかかって今後、この十字架を一生背負って死んでいくのかと思ったらいたたまれなくなって」
立候補の理由の1つをこう話した。
多くの県民は、2007年から4年間の知事時代、東国原が高い知名度を生かしたトップセールスで、マンゴーやチキン南蛮などの「食」をはじめ、観光振興など宮崎を“全国区”にした活躍を覚えている。

一方で、高い支持を集めていたにもかかわらず、家畜の伝染病「口てい疫」の被害からの回復という大きな課題を残したまま退任した東国原の“引き際”に対する県民の記憶は、それ以上に鮮明だった。
それを感じていたであろう東国原は、会見で前回の退任に触れざるを得なかった。
自身の考える宮崎の将来を熱く語ったというよりも、釈明に終始した印象にもうつった会見だった。

東国原はこの会見の直後、自民党宮崎県連に赴き、推薦願を提出した。
たった1人でふるさとに乗り込み、激戦を制した当時の選挙とは違い、組織や団体の支援を受ける選挙戦も選択肢の1つと考えた動き出しだった。
この時点では、現職との明確な違い、「変化」を期待させる新たなリーダー像を印象づけるまでには至らず、「逆風」からのスタートのようにわれわれは感じた。
新旧対決
今回の選挙には、東国原と現職の河野俊嗣、政治団体代表の新人の3人が立候補したが、東国原と河野の事実上の一騎打ちだった。
「なぜ今なのか、今さらという感じが非常に強い」
河野は東国原の立候補への受け止めについて聞かれるとこう話した。
ふだん報道陣の前では冷静で感情的な言葉を発することが少ない河野が、初めてとも言えるほどに語気を強くした。

「時計の針を巻き戻すようなことがあってはならない。当時と同じように宮崎の物産をPRすれば宮崎が同じように元気になるかというとそうではない。当時とは状況が全く違う。そこを理解せずに同じような夢を追い求めるのは違う」
かつての一大旋風を副知事として一番近くで見てきたからこそ東国原の立候補をけん制したという印象だった。
河野は、これまでの3期12年、「対話」を重視し、堅実な県政運営を進めてきたこともあり、今回の選挙では300を超える団体からの支援を受け、組織戦を展開した。
この中には、東国原が推薦願を提出した自民党県連も含まれている。
盤石な組織の支援、自身の実績を背景に河野は、序盤から選挙を優勢に進めていくことになった。
謝罪を続ける
「いやー、厳しいですよ。安定志向というか、変わることについて非常に拒否感を持った人が多いのかな。もうこのままでいいというなら、はい、そうですかっていう感じですよね」
選挙戦を間近に控えた11月中旬、東国原は弱音を漏らした。
経済・雇用対策や人口減少対策といった地方共通の課題はあるものの、明確な争点はないまま、「変化」か「安定」か、それを選択する選挙になった。
そして12月8日、告示日。
東国原が第一声の場所に選んだのは、有権者の多い宮崎市でも地元の都城市でもなく、川南町だった。
知事時代の原点、今回の選挙で謝罪を繰り返す理由となった口てい疫の対応にあたった場所だった。
演説は、釈明と謝罪からスタートした。

「2期目を断念した、あのときの判断は本当に未熟、若さの至りだったんじゃないかと思います。県民の皆さんがもう1期やれよ、2期やれよという期待の声、それが私の思いとはかい離をしてました。離れておりました。あの判断は今となっては本当に反省しております」
その後の選挙戦でも演説では謝罪し、頭を下げ続けた。
「今度は辞めないでよ」
「今度は裏切るなよ」
駆け寄ってくる有権者からこんな言葉をかけられる東国原の姿をよく目にした。
タレントとして高い知名度がある東国原。
それとは裏腹に、選挙では組織からの支援はほぼ得られず、謝罪を繰り返しながら草の根の選挙戦を展開した。
「どげんかせんといかん」に変わるようなキャッチコピーを生み出すことはなく、ガラス張りの選挙カーには「今度はやめん」という言葉ものせ、前回の退任の経緯への県民の不信感をなんとか払拭しようとしていた。

このとき東国原はまだ、逆風の中にあるように我々は感じた。
変化への期待は大きくなり
しかし、東国原の持ち前の巧みな話術は健在だった。
時に笑いを交えながら進められる集会や演説は選挙戦が進むにつれて、徐々に熱を帯びていった。終盤になるにつれ、現職との対立軸を鮮明にする言葉も増えていく。
「地方間競争はすでに始まっているんです。これはもう宮崎が生きるか死ぬかの選択なんです。“無難”“手堅い”“安全運転”そんな県政もいいでしょう。ただ、私はもっと次元の違う県政が必要だと言っているんです。現職の(団体からの)推薦状は、まあすごい数の多さですよ。でもね、私にとってはまさに今ここにいる皆さん一人一人が推薦状なんです」
その場にいる人たちを巻き込み熱狂させる話術は支持の広がりにつながっていった。
投票日の3日前には“風”が変わり始めていた。
投票日前日となるクリスマスイブに行った宮崎市中心部の商店街の演説。

これまでの「安定」ではなく「変化」を求める県民の声も最終盤で大きくなっていった。
結果は

現職の河野が25万8646票、これに対し、東国原は23万5602票。
東国原は今回の選挙について「一番ふるさとを思う者が勝つ」と訴えたが、2万3044票、4.6ポイント差で現職に敗れた。
県民の多くは東国原が訴えた「変化」よりも「安定」を選んだ。
敗因について東国原は「完全に私の力不足。終盤では県民のみなさんの反応に熱があると感じた。ただ、たかが組織団体、されど組織団体、相手陣営の壁は厚かった」と話した。
NHKが投票日に行った出口調査では、河野県政を▼「大いに評価する」と▼「ある程度評価する」をあわせると86%に上った。
一方で、評価した人のうちの40%台半ばが、東国原に投票していた。

また河野は、自民党県連や公明党の推薦を受けたが、自民党支持層のおよそ40%、公明党支持層の30%台後半が東国原に投票していた。

知名度と巧みな話術で激しく追い上げた東国原。
ぶ厚い組織の壁をかなりの程度崩し、「東国原旋風」の再来とも感じられたが、あと一歩及ばなかった。
(文中一部敬称略)

- 宮崎局記者
- 松井 嚴一郎
- 2017年入局。県政キャップ。

- 宮崎局記者
- 坂西 俊太
- 2018年入局。県政担当。