元厚生労働相が里親へ
課題山積の里親制度を考える

「アポなしの訪問だったので、とても驚いた」

児童相談所の窓口で応対した職員はそう振り返る。
その相手とは、官房長官や厚生労働大臣を歴任した元衆議院議員の塩崎恭久さん(71)だ。

塩崎さんは、里親になる研修を受けるためにはどうすればいいのか、松山市にある児童相談所に尋ねに来たのだった。
大臣時代には児童福祉法の改正を主導するなど、子ども政策にこだわってきた政治家だが、なぜいま里親になろうとしているのか。

(森 裕紀)

議員からなぜ里親に

塩崎さんは日本銀行に勤めたあと、父親の後を継ぎ、平成5年の衆議院選挙で旧愛媛1区から初当選。
その後、官房長官や厚生労働大臣を歴任した。


若手のときには、いわゆる「政策新人類」とも呼ばれ、経済や金融、社会保障など幅広い政策に明るいことで知られる。

去年6月、「新型コロナ対策など国民の健康と命を守るための政治活動に一定の区切りがついた」として、目の前に迫っていた衆議院選挙には立候補せず、政界から離れることを表明。ただ、その後の具体的な活動については、いくら記者から質問を受けても、明言はしなかった。
このため、愛媛県の政界関係者の間では、「ことし11月に任期満了を迎える県知事選挙に立候補するのではないか」などと臆測も呼んだ。

塩崎さんには、秘めたる思いがあったのだ。
立候補見送りの会見から4か月後、後継に選ばれた長男の選挙をそばで手伝いながら、塩崎さんの姿は、松山市で開かれたある研修会にあった。
里親になるためのものだ。

28年間も務めた議員という立場から、里親への新たな1歩を踏み出していた。

なぜ里親になろうと思ったのか。
塩崎さんは、里親に関する法律を作ってきた国会議員として、改善すべき点はないのか絶えず考える責任があると強調する。

「国会議員として里親に関する法律や制度を作ってきた。国会議員を引くことになり、これからはその法律や制度を使ってみて使い勝手の悪いところをどんどん直していこうと思った。年齢も年齢なので、民間の機関などで里親のサポートをしようと思っていたが、児童相談所の里親担当の方に話を聞いていたときに、里親に年齢制限はあるのか尋ねたら、『そんなものはないです』と言われたので、じゃあやってみようかと」

里親とは

里親は、保護が必要な子どもの養育を児童相談所が委託する制度だ。里親は大きく4種類に分けられる。

このうち、塩崎さんが受けた研修は「養育里親」になるためのものだ。
「養育里親」は子どもが自立するまで預かって、育てることもできるし、週末や長期の休みだけ、子どもを迎え入れて一時的に育てることもできる。
塩崎さんは都道府県の審査を経て、この春にも里親として登録される見通しだ。

課題山積の里親制度

里親制度をめぐっては、平成28年に大きな変革があった。
児童福祉法が改正され、親元で暮らすことのできない子どもたちが、児童養護施設などの「施設」ではなく、里親などの「家庭」で優先的に養育されるよう、これまでの方針が180度転換された。
背景には、海外の研究で、子どもは「施設」ではなく特定の大人と継続的な関係を築ける「家庭」で育てた方がよいことが実証されたことがあった。
海外に比べ日本は遅れているのだという。

当時、厚生労働大臣を務め法律の改正を主導した塩崎さんはこう、述懐する。

「子どもには健全な養育を受ける権利がある。その環境をどう整えるかを専門的に考えたときに、親あるいは特定の大人との愛着関係が安定的にあることが必要だということだったので、家庭での養育を優先とする原則を法律に入れ込んだ。初めてのことで抵抗も強かったが、その抵抗に負けずに実現し、全会一致で成立した。本当に大きな1歩前進だった」

子どもを受け入れやすい環境を整備しようと、この法律改正をきっかけに、里親への手当ても拡充された。
現在では、一般的な「養育里親」の場合、子育てにかかる食費や服代などを含め、子ども1人あたり、1か月に15万円程度が支給される。このほか、教育費や医療費も支給される。

しかし、課題はいまも残ったままだ。
児童福祉法の改正を受け、厚生労働省は児童相談所が保護し、施設や里親などに預けられている子どものうち、里親などに預けた割合「里親委託率」について、次のような目標を示している。

しかし、厚生労働省のまとめによると、昨年度末時点で、全国の児童相談所が保護し、施設や里親などに預けられている子どもは3万3810人。
このうち、里親などに預けられたのは7707人で、里親委託率は平均で22.8%にとどまっている。
委託率は年々上昇しているものの、目標にはほど遠い状況なのだ。

愛媛県内の児童相談所で児童福祉司として長年、子どもと向き合ってきた、梶川直裕さんは、委託率が増えない背景には、保護される子どもが抱える事情もあると指摘する。
「例えば、保護が必要な子どもの中には学校にいけない子も少なくなく、共働きで日中は家を空けなければいけない里親には、預けられないケースもある。そうした里親と里子のマッチングの問題もあり、委託率を上げていくのは簡単なことではない。さまざまな事情のある子どもの多様なニーズに応えられるようにするためにも、まずはもっと里親を増やしていかなければいけない」

子どもを預かる里親の思いは

実際に里親として、子どもを育てている人たちはどう感じているのか。
塩崎さんは、千葉県で20年近く里親として子どもを育て、いまも5歳から12歳までの子ども6人を預かっている吉成麻子さん(54)と面会した。

