決められない最大派閥
トップ不在の“安倍派”

安倍晋三が率いた自民党最大派閥・安倍派。

安倍の「国葬」を区切りに新体制への移行を目指したが、後任の会長を決めることができず、「安倍派」の名称のまま、トップ不在の体制を続けることとなった。

衆目の一致する後継者が不在の中、派内では、いくつもの思惑が交錯し、せめぎ合いが繰り広げられた。「安倍派」はなぜ、時計の針を進める道を選べなかったのか。(米津絵美、柳生寛吾、馬場勇人)

幻に終わった「塩谷派」

新しい体制を考えていたが、いろんな意見があり、検討するにはまだ時期尚早だ。無理にやるとおかしな方向に行きかねず、丁寧に時間をかけようという結論に達した

先月(10月)13日に開かれた安倍派の議員総会。
会長に次ぐナンバー2の会長代理を務める塩谷立は、苦渋の表情で、安倍の後任の会長選びをさらに先送りする意向を表明した。

派閥の会合で挨拶する塩谷氏

2週間前の派閥の総会で、「国葬」終了を踏まえ、新体制へ移行する方針を明らかにしていた塩谷。
派内の幹部たちからの推挙を受けて、この議員総会の場で、自身が新しい会長に就任することを発表する段取りにしていたが、反対の声が強まり、一転、断念に追い込まれた。

決まりかけていたはずの「塩谷派」の流れは、この2週間でなぜ立ち消えになってしまったのか。

会長不在では存在感が低下

塩谷氏

塩谷は、衆議院当選10回の72歳。
文部科学大臣や、党総務会長などを歴任したベテランだ。

7月8日の安倍の死去後、安倍派では、執行部体制の見直しも検討されたが、派閥の分裂を避けるため、結論をいわば先送りする苦肉の策をとった。

8月の内閣改造と党役員人事の際は、会長代理の塩谷が「窓口」役を担い、総理大臣・党総裁の岸田文雄に対し、派閥の要望を伝えるなどした。

この8月の人事で、安倍派は、閣僚に、麻生派と並んで最も多い4人を送り出し、党4役の一角、政務調査会長のポストも確保した。しかし、第2派閥の茂木派(54人)を大きく上回る97人を抱える最大派閥として、「閣僚5人の起用を目指す」としていただけに、この結果で満足する声は多くはなかった。

しかも、岸田が、当時、経済産業大臣を務めていた萩生田光一を呼び、直接、党の政務調査会長を打診したことは、「塩谷を通さないのはおかしく、派閥として軽んじられている」との批判も出た。

いつまでも会長不在のままでは、最大派閥としての存在感がなくなってしまう

派内では危機感が広がり、新体制への移行が真剣に検討されるようになった。

結束のため「つなぎ」の新会長?

後任の会長選びでも、大きな判断基準となったのは「派内の結束を保つこと」だった。

将来の総理・総裁候補と目される幹部たちのなかで、現時点で、派閥をまとめられると誰もが認める抜きん出た存在はなく、本格的な争いがおこれば、派閥が割れる恐れがあるとの指摘が出ていた。

こうしたなかで、温厚な人柄で知られ、「野心がない」という評がもっぱらの塩谷に、いわば「つなぎ」的に会長を務めてもらおうという雰囲気が醸成されていった。塩谷自身も、そうした状況を十分承知したうえで、火中のくりを拾う覚悟を固めた。

世代交代目指した「5人衆」

「塩谷派」に向け動いたのは、「5人衆」と称した以下の面々だった。

安倍派5人衆 高木氏 松野氏 西村氏 萩生田氏 世耕氏

このうち、松野・西村・萩生田は、安倍が生前、将来のリーダー候補と評した4人、いわゆる「安倍四天王」に名を連ねたうちの3人だ。世耕は、派内で固い結束を誇る参議院議員のグループを率い、将来は衆議院にくら替えして、総理大臣を目指す意向を公言している。
彼らは、派閥の実務を取り仕切る事務総長の高木も加えて会合を重ね、意見を交わした。

5人は、塩谷を会長として自分たちが支える新たな執行部体制を構築したいと考えていた。
このうち複数のメンバーが、これを機に派閥内の「世代交代」を進めたいという思惑で5人が一致していたと明かしている。

