“ロシア”に侵攻され奪われた故郷を思う 3世代の北方領土

77年前の9月。日本の北の島々は、ソビエト連邦、今でいうロシアに侵攻・占領され、人々はふるさとを失った。そのことを、今の若い世代はどれくらいが知っているだろうか?
ロシアは9月3日を「対日戦勝記念日」と定め、毎年、国後島などで軍事パレードを開いている。北方領土の元島民にとっては、ふるさとを奪われた、決して忘れることのできない日だ。ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、この夏、根室海峡には、遠いふるさとに思いをはせる3世代の家族の姿があった。
(牧直利)

占領から77年

1945年8月9日、ソビエト連邦は日ソ中立条約を無視する形で対日参戦した。

8月28日に択捉島、9月1日から4日の間に国後島、色丹島、歯舞群島に侵攻し、遅くとも9月5日までに北方領土の占領を終えた。
漁船などですぐに脱出した住民もいた一方、占領下の島に残留して数年間、ソ連の軍政下での生活を余儀なくされた住民も数多くいた。

千葉県に住む福島イクさん(93)。
昭和4年に国後島で生まれ、一家はコンブ漁や馬の放牧などで生計を立てていた。
15歳のときに島で終戦を迎えた後、2年あまり占領下の島で暮らし、サハリン、函館を経て青森に引き揚げた。
国後島は自然が豊かで、自生する笹の実を友人と採りに行ったことが楽しかった思い出だという。

イクさんはこれまでに2回、家族とともに「自由訪問」の枠組みで国後島を訪問したことがある。
「自由訪問」は、元島民やその家族に限って、人道的な観点などから、居住地跡への訪問が認められている枠組みだ。
その際、生家があった瀬石地区には現在はロシア国境警備局の基地があるため、立ち入ることができず、近くの砂浜を歩いた。ふるさとの風や波の匂いに懐かしさを感じたという。
その後も「生きている間に再び故郷の土を踏みたい」という思いを募らせてきたイクさん。
ことし7月に予定されていた「自由訪問」に申し込み、国後島に渡航することを希望していた。

四島交流事業は見送り

しかし、ロシアによるウクライナ侵攻が暗い影を落とした。
ことし3月、日本の制裁措置に反発したロシアは北方領土問題を含む平和条約交渉を中断するとともに、「ビザなし交流」と「自由訪問」を停止すると一方的に発表したのだ。
その後も再開に向けた動きはなく、墓参も含めて今年の四島交流事業の実施は見送られた。
交流事業はおととしと去年は新型コロナの影響で中止されていて、3年連続で実施できなかった。

せめてもの洋上慰霊

故郷を訪れる機会を失った元島民からは落胆の声が上がった。
「せめて島に近いところから肉親のお参りをしたい」という要望を受けて、元島民らでつくる「千島歯舞諸島居住者連盟」と北海道がこの夏に実施したのが「洋上慰霊」の取り組みだ。

根室港を発着する船「えとぴりか」に乗って、いわゆる「日ロ 中間ライン」付近まで進み、船の上で先祖の慰霊式を行うもので、7月下旬から8月上旬にかけて計10回行われ、全国からのべ299人が参加した。

イクさんは、娘の吉岡久美子さん(57)、孫の咲嬉乃さん(28)と佳祐さん(17)らとともに、家族3世代で「洋上慰霊」に参加した。
直前の7月下旬に一家で新型コロナに感染し、一時、参加が危ぶまれたが、家族の励ましもあってなんとか回復した。イクさんの症状は重くなかったものの、高齢で自力で歩くことが難しくなり、孫に車いすを押してもらってなんとか根室まで来ることができた。

まさかの欠航…

8月8日、洋上慰霊当日。
4年ぶりに根室港に到着したイクさんたちは、この地域特有の強い海風が吹き付けるなか船に乗り込んだ。
ところが、いよいよ出航というタイミングで、思わぬ事態が待っていた。
悪天候のため船が欠航になってしまったのだ。
欠航の知らせを聞いたイクさんの顔には落胆の表情が浮かんでいた。

