岸田政権発足1年「聞く力」生かされたか

岸田政権1年 聞く力

「特技は『人の話をよく聞く』ということだ」
そう語り、去年10月に就任した岸田総理大臣。
あれから1年。
安定して推移していた内閣支持率は、ここにきて急落。政権運営は厳しい局面に立っている。
掲げた「聞く力」は、果たして生かされたのか。この1年の取材を振り返り、今後を展望する。
(清水大志、家喜誠也)

初心を忘れた?

「『信なくば立たず』。政治の信頼が何よりも大事だ。政権の初心にかえる」

記者会見する岸田首相
ことし8月31日。
内閣支持率が急落する中での記者会見で、総理大臣の岸田文雄はこう強調した。
急落の理由について、次のように説明した。

「旧統一教会の問題、『国葬儀』の問題などがあり、政治の信頼が揺らぎつつある」

初心を忘れていたということだろうか。
岸田の表情は、終始険しかった。

「聞く力」を武器に 総裁選に立候補

思い起こせば1年前。
岸田が自民党総裁選挙に立候補表明した8月26日の会見だ。
語っていたのは、似たような言葉だった。

「自民党に声が届いていないと国民が感じ、政治の根幹である信頼が崩れている」

前の菅政権は、新型コロナの感染が拡大し、反対論もある中で東京オリンピック・パラリンピックを開催。感染対策自体も後手後手にまわったなどと世論の批判が高まるにつれて、内閣支持率が低迷し、最終的に退陣に追い込まれた。

ノートを手にする岸田首相
岸田の発言は、こうした状況を念頭に、自分なら政治の信頼が取り戻せると訴えたものだった。立候補会見では、10年余り国民の声を書きためたノートを示しながら「国民の声に耳を澄ます」とも語り、「聞く力」を最大限、アピールした。

「聞く力」は生かされた?

この「聞く力」は、政権運営にどう生かされてきたのだろうか。

印象的だったのは“10万円給付”だ。
政権発足ひと月後の去年11月、新型コロナで影響を受ける人を支援するため、岸田内閣が目玉政策として打ち出した。所得制限を設けた上で、18歳以下を対象にクーポンと現金を5万円ずつ給付する計画だった。

ところがクーポンと現金に支給方法を分ける仕組みに対し、ただでさえ新型コロナ対応に追われる自治体などから「事務費や手間がかかる」と猛反発が広がった。NHKの世論調査でも、62%の人がこの手法を「評価しない」と答えた。

政府内では、岸田をはじめ、官房副長官の木原、首席首相秘書官の嶋田らが連日、水面下で協議を続けた。そして政策を打ち出してから1か月後、現金での一括給付を全面的に認める方針に転換する結果となった。

ある政権幹部は、当時、われわれの取材に対し、こう明かした。
「実は総理からは早い段階で、自治体の意見も踏まえて柔軟な運用ができないかと指示を受けていた」

別の幹部も
「方針を貫いて批判されるか、方針転換したと批判されるかの選択。総理は、何についても別に方針転換したと言われてもいいと思っている。嫌がられて給付するぐらいなら方針転換すればいいということだった」と証言した。

まさに「朝令暮改」とも言える対応だが、自治体からはおおむね肯定的な受け止めが相次いだ。

このとき、岸田に近い官邸スタッフが「この政権は意外とうまく回っていくかもしれない」と手応えを口にしたのを記者は覚えている。

とにかく“安全運転”

岸田の政権運営は、とにかく“安全運転”だった。

象徴的なのが水際対策だ。

「未知のリスクには、慎重の上にも慎重に対応すべきと考えて政権運営を行っている。『岸田は慎重すぎる』という批判は、私がすべて負う覚悟でやっていく」

去年11月。
新型コロナのオミクロン株が世界で初めて確認されたことを受けて、それまで緩和の方向だった水際対策をひっくり返し、外国人の新規入国を全面的に停止した。

閑散とした空港
国際的に見ても厳格な措置であり、対策が長引く中で、経済界などから「令和の鎖国だ」と批判があがった。政府内でも水際対策の緩和を求める意見が強まった。

しかし、岸田は慎重な姿勢を崩さなかった。
聞かなかったわけではない。聞く対象を慎重に見極めていたのだ。
官邸では、当時、水際対策をめぐる各種の世論調査をつぶさに確認していたという。

岸田は周囲にこう言い聞かせた。
「一部の“声の大きな人たち”が『鎖国だ』と批判しているかもしれないが、世論調査を見ても国民の多くは、まだ慎重に対応してほしいと思っている。その声だって聞かないといけない」