預かった子どもをどう育てているのか、吉成さんは先輩里親として自身の経験を語った。

「虐待のケース、そうでないケースにかかわらず、実子の子育てとは、ちょっと違う。ある子は、わが家に来てご飯を食べたときに『おかわりできるなら弟も連れてきてあげればよかった』と言った。それがやっぱりすごく衝撃だった。食生活は改めて大事なんだなと思い、必ず、毎日子どもたちみんなで一緒にご飯を食べるようにしている。最近子どもの1人が『僕も大きくなったら里親になりたい』て言ってくれて、すごくうれしかった」

一方、時には、預かった子どもに、なかなか愛着をもってもらえないこともあると打ち明けた。

「3歳を過ぎてからわが家に来た子がいて、何年たってもいわゆる『愛着障害』がある。決して関係は悪くないし、むしろいいと自負しているが、肝心なところで、するっと私たちの前から逃げるような、私たちをおとしめるようなうそをついたりする。ダメなことはダメと教え、いいことは褒め、毎日を一緒に過ごしているけど、なかなか成果が出なくて自分に対しても歯がゆいこともある」

吉成さんは里親を続けられるのは、近所や友人などの理解やサポートがあるからだと強調した。親元で暮らすことができない子どもが少しでも多く家庭に預けられるようになるためには、里親制度がもっと広く知られ、覚悟を持って里親をやってみようという人と、里親を支えようと思う人の両者が増えなければいけないと訴えた。

「塩崎さんは議員だったので、地元にたくさん知り合いがいると思う。例えば、預かった子どもを週末、知り合いのみかん農家に預けてみるとか、周りの人を巻き込むことがすごく大事だと思う。『里親って何?』と言われることは減ってきたが、里親になる人だけでなく、応援してくれる人が増えることが、子どもにとってもいいことだ」

温かい家庭を知ってほしい

塩崎さんは2人の息子を育ててきた。里親になれないか。今回、まず相談したのが、妻の千枝子さんだった。千枝子さんは国会議員として、地元・松山と東京を往復する日々の塩崎さんを陰で支えてきた。千枝子さんは、相談を受けた際、すぐに快諾したというが、当時の心境を冗談交じりに振り返った。

(千枝子さん)
「国会議員を辞めて『ぬれ落ち葉』になられたら困るなって。元気な間は目的をもって何かさせてもらえることが一番いいし、自分で変えた里親の制度を現場から見たいという気持ちも共感できるし、国会議員の間はすべて仕事中心にせざるをえない状況だったので、子育てを改めて知るということもいいことではないかと思った」

一方の塩崎さんも、2人の息子の子育てについて自戒しながら、次のように語る。

(塩崎さん)
「もちろん十分ではなかったかもしれないが、できるだけ子育てにも時間を割いて時間を共有してきた。同じように里子とも時間を共有して、その子の安心や心身の成長につながってくれればいいと思う。孫が親にべったりしているのを見て、それができない子どもがいるというのは、あまりにもかわいそうだなと思って。そういう子どもたちのために何か少しでもできればと思っている」

子どもを迎え入れるため、夫婦はいま、子どもの精神状態をどう理解し、寄り添っていくのか話し合いを重ねている。

(塩崎さん)
「虐待のケースが多いというのはもちろん知っていたが、研修で実際の里親とグループワークすることがあって、やっぱりそれぞれ千差万別なんだなと思った。実際に子どもを迎え入れると、いろいろ悩み多き子が多いでしょうから、きっと難しいことに直面しちゃうんだろうなと思っているけど、語り合えるような里親・里子の関係になれればいいかなと思う」

(千枝子さん)
「『ここに居ていいんだ』と思ってもらえる時間を増やしてあげられたらなと思っている。私はアメリカに留学した経験があるんだけど、すごい、つらかったときにホストのお母さんが抱き締めて『大切に思ってるよ』と言ってくれた。そのひと言が忘れられなくて、まずは、抱き締めてあげられる人がいればいいんじゃないかなと思う。たとえ里子から会話が返ってこなくても、気にかける人が1人でも多くいてあげたら、少しは違うと思う」

今春にも里親へ

政界から離れ、悠々自適の生活を送ることもできたのではないか。私は、今回の取材を始めた時から、ずっと疑問に思っていた質問をぶつけてみた。

「普通の家庭であれば、親がいて、愛してもらって、心配なく心身が成長できる。にも関わらず、そうできない子どもがいるのは耐えられない、かわいそうだよね。子どもたちは発信できないわけだから、社会全体で次の世代を担う子どもをきちんと育てることをやっていかなければいけない」


塩崎さんの答えは明快だった。

いまも虐待によって犠牲になる子どもたちがいる。家庭で暮らすことのできない子どもたちもいる。
こうした子どもたちを救うために、私は、今回の取材を通じて、里親制度があることを広く知ってもらうとともに、里親への支援の充実も欠かせないと感じた。

政府は来年4月に、子ども政策の司令塔となる「こども家庭庁」を発足させる予定だ。
子どもを取り巻く環境がどう変わるのか。
そして、この春にも里親に登録される塩崎さんが里子を育て、何を感じ、どんな声をあげていくのか、取材を続けていきたい。

 

松山局記者
森 裕紀
2015年入局。青森局を経て、20年9月から松山局。現在は行政キャップとして愛媛県の新型コロナウイルス対策や経済対策を取材。