なぜ 現職は負けたのか
541票差 長崎県知事選挙

わずか541票差。
2月20日に投票が行われた長崎県知事選挙。知事選挙としては異例の大接戦となった。

4期目を目指す現職と政治経験のない無名の新人。
当初、現職の陣営幹部からは「勝ち方にこだわりたい」と余裕の声すら聞こえていた。

しかし、結果は、新人の勝利。
なぜ、現職は敗れたのか。
その背景に迫った。
(橘井陸、玉田佳、榊汐里)

緊迫の当確判定、その舞台裏は

NHKでは綿密に情勢取材や調査を行い、最終的な勝敗に見通しを立てる。
候補の顔ぶれが出そろった告示日のおよそ1週間前。
各地を足で稼いだ記者たちが出した答えは「現職・中村法道の圧勝」。現職の知名度と組織力に対して、新人・大石賢吾の知名度のなさは致命的に思えた。

しかし、告示後、流れが変わり始める。
新型コロナで陣頭指揮を執る大阪や北海道の若い知事の露出が多くなる中、「長崎でも世代交代を」と呼びかけた39歳の新人の訴えは次第に有権者に浸透していく。

告示日から10日あまり、報道各社が伝えた情勢分析は見事に真っ二つに分かれた。

そして迎えた当日。
投票を終えた人を対象に実施した「出口調査」の結果は「ほぼ互角」。


どちらが勝つのか、全くわからなくなっていた。
私たちは、終盤まで開票状況を見極めた上で当確を打つ方針を決めた。

20:00
開票作業がスタートし、徐々に票が入り始める。中村が地盤としている島原半島や島しょ部のほか、接戦が予想されていた地域でも次々と中村が制する。

22:40
長崎市と佐世保市以外の開票所はほとんど終了。NHKの取材では、県全体で「3万1198票」差で中村がリード。

さらに、長崎市と佐世保市などでもこの時点では中村が上回っていた。
事前の読みでは、大石が勝つためには、佐世保市で競り勝ち、長崎市では2桁ポイント近いリードを奪うことが必要だと考えていた。
残りの票は8万3000票あまり。

「大石が伸びない」

手元の計算によると、大石が勝つには残りの票を7割近く取らなければ勝てない。
中村への「当確」を打つ検討に入った。

しかし、ここで長崎市の開票所担当の記者から連絡が入る。

「中村の集計作業がまもなく終わります。大石の票はまだ残ってます」

大石の票のカウントだけが遅れていたのだ。
しばらくすると、記者の報告通り一気に差が縮まりだした。

22:50
中村 23万2550票 大石 21万2752票 (中村1万9798票リード)

22:55
中村 23万6350票 大石 22万1052票 (中村1万5298票リード)

23:00
中村 23万7130票 大石 23万6382票 (中村748票リード)

残りの票の多くは大石である可能性が高い。土壇場の逆転劇が見えてきた。当確のターゲットは、中村から大石に移った。

この夜、NHKの総合テレビでは北京オリンピックの閉会式を中継していた。だが、当確が出れば、長崎のローカル放送では速やかに「開票速報番組」に切り替えることになっていた。番組を担当するアナウンサーやディレクターとの情報連絡も慌ただしくなる。

【22:48】
「依然として、検討中ですが、大詰めです」
【22:58】
「当確準備入りました!」


【22:59】
「まもなく!」

しかし、結局、このあと当確を打つまで、30分以上も要することになる。

23:05
大石 23万8062票 中村 23万7130票  (大石932票リード)

まもなく大石に当確を打つ。まさにメンバー全員が固唾をのんで見守る中、また想定外の事態が起きる。

23:15
大石 23万9362票 中村 23万8730票  (大石632票リード)

中村の票が伸び、大石との差がわずかながら縮まったのだ。残りの票は、1418票。まだ、中村の逆転は可能だ。
現地の開票所で取材する記者たちからの報告を待つ。

23:20
大石 23万9362票 中村 23万8830票  (大石532票リード)

さらに大石のリードが縮まる。
残りの票は、1318票。

23:28
大石 23万9415票 中村 23万8874票  (大石541票リード)