国会答弁で目立つ“低姿勢”

総理就任後、初めて迎えたことし1月からの通常国会でも岸田は“安全運転”に徹した。

「謙虚に受け止め、検討したい」

岸田が繰り返した答弁だ。野党の厳しい指摘にも反論することはなく、質疑者の目を見てうなずき、丁寧に聞く姿勢を続けた。
野党に強く反論する場面も少なくなかった安倍元総理大臣と比較し“低姿勢だ”と受け止める声も多く、野党は攻めあぐねた。

こうした姿勢の背景には7月の参議院選挙があった。
就任直後の衆議院選挙で勝利したとはいえ、参院選で敗れれば政権は一気に不安定化する。
腰を据えて政策を推進していくには、国政選挙2連勝が必須条件だった。

予算委員会の岸田首相と根本氏
岸田は、国会論戦の主戦場であり、テレビ中継されることも多い、衆議院予算委員会の委員長に、同じ派閥で気心の知れた、元厚生労働大臣の根本匠を据えた。
岸田は根本にこまめに電話し、委員長という中立的な立場から見て、みずからの答弁がどう受けとめられているか、などといったことを確認していたという。

岸田に近い自民党議員は「総理は参院選に向けて国会審議で大きな波が立たないことを重視していた。根本議員とは連絡を取り合い、あうんの呼吸に見えたね」と話す。

政権幹部も「『安全運転すぎる』と言われているのは分かっているが、挑発に乗らないのが大切。選挙に勝たないと意味が無い。参院選で勝てば、その後は、まわりに気を遣わずにやりたい政策をできる」と強調し続けていた。

得意の外交 大胆かつ根回しも

内政課題では安全運転に徹する一方、外務大臣を4年務めて得意とする外交では大胆とも言える判断を重ねた。

2月から始まったロシアによるウクライナ侵攻。
プーチン大統領に対する制裁、最恵国待遇の撤回、ロシア産の石油や石炭の原則禁輸、それに自衛隊が保有する防弾チョッキやヘルメットの提供など。
岸田は、関係国と電話会談を重ねながら、対ロシア制裁やウクライナ支援をやつぎばやに打ち出していった。

石油や石炭の原則禁輸は経済にも影響する。しかし岸田には、世論の支持が得られるという見通しがあった。
岸田は、侵攻直後「ウクライナから伝えられる映像は正直ショッキングだ。テレビでもたくさん報じられているし、政府の厳しい対応への国民の理解は得られると思う」と周囲に語った。

G7の首脳たち

また政権幹部の1人は、長い目で見て、いまG7の足並みを乱せば、将来、日本の危機に国際社会の支援が得られなくなるという判断もあったと言う。
「中国が日本周辺で軍事活動を活発化させる中、まさに『あすは我が身』。ここでG7などと比べ日本が引いた対応をしたら、東アジアで同じような事が起きた時、国際社会から助けて貰えない」

一方、岸田は、制裁強化にあたって、事前に影響の大きい企業や業界団体に政府関係者を送り、根回しをすることも怠らなかった。

そして、こう指示したという。

「各国もしたたかに動いている。制裁が遅れてはいけないが、日本だけが突出した対応にならないよう注意してくれ」

国内の安全運転と外交での判断が功を奏したのか、発足当初に必ずしも高いとは言えなかった内閣支持率は高水準となった。
ことし1月には57%に上がり、7月まで50%台を維持した。

岸田内閣の支持率はことし1月には57%、7月まで50%台、9月は40%

勝てばフリーハンドのはずが…

そして迎えた参院選。

当選者の名前に花を付ける岸田首相

改選の125議席のうち、与党が76議席を獲得する大勝となり、政権は、期待通りのフリーハンドを得られたはずだった。

しかし、すべてがうまく回っていたはずの政権運営は突如として不安定化した。
安倍の銃撃事件をきっかけに政治問題化した「旧統一教会」と「国葬」だ。

岸田は、参院選から4日後の7月14日、安倍の「国葬」実施を決めた。

政権幹部はこう話した。
「事件直後、現場では幾日も長い弔問の列ができた。海外も弔意ラッシュだった。報道も追悼ムード一色だし、世論は『国葬』実施を評価するだろう」

また別の幹部も…
「これまでと同じ内閣と自民党の合同葬でよいのかという声が党内からもかなり寄せられている。亡くなった状況などを考えれば『もっと上の形』にせざるを得ない」

