コロナ禍の首相交代劇
菅義偉の証言
「総理 自分が最終判断者」

コロナ禍で日本社会が大きな岐路に立った2021年。
総理大臣の座は、菅義偉から岸田文雄へと移行した。ワクチン接種をコロナ対策の切り札として推し進めながらも支持率が落ち込み、志半ばで退任した菅。その舞台裏で何があったのか?
そして前回の自民党総裁選挙で大敗した岸田は、どのように総裁の座を手にすることができたのか?
キーパーソンによる証言からコロナ禍の政権移行の内幕に迫り、日本政治の行方を展望。
NHKスペシャル「永田町・権力の興亡」の取材をもとに、詳細な証言を掲載する。
今回は、前総理大臣の菅義偉に聞いた。

コロナ禍での政権運営について

Q)菅さんは、安倍さんの退陣後、急きょあとを継ぐことになった。政権発足当初からコロナ対策と解散の2つの宿命を負ってのスタートだったが、どう振り返るか?

A)当初から解散は、まず頭になかったですね、あまり。やはりコロナ対策と経済の落ち込みをどうするか、この2つのことを抱えた政権だったと思います。と申しますのは、2020年4-6月期は戦後最大のGDPの下落、マイナス28点1%だったんです。当時は全国緊急事態宣言という対応をとらせていただきました。そういう中で安倍元総理が病気のために退陣されると。そうした時に、コロナ対策が最優先であって、私自身、武漢からの全日空機による邦人救出や、横浜に接岸したクルーズ船、こうしたものを総理のもとで陣頭指揮にあたってきましたので、コロナ対策という大きな流れの中で(総裁選に)出馬したことを今、思い浮かべています。

Q)政局を振り返ると、新型コロナが政治に非常に大きな影響を及ぼした。政治とコロナの関係性について、振り返ってどう思うか?

A)これは極めて密だったと思います。もっと言うと、私も正直言って、コロナがなければ(2020年の)総裁選に出馬することはなかったと思います。ですから、またコロナによって、自分の(政権の)間に緊急事態宣言を解除するところまで行けなかったということも1つじゃなかったかなと思いますね。ですから、コロナとは密接に関係があったと思っています。

ワクチン接種について

Q)政権時代、力を入れた政策の1つはワクチン接種だったと思うが、その理由は?

A)総理になって、去年のちょうど今どき(2020年末)から厳しい状況が続いてくるんです。1月8日に緊急事態宣言を発出するようになるわけですが、そこからなかなか収束しない。緊急事態宣言、まん延防止等重点措置とかを発出しては延長する。あるいは解除してまた発出する。その繰り返しだったんですね。そういう中で、私自身「これだ」と考えたのはワクチン接種だったんです。海外では日本よりも厳しいロックダウンを行っていました。都市間の移動を禁止するとか、外出すると罰金を科すなど、厳しい制約を加えても、結果として新型コロナを収束させることができなかったんです。状況が一変したのは、海外で日本から先行して約3カ月くらいだったと思いますが、(海外で)ワクチン接種を始めて(接種率が)40%を超えてくると外出したり、あるいはイベントを始めたり、家族や仲間と楽しそうにしている映像が日本に流れ始めたんですね。その中で、さまざまな情報を海外からも収集していました。私自身も、新型コロナ対策は、ワクチン接種が切り札だと確信するようになったんです。結果として、1日も早く、1人でも多くの国民にワクチンを接種することが国民の命と暮らしを守ることに直結するという思いでワクチン最優先で取り組んだということでした。

Q)100万回という目標を掲げた理由は何だったのか?

A)100万回の目標を掲げるのは、ワクチン接種こそが切り札だと。「国民の命と暮らしを守る」「安全・安心」とよく言っていますが、それに直結するということですね。とにかく総動員で霞が関の縦割りも壊して、規制も緩和して歯科医師の方にも参加してもらって取り組んだわけですが、最初は役所がどうしても遠慮しちゃうんですね。でも最終的にはうまく回ったと思います。

Q)1日100万回の接種は、当初「無理ではないか」という声も上がっていた。

A)いろいろ批判されました。

Q)100万回できると思った確証はあったのか?