長崎市の開票所の票が確定した。
残りの票は佐世保市の846票。差は541票。まだ逆転は可能だ。打てない。

ここで佐世保市の開票所担当の記者から連絡が入る。
「残りはすべて無効票。両候補ともこれ以上の上積みはありません。選管が発表する予定の紙を確認しました」
電話口で力強い声が響いた。これで両者の差は変わらない。中村の逆転はない。

「大石で当確いくぞ!」
当確ボタンを押した数十秒後。


「当確」の速報がテレビの画面に流れ、大石の事務所は歓喜に沸いた。

結果は541票差。
県知事選挙としては異例の大接戦だった。


このわずかな差で明暗を分けたものは何だったのか。

4期目へ 逡巡する知事

県議会の11月定例会の初日。
現職となってから臨んだ過去2回の選挙では、中村はいずれも立候補表明をこの日に行ってきた。
報道各社が固唾を飲んで議場の中村を見つめる中、ついに最後まで自身の進退について言及することはなかった。

この前後、私たちは「中村引退」の情報で裏取りを急いでいた。

「中村は後継者を指名して、退任する」

「国交省出身の副知事」「生え抜きの県幹部」「現職県議」。「後継者」の名前は浮かんでは消えての繰り返しだった。私たちの取材に対して、誰1人首を縦には振らなかった。
そうして迎えた11月定例会の最終日の12月21日。

「これまで育んできた芽をしっかりと花咲かせ、県民の皆様に具体的な成果としてお返しすることが私の責務である」

ついに中村が立候補を表明した。
関係者によると、中村は議会の開会日以降も自身の後継者を探していたが、その作業は難航。
結局、中村は自分が出ることを決断した。

中村は、直後に行われた記者会見でも苦渋の決断だったことを明らかにした。
「長崎県政の将来を担っていただくのにふさわしい人、そういった方々にバトンタッチしたいという思いがあったのも事実」

中村が立候補を表明した5時間前。実は、同じ県庁内では別の動きがあった。
大石が立候補会見を開いたのだ。


「大石賢吾」
実は長崎県政担当の記者には馴染みのある名前だった。

去年10月の衆議院議員選挙。大石は長崎1区の自民党の公募に応募するも落選。
直後に2区にも応募して同じく落選していたのだ。

なぜ、大石に白羽の矢が立ったのか。ある国会議員はその内幕をこう明かした。

「意中の後継者に断られた中村は、長崎県政界に影響力を持つ複数の国会議員を頼ってきた。そのうちの一人が連れてきたのが大石だった。中村に後継者として大石を打診したが、行政経験のなさを理由に中村は難色を示した。そして、立候補表明の数日前、中村は『自分が出る』と連絡してきたが、結局、その国会議員はそのまま大石を担ぐことにした」

中村陣営からは当初、地盤も知名度もない大石をライバル視する声は聞こえなかった。
「勝ち方にこだわりたい」
陣営では楽勝ムードが漂っていた。

半世紀ぶりの保守分裂へ

しかし、徐々に風向きが変わり始める。

「反対!だめだ!」

過去3回の選挙で中村を支援してきた自民党。今回、中村に加えて、大石からも推薦願いを受け、県連は常任総務会を開催。
会議は紛糾した。
非公開で行われたが、机を殴る音や参加者の怒号は外で待つ報道陣にもはっきりと聞き取れた。

そして、結論は意外な方向に。最終的に県連は新人の大石への推薦を決めたのだ。

会見で、県連の幹事長はその理由を説明した。
「やめることを決断した人に3期12年で十分ではないか。新たな人に任せようという意見があった」

一方で、県連所属の県議の一人は、「大石を連れてきた国会議員の意向が大きかった。選挙対策の中心となる委員会のメンバーは彼の意をくむ議員の方が数が多い。いずれにせよ、県連は確実に割れる」とため息をついた。

その後、この県議の予想は的中する。
県連所属の県議30人のうち、およそ半数の14人は強引な決定を不服として県連の方針に反旗を翻し、中村の支援を表明した。
「私の関知しないままに作成された政策協定が、私に無断で発送されたものであることを申し添えます」
大石への支持を呼びかける自民党県連会長名の文書が出回り、これに対して、県連会長を務める国会議員があわてて火消しに走るなど、県連内の足並みの乱れも顕著になった。