もう1人の「会長代理」

「5人衆」が「世代交代」を図る相手として念頭に置いたのは、下村博文(衆・当選9回・68歳)だった。
塩谷とともに派閥の会長代理を務める下村は、「安倍四天王」の残りの1人であり、これまでに総裁選挙への立候補を模索した経験も持つ。

下村氏

下村も、今回、自身は会長を目指さず塩谷を推す意向を早々に固め、下村周辺は、引き続き会長代理を務めることで、「次」を狙うという絵を描いていた。

「塩谷会長」のもとで、どちらが派閥運営の主導権を握るのか。
水面下の攻防は、まずは、世代間のポスト争いという形で展開していった。

ベテラン勢の「塩谷推し」

「国葬」の2日後の9月29日。派閥の運営方針などを話し合う「幹事会」が開かれた。

塩谷先生を会長にどうか
この場で下村は、塩谷を会長に推す考えを表明した。

下村のほか、派内の衆参それぞれの最長老で、ともに「最高顧問」を務める衛藤征士郎(衆・当選13回・81歳)と山崎正昭(参・当選6回・80歳)も同様の意向を示した。

衛藤氏と山崎氏

派閥の公式な会合で具体的な会長候補の名前が出されたのは初めてで、突然の発言に、ほかの出席者は一様に驚いたという。

会合のあと、下村周辺の議員たちは「幹事会で特に異論は出なかった。塩谷会長で決まりだ」と口々に記者たちに解説して見せた。

3人の発言は事前に示し合わせたものだろう
派内では、下村が、いち早く塩谷支持を表明することで、「5人衆」に対し機先を制することを狙ったものだとの見方が大勢だった。

新体制移行方針の表明

この幹事会の直後に開かれた派閥の議員総会で、塩谷は、新体制に移行する方針を表明した。
安倍総理が亡くなった大きな穴を埋めることは、どんな体制をとっても難しいと思う。しかし、皆さん1人1人の力を結集して、日本の政治に清和研(清和政策研究会=安倍派)が中心になって貢献できるような体制を整えていきたい

幹事会での下村らの発言は想定外だったが、事前に「5人衆」と下村らの双方から意向を確認しており、自身の会長就任におおむねメドがついたと判断したうえでの宣言だった。

塩谷は、この時点で、1~2週間後には新体制を発表できると考えていた。
しかし、このあとも塩谷にとって想定外の事態が続いていくことになる。

「5人衆」に亀裂

塩谷は、新しい体制をめぐって、「5人衆」と下村側の双方から働きかけを受けていたが、派内で将来の総裁候補を育てていくため、「5人衆」の意向を尊重する方向で調整を進めていた。
ただ、調整を進める中で次第に、今度は「5人衆」の中で思惑の違いが顕在化してきた。

もともと、「5人衆」の中で、「塩谷会長」実現に向けた熱意には明確な温度差があった。もっとも積極的だったとされたのは、官房長官の松野だ。塩谷が派内の調整に動く中、松野も、他派閥の幹部に「塩谷会長になりますので、よろしくお願いします」と声をかけるなど、環境整備を進めてきた。

松野氏

一方、もっとも消極的と見られていたのが参議院幹事長の世耕だった。
世耕は、「5人衆」の会合でも、引き続き会長は置かず、5人による集団指導体制を確立するのが望ましいとの立場を示し、次善の案として、塩谷が会長に就任することも排除しないという立場だった。

世耕氏

こうしたなか、10月6日夜、塩谷を支える新体制の構想として、「5人衆」のうち、松野、西村、萩生田の3人を会長代理に据える案が、一部報道で取り上げられた。
そこに、世耕の名前はなかった。

この案には、世耕を支える参議院側から強い不快感が示された。世耕自身も、塩谷の会長就任に反対する姿勢を明確にするようになった。

そして、参議院側からは、衆参それぞれから会長を出す共同代表制に移行し、「塩谷・世耕派」、あるいは「萩生田・世耕派」とするよう求める声が上がった。
世耕は、派閥所属の参議院議員38人全員から「派閥が結束していくために世耕に一任する」とした連判状を取りまとめ、共同代表制の実現に向け、塩谷にプレッシャーをかけていった。