岸田としては、世の中の温度感や関係者の声を慎重に聞いた上で判断したつもりだった。

しかし、状況は一変する。日を追うごとに反対の意見が増えていったのだ。
背景には、銃撃事件をきっかけに、旧統一教会と、安倍をはじめとした自民党所属の国会議員の関係が次々と明らかになったことがあった。

野党側からは「国民の多くが反対しているのに実施を強行し、何が『聞く力』か」などと批判があがる。与党内からも、決める際に国会の意見を聞くべきだったなどと苦言が相次いだ。

岸田としては、これまで同様「聞く力」を大事にした判断だったはずだが、結果として世論の逆風にさられることになった。
官邸スタッフは「ここまで批判されるとは思わなかった」と口を揃える。

安倍首相の国葬

賛否が分かれる中でも、岸田は決断を曲げず、9月27日に「国葬」を実施した。

政権幹部は「『国葬』そのものというよりは、旧統一教会の問題に引っ張られた。実際『国葬』が実施されたあとは再評価されるはずだ。『国葬』も終わったいま、とにかくやらなければいけないのは経済対策だ」と話す。

短命か それとも長期政権か

厳しい局面で発足1年を迎えた岸田政権。
専門家は、岸田の「聞く力」をどう見るのか。

行政学が専門の牧原出・東京大学先端科学技術研究センター教授は、この1年の前半は、安定していたと一定の評価をした上で、こう話した。

インタビューに応じる牧原出・東京大学先端科学技術研究センター教授

「参議院選挙後ですよね。徐々に物価高など、経済の危機が高まりました。安倍元総理が亡くなった事件も大きな危機です。ここに『国葬』という形で対応してしまったのは、かなり世論を読み違えたと思います。旧統一教会の問題が背後にあるとわかった時に、かなり根深い問題を抱えていると気づくべきだった。危機管理対応への耐性がないのではないかと思います」

そして、今後、政権運営を安定化させるカギとして、専門家や若い世代など、さらに幅広い声に耳を傾ける必要があるとした上で、いま世論が求めていることについて、こう指摘した。

「私は『外交よりも国民生活』というキーワードを挙げたい。岸田さんは、外交を重視しているけれども、物価高、経済の危機が直撃しようとしているわけですから、政権がそれから、どう国民生活を守っていけるのかが重要性を増してくると思います」

また、歴代の政権に詳しい中北浩爾・一橋大学教授も、参院選までの政策の修正力などをおおむね評価した上で、次のように話す。

インタビューに応じる中北浩爾・一橋大学教授

「『聞く力』というのは、国民や野党の批判に耳を傾け、場合によっては政策内容を変えていくということで、それなりに参議院選挙までは意味があり、否定するものではありません。ただ政権が進めたい政策の実現を図る局面に入るには、聞くだけでなく、国民の後押しを受けつつ、野党とも話し合い、合意形成し推進していく『合意形成力』が必要だと思います」

その上で、こう続けた。

「安倍政権に対しては、国民を分断したという批判もあった。岸田さんには、聞きっぱなしにするのではなく、国民の声を聞きながら野党とも合意形成をし、政策を前に進めてほしい。旧統一教会などの問題に対処し、政策を前に進めていけるのか。岸田政権が長期政権になれるか、短命に終わるのか、岐路にあると思います」

初心にかえり 信頼取り戻せるか

「国葬」は終わったが、引き続き野党側からは実施の法的根拠が不明確だなどと基準づくりを求める声があがる。また、旧統一教会と自民党との関係をめぐっても疑念が払しょくされたとは言えず、政権の説明が求められる場面は続きそうだ。

そして、物価高の国民生活への影響も深刻さを増している上、新型コロナも冬に向け、次の感染の波が到来することへの懸念は消えない。
さらには「新しい資本主義」が目指す、持続的な賃上げなどを通じた成長と分配の好循環は実現するのか、具体的な道筋はまだ見えない。

岸田は、初心にかえって信頼を取り戻すと言うが、求められているのは“低姿勢”や“安全運転”といった政治姿勢ではない。
政権を安定軌道に乗せられるかどうかは、さまざまな課題で多くの意見を吸い上げ、国民が納得感を得られる政策を進めていけるかにかかっていると言えそうだ。
(文中敬称略)

政治部記者
清水 大志
2011年入局。自民党・岸田派の担当などを経て官邸クラブに。
政治部記者
家喜 誠也
2014年入局。宇都宮局、仙台局を経て政治部。官邸クラブ2年目。