A)私自身、100万回と宣言することについて、いろいろな準備をしました。従来、厚生労働省がワクチン接種の責任ですが、実際の運営は全国の自治体でやっていますから、市町村長や知事は総務省と非常に緊密な連携になっていますので、総務省を参戦させようと思ったんですね。総務省が参戦すると、一挙に地方自治体にお願いする効果が出ると思ったんですね。それと、インフルエンザのワクチン接種は最高(1日あたり)何回かと聞きましたら、「たぶん60万回くらい」ということだったんです。「本当にそうか」と3回も聞いて、それでも「60万回」と言っていましたので、総務省が参戦すれば100万回は行くだろうと。
同時に、とにかく1日も早く、1人でも多くと思っていましたので、日本には会社の社員の健康を管理する産業医制度があるので、そこにもやってもらおうと。職域接種です。私は2000社くらいでやってもらえるのではないかと思ったのですが、結果的には4000か所で新たに始まった。
自衛隊も総理大臣が最高指揮官ですから、これも徹底してやろうと思いまして、東京と大阪で大規模接種を始めました。地方自治体で足りなければ、自衛隊には1000人の医官、1000人の看護官がいますから、そこも手伝いに出しましょうと。
打てなければ、なぜ打てないのかも1つ1つ調べてもらいました。最初は嫌がったようですが、結果的には住民の命、暮らしを守れるわけですから、「早くやってほしい」という方向に物事が進んできたと思います。
さらに、大学でも文部科学省を中心に学生の接種、職域接種は経済産業省が窓口でやってもらいましたが、そうした霞が関の縦割りを壊して進めたということですね。
打ち手が足りないと思いましたので、歯科医師会の皆さんにもお願いしました。今の法律では接種する人は医師と看護師に限るとわざわざ書いているんです。しかし、これは緊急事態ですし、歯科医師の人は麻酔をよく打っていますから、全然問題ないだろうと。あるいは、臨床検査技師の人たちもお願いしようと。大動員をかけてやりましたので、それなりに自信を持っていました。

Q)ワクチン担当だった河野氏には相当強い指示をしていたのか?

A)しました。やはり、どうしても役所の人からの積み重ねできていますから、「最大70万件で、それ以上は勘弁してください」と。「それは違う、できる」と。私は総務大臣もやっていましたし、総務省の力もよく分かっていましたから。それと、職域接種を日本は初めてやったのですが、1つにまとまったら強いと、さすがに思いましたね。

Q)初めて訪米した4月に、ファイザー社のブーラCEOと電話会談をして、5000万回の追加供給が決まったと伺っている。どのような交渉で合意を得たのか?

A)ワクチンの交渉は従来、厚生労働省だけでやっていたんです。オール日本でやるということを指示しました。そういう中で、特に阿達(雅志)参議院議員を総理大臣補佐官に指名しました。ニューヨークで弁護士もやっていましたので、アメリカに非常に精通したものですから、ファイザーのナンバー2の方と何回もワクチン交渉をしていましたので、私が訪米した際にブーラCEOと直接やってくれれば何とかなるような方向性をつくってもらっていました。一番大変だったのは、EUから海外にワクチンを許可する場合、半分以上が日本だったんです。「日本はやり過ぎではないか」と、そうしたことがありました。それと、日本の国に対してブーラCEOが、非常に理解してくれたというのが一番大きかったと思います。

Q)他国との競争を制して日本が5000万回を勝ち得たのは、何が決め手になったか?