相次ぐ「森詣で」

塩谷が自身の会長就任に向けてお墨付きを得ようとしたのは、かつての派閥の領袖で、いまも大きな影響力を持つとされる森喜朗(85歳)だった。

森氏

森のもとにあいさつに行った塩谷は、後日、周辺に対し「森さんから『自宅を担保に金を借りるぐらいの覚悟はあるのか』と迫られたが、最終的には『頑張れ』と言ってもらった」と安堵感を口にしている。

そして、10月6日昼に開かれた派閥の議員総会で塩谷は、「新しい体制は来週ぐらいには示したい」と新体制移行に向けた時期を明示した。「塩谷会長」に向け、1つ1つ積み重ねていった。

しかし、森を頼ったのは塩谷だけではなかった。
この間、世耕や高木など、「5人衆」の複数のメンバーも、それぞれの思惑をもって接触を図っていた。

思わぬ「来客」の一言で…

10月10日夜、都内のホテル。
塩谷は、新体制の発表の予定を3日後に控え、「5人衆」と向き合った。
この時点でも、世耕から「塩谷派」への理解は得られておらず、一縷の望みを持って話し合いに臨んでいた。

しかし、その最中、想定外の「来客」があった。森だ。
複数の出席者によると、この場で森は、後任の会長は引き続き空席とし、西村・萩生田・世耕の3人で、派閥を運営する案を披露したという。

結局、この夜の会合で、何も決まらなかった。
出席者のひとりは、翌日、取材に対し「新体制に向け、決まらないということが決まりつつある」と語った。

「私たちは『安倍チルドレン』」

こうした中、派内の中堅・若手の議員たちからは、新体制への移行自体に反対の意見が出だした。

新体制の発表の予定を翌日に控えた12日朝。
衆議院の当選4回の議員らが会合を開いた。このなかでは「会長を決めるのは時期尚早で、当面いまの体制を維持すべきだ」という意見が大勢を占め、自分たちの総意として、塩谷ら幹部に伝えた。

中堅・若手議員たちの中には、この間、幹部による水面下での調整が報道などでしか伝わってこないことに不信感を募らせる者もいた。

彼らは取材に対し、包み隠さず本音を語った。
やはり、総裁候補たる方が会長になるべきだ。現時点で衆目の一致する人がいないわけだから、集団指導体制のままでいい
私たちは『安倍チルドレン』で、安倍さんに支えてもらって当選してきた。派閥の会長は、金も出して、人事でしっかりものが言えるような指導力がある人が就くべきだ

排除の論理はだめだ」と、「世代交代」を狙った「5人衆」を当てこする議員もいた。

塩谷は、後日、周辺にこう漏らした。
(9月29日の「幹事会」で)私の名前が挙がったことで、いろんな意見が出てしまい、おかしくなってしまった。そうなる前に、さっと決めてしまいたかった

「安倍」後はいつに

安倍の後任の会長選びは、さらに先送りとなった。
しかし、単に「元のさや」に納まったわけではなく、新体制の模索を通じて、派内にはいくつもの「ミシン目」が刻まれる結果となった。

塩谷は、一度は自身の背中を押してくれた森の「変節」の背景をいぶかった。
森が言及したという「西村・萩生田・世耕体制案」で名前が挙がらなかった松野も、そこにいたる経緯に疑念を抱いているという。

一方、派内の一部からは今回の森の行動に対しても「望ましくなかった」などと批判も出ている。

安倍氏遺影

派閥としての存在感の低下を防ぐより、現状から変わらないことであつれきの回避を優先した今回の結果。
いま、派内の97人をつなぎとめている合い言葉は「安倍総理の遺志を継ぐ」だ。

亡き「安倍」の名のもとに結束を保つことを選択した最大派閥は、いつ「安倍派」から移行するのか。そのとき、どんな景色が広がっているのだろうか。
(文中敬称略)

政治部記者
米津 絵美
2013年入局。安倍派、政務調査会などを担当。
政治部記者
柳生 寛吾
2012年入局。参議院自民党などを担当。
政治部記者
馬場 勇人
2015年入局。安倍派、国会対策委員会などを担当。