本来であれば、いわゆる中間ライン付近まで近づいて国後島を望みながら慰霊する予定だったが、港に停泊中の船内で慰霊式を行った。

3世代の思い「また来るんだよ」

3世代の家族は、それぞれの思いを語った。

娘の久美子さんは、欠航が決まったあと船の甲板に出て、曇天の中、島の方角を涙ぐみながらじっと見つめていた。島に眠る先祖に思いを届けようと練習を重ねてきた笛で「ふるさと」を奏でた。

(娘・久美子さん)
「ウクライナの状況が状況なので、(交流事業の中止は)仕方がないのかなという部分はあるんですけど。やっぱり歯がゆい思いはあります。それでも、母には少しでも生まれた場所に近づいて潮のにおいを嗅いだり、波の音を聞いたり、風の流れを感じたりとか、そういう中でふるさとを身近に感じてもらえたらと思い、洋上慰霊に参加した。もうちょっと近くまで連れて行ってあげたかった…」

孫の佳祐さんは千葉の高校に通う3年生で、今回夏休みを利用して参加した。
これまでに島を自由訪問で訪れた体験などを通じて、北方領土問題に関心を持っている。
元島民3世としてこの問題に向き合い、同じ若い世代に島の記憶を引き継ぎたいと考えているが、難しさも感じている。

(孫・佳祐さん)
「遠いですね。国後島までは距離ではない壁があるのを改めて感じました。僕も当事者ではないので分からないし、想像できていないこともある。北方領土問題について、まったく無関心な人たちにどのように関心を持ってもらうか、まずそこからですし、伝えたことを理解してもらえるかという問題があります」

船から下りてきたイクさんは、さぞかし落ち込んでいるかと思いきや、淡々とした口調で「だって仕方がないでしょう」とひと言。
幼いころの経験から、根室海峡の風の強さや天候の変わりやすさを分かっていたのかもしれない。
家族の心配をよそに「また来るんだよ」という前向きな言葉を口にした。
生きているうちに島に行きたいという思いを強くしたようだ。

(娘・久美子さん)
「私たちはもう次は難しいのかなって思ってるんですけど、本人が『また来ればいいじゃない』と言ってるので、本人が来るというなら私たちは皆で連れてきます」

(孫・佳祐さん)
「ばあちゃんが島に行きたいんだったら、一緒に連れて行くしね」

(イクさん)
「そうそうそう。頑張って来よう」

千葉から根室まで足を運んだものの、島影を見ることもかなわなかったイクさん一家。
島を訪問できる日はいつになるのか、その時期はまったく見通せない。
93歳のイクさんにとって1年、1年がより大切な時間となっている。月日の重さとふるさとの遠さを改めて感じた1日となった。

常態化しないように

洋上慰霊について、主催する北海道や千島歯舞諸島居住者連盟は、あくまで交流事業が停止されている間の特例措置だとしている。

千島歯舞諸島居住者連盟の理事長で、国後島出身の脇紀美夫さん(81)は「本州など遠方に住む元島民が北方四島の近くまで来て慰霊することができたのは意味があるので実施して良かった」と振り返った。
その一方で「洋上慰霊は本来の墓参の姿ではなく、あくまでも特例だ。元島民の平均年齢は86.7歳と高齢化し、もう時間がない。墓参などが再開できるように日本政府は基本に立ち返ってロシアと交渉してほしい」と話した。

高齢化する元島民たち 交流事業の早期再開を

脇理事長が言うとおり、洋上慰霊はあくまでも特例措置であって、これが来年以降も常態化するのは本来の姿ではない。
今回の取材では、イクさん一家のみならず多くの参加者から「やはり故郷を訪問したい」という切実な声を聞いた。ふるさとを訪れて先祖のお墓参りをしたいという、ごく当たり前の願いだ。この願いが今、ロシアによるウクライナ侵攻の余波で、途切れたままになっている。
軍事侵攻開始から半年を過ぎても先行きは不透明だが、高齢化する元島民たちには時間がない。
元島民の気持ちに寄り添い、人道的な観点からも墓参などの交流事業の早期再開が求められている。

根室支局記者
牧 直利
2020年入局。旭川放送局を経て、今年4月から根室支局に勤務。日ロ関係に揺れる北方領土問題や水産業などを取材。