安倍元首相への追悼演説 立場越えて臨む心は

安倍元首相の追悼演説

安倍元総理大臣に対する国会での追悼演説が10月25日に行われた。
言葉を送るのは、元総理大臣で野党の野田佳彦。立場は違えど、どんな思いで臨んだのか。
かつて追悼の名演説を行ったとして永田町で知られるベテラン議員に、9月の「国葬」で世論が割れたことも踏まえ、国会での追悼演説のあり方を聞いた。
(柳生寛吾)

【リンク】10月25日の野田元総理 追悼演説 全文「私はあなたのことを 問い続けたい」

謹んで受ける

銃撃事件で亡くなった安倍元総理大臣に対する国会の追悼演説は、10月25日午後1時からの衆議院本会議で行われた。

野田元首相

演説の人選は紆余曲折をたどったが、最終的に自民党は10月7日、「遺族や自民党の総意」「総理としての重圧や孤独を最も知っている」として、立憲民主党の元総理大臣、野田佳彦に要請。党執行部と協議した野田は「謹んで受ける」と応じた。

国会の追悼演説とは

現職の国会議員が亡くなると、その議員が所属していた院の本会議で故人に対する追悼演説(※ただし、参議院では「哀悼演説」と呼んでいる)が行われるのが慣例だ。
両院の事務局によると、戦後、衆議院では260回、参議院では172回行われてきた。

総理経験者に対する追悼演説は、今回で戦後9回目、22年ぶりとなった。
過去には、野党の党首やベテラン議員が務めてきた。

ただ今回は、安倍氏が総理を退いてからまだ2年しか経っておらず、野党の中でも立憲民主党はこれまで安倍政権の問題点を厳しく追及してきた立場だ。
さらに9月の「国葬」の実施をめぐって世論が大きく割れたこともあり、今回の演説は誰が行っても難しいものになる。
立憲民主党内では「野田さんは受けるべきではない」という声も出ていたが、野田は同じ総理を経験した者として引き受ける決断をした。

野田は複雑な胸中

その野田は、追悼演説を前にした10月中旬、自身のブログで複雑な胸中を明らかにした。

野田元首相のブログ

安倍氏とは平成5年の衆議院選挙で初当選が同期だとしつつも、これまで個人的な関係はほとんどなかったとしている。ことし亡くなったJR東海名誉会長の葛西敬之の仲立ちで食事をしたことがあるが「特に会話は弾むことはなかった」と振り返っている。

一方で野田は、衆議院解散をめぐり、10年前に総理として野党・自民党総裁の安倍氏との間で行った党首討論について「党首同士が互いの持てるものを賭けた、火花散る真剣勝負だった」と振り返り、今回の追悼演説について「言葉を練りに練り仕上げにかかる」と意気込みを示した。

安倍氏と野田氏の党首討論

追悼演説に臨む心は

実は、衆参両院の現職議員としては最多のあわせて3回も追悼演説を行った人物がいる。
ことし8月に参議院議長に就任した自民党の尾辻秀久(82)だ。

訪ねると、まず、国会における追悼演説の意味をこう語った。

尾辻秀久

「どんなに憎しみ合っていても葬式の時にはきちんとお悔やみだけはするのが日本の文化だ。国会議員どうしの付き合いでもそれがあり、特別なものなんだろうね」(尾辻)

その尾辻が最初に行った演説が、2008年、民主党の山本孝史参議院議員へのものだ。

「先生、きょうは外は雪です。ずいぶんやせておられましたから、寒くありませんか。あなたは参議院の誇りであります。社会保障の良心でした」

がんを公表していた山本は、58歳で現職の参議院議員のまま亡くなった。

山本孝史参議院議員

生前は民主党で社会保障に精通した議員の1人として知られ、厚生労働大臣だった尾辻とは、野党議員と大臣という立場で、一問一答の委員会審議でたびたび対峙した。

「とにかく親しくもし、大げんかもしたという間柄だった。『真剣勝負だから』と言って国会では質問通告もしてこない。あるときには『本音で聞くから本音で答えろ』と言われ、売られたけんかは買ってやろうと思って答弁したら『私もそう思う』なんて拍子抜けするくらいだったこともある」(尾辻)

演壇に上がるぎりぎりまで原稿に手を加えた尾辻。

演説終盤では悲しさがこみあげて、涙をこらえようと何度も声を震わせながら、目線は時折、議場の上のほうに向けながら語りかけた姿は語りぐさとなっている。

「『雪が降って寒い』という部分は、ほとんど文字にもなっていなかった。だから書いたものを読んだのではなくて、本当に自分の思いを込めるしかなかったんだよ」(尾辻)

山本への語りかけるような演説が評判になった尾辻は、その後、2011年に現職の参議院議長として死去した民主党の西岡武夫の演説、おととしは新型コロナに感染して53歳で急逝した立憲民主党の羽田雄一郎の演説を行った。

尾辻氏の羽田雄一郎氏への追悼演説

思いを込める

尾辻は、今回の演説に臨む野田の心中を察していた。

「10年も20年も国会議員やっていればしゃべるのはお手のものだろうと皆さんは思われるのかもしれないけど、少なくとも自分の経験でいうとそんなことはないよね。やっぱりすごいプレッシャーはあるよね」(尾辻)

そして、こうした演説では、思い出を振り返りながら語りかけ、あとは聞く人がどう感じるか判断を任せるべきだと指摘した。

インタビューに答える尾辻氏

「追悼演説は思いを込めることが1番大事だ。うまいとか下手とかいうことではない。演説をしているときはいろんな思い出が走馬灯のように思い出される。野田さんと安倍さんの間というと、党首討論のやりとりがすぐに思い浮かぶよね。私が野田さんの立場だったら恐らくあの場面を思い浮かべながら読むんじゃないかな。人間誰しも人の子だし、何の時でも一生懸命やることが大事だ。あとは聞く側が何を感じるかだ」(尾辻)

(文中一部敬称略 過去の肩書・党名は当時)

政治部記者
柳生 寛吾
2012年入局。参議院自民党などを担当。