そして、長崎県知事選としてはおよそ半世紀ぶりともいわれる保守分裂の構図で、17日間の選挙戦に突入した。

選挙戦に突入

こうして迎えた告示日。しかし、ここでも中村に逆風が吹いた。
「知事としての公務に専念すべきだと考えている」
各地の首長が応援に駆けつける中、中村はそう述べた。

告示前日の2月2日。
新型コロナの新規感染者数が県内で前日よりも100人以上増え、過去最多を更新したのだ。
県内全域にまん延防止等重点措置が適用され、自粛を続ける飲食店も限界に近づいている。
中村自らが県民に不要不急の外出をお願いする中で、選挙活動を行いづらい状況に追い込まれていた。

一方の大石は知名度不足を補うため、懸命に各地を回った。
大石がターゲットにしたのは「無党派層」。
医師という肩書きながら、コロナ禍でも経済を回す必要性を訴え、現職との違いをアピール。
保守分裂の構図の中で、保守層を固めるのではなく無党派層の取り込みを狙って、長崎市や佐世保市などの都市部を中心に「世代交代」を訴えた。
また、自民党だけでなく、日本維新の会も支援。
鈴木宗男参議院議員など知名度の高い国会議員が応援のため次々と来県し、大石の名前は日に日に浸透していった。

焦る中村陣営、ついに街頭に

選挙戦が中盤にさしかかり、中村陣営は大石の勢いに焦りを感じていた。

支援する団体や議員などが陣営の運動を支えたものの、本人は依然としてコロナ対応の公務に専念。中村に近い選対幹部は本人に街頭に立つよう説得したものの、首を縦に振らなかったという。
危機感を覚える陣営の一部からは、「本人にうその調査結果を伝えてでも選挙活動をしてもらったほうがいい」といった意見まで聞かれるようになった。

そして、投票日まで残り1週間。

「大変厳しい選挙となっておりますが、全力でチャレンジしてまいりたい」
ついに中村が街頭での選挙活動を再開。


活動を始める根拠を記者団に問われた中村は、
「新規感染者数が減少する兆しが見え始めておりますので、少し時間をいただいて、選挙カーに乗ったり街頭に立ったりさせていただきたい」と説明した。

こうした中村の動きに対して、大石陣営は批判を強めていく。
ある県議は長崎市の繁華街で声を張り上げた。
「知事一人だけ“まん防”解除なのか」

投票日、明暗分かれた2人

「投票率が45%以下なら組織力に勝る中村が競り勝つ」
中村陣営はこう見通していた。

そして、迎えた投票日当日。
朝から冷え込み、長崎市中心部でも雪が舞った。
投票率は伸びるのか。「無党派層」の動向に注目が集まった。

23万9415票 対 23万8874票(投票率47.83% 前回比+11.80P)

歓喜の声を上げたのは大石だった。


全国最年少の知事となる大石は、支援者を前に力を込めて語った。
「新しい長崎の未来をつくっていく」

一方、中村は支援者を前に深々と頭を下げた。
「県政にはまだまだ課題が山積している。新しいリーダーのもとでしっかりとした未来を切り開いてほしい」
選挙戦終盤から始めた街頭演説で声はかれていた。

勝利の鍵は大石がターゲットにした無党派層だった。
NHKの出口調査では、大石は推薦を受けた自民党支持層から支持を集められなかった一方で、無党派層は20ポイントの差をつけて中村を上回った。
また、投票率は、前回よりも12ポイント近く上がって47.83%。
特に、無党派層が多い長崎市は前回の29.50%から45.12%まで上昇し、大石への追い風となったとみられる。

自民党県連が下した決別の判断と新型コロナの感染急拡大。
そして、投票率の上昇。
4期目を目指した現職の中村は数々の逆風に見舞われた。

任期最後の日となった3月1日。
退任会見でいまの気持ちを問われると「少しほっとしている」と話して、柔らかな笑顔を見せた。
およそ800人の職員が万雷の拍手で見送る中、中村は県職員時代からおよそ半世紀にわたって支え続けた長崎県庁を去った。

(文中敬称略)

長崎局記者
橘井 陸
2016年入局。徳島局を経て現在は県政担当。知事選挙では大石陣営を取材。
長崎局記者
玉田 佳
2017年入局。長崎局が初任地。現在は県政担当。知事選挙では中村陣営を取材。
長崎局記者
榊 汐里
2019年入局。長崎局が初任地。現在は市政担当。知事選挙では選挙事務局長。