A)日本という国は約束を守る国だと、そうした日本に対しての信頼感が非常に大きかったと思います。そういう中で5000万回分を確保することによって、9月までの予定数が確保できたということです。ですから、11月までに終えることができる1つの大きな要素だったと思います。当時はEUから流通していましたので、EUも規制がありましたから、そこの了解を得なければ日本には来ない。そういう意味で(当時の)茂木外務大臣にもしっかりやっていただいたと思っています。

Q)7月には東京で再びブーラCEOと会談したが、どんなやりとりをしたのか?

A)去年の5月7日に、1日100万回接種すると、そして、重症化や死亡につながる可能性の一番高い65歳以上の人たちを7月いっぱいで打ち終えるという宣言をしました。それに向かって打ち手もそろえて取り組み始めたところ、7月が1日平均で150万回行っているんです。7月を終わったところで、8月には(ワクチンが)足りなくなりそうだという話がありまして、たまたまブーラさんが、オリンピック開会式に出席しました。ワシントンでの電話会談の際に、オリンピック関係者にワクチンを提供するという声もいただきましたので、一度、迎賓館に招待しようと。日本の迎賓館は従来、民間の人は(招待することは)なかったのですが、ここはまさに国民の命が懸かっているので迎賓館に招待をして、そこで直談判しようということで、朝、会食をしました。結果的に、すごく良かったと思います。日本の迎賓館の和風別館に庭園と池があって、鯉に餌まきを行うことができるようになっていますが、トランプ大統領を安倍元総理がお招きしたとき、トランプ大統領がそこで餌をまいたのを、本人はテレビで見て知っていたんです。「トランプ大統領がやったところか」と、えらい喜んでいましたので、これは何とかなるだろうなと思って。本当にやって良かったと思います。結果として700万回分を前倒ししてもらいました。それで結果的に8月から11月で、ほぼ終えたということです。

Q)迎賓館での直談判のあとは、政府からの発表がなかったが?

A)新型コロナワクチンは世界のまさに争奪戦ですから、「あそこにこれだけやったということは絶対に言わないでほしい」と。ですから、私どもも、これだけ調達してもらったとは言っていませんでしたから。それだけ真剣勝負、厳しい獲得競争だったと思います。

Q)いろいろな会社と交渉していたと思うが、ファイザーとモデルナに決めた理由は?

A)あの2社は、許認可が下りるのが飛び抜けて早かった。当然、内容も優れているから、早く許認可が下りるわけですから、2社については、当初からそういう思いで取り組んでいました。それ以外のメーカーにも働きかけていました。

Q)7月になると感染者が再び増加に転じた。ワクチン接種を進める一方で、デルタ株による感染拡大をどう捉えていたのか?

A)非常に厳しいというんですかね。オリンピック(開会式)を7月23日に控えていて、ある意味で7月から8月は一番厳しい状況でしたが、ワクチンは順調に進んでいて、7月いっぱいで高齢者の皆さんは80%近く2回目の接種も終えられる見通しでしたので、とにかくそこにかけようと。強い思いで冷静に接種を進めました。

Q)政権を投げ出して楽になりたいと思ったことはなかったのか?

A)そこはないですね。とにかくワクチンは責任を持ってやろうと思っていました。

東京オリンピック・パラリンピックについて

Q)東京オリンピック・パラリンピックの開催は、ほぼ無観客での開催となったが、どういう思いだったのか?

A)東京オリンピック・パラリンピックは、東京都が立候補して、国も全面的に賛同して応援し、招致を決めたという日本の国としての責任は、私は常に頭の中にありました。招致国として。同時に、オリンピックはまさに世界が1つになる、何か表現できないような素晴らしいものを私は持っているんだろうと思いました。コロナの危機に直面する中にあって、人類の英知と努力を結集して打ち勝つことも、1つの大きな目標ではないかと思いました。ただ、そのためにはオリンピックによって国民の皆さんに発症者が増えるとか、死者が増えるとか、当然そういう状況でやるべきではないと。しかし、日本は安全安心の大会に向けて対応することは可能だと思っていました。
当時、ワクチンは順調に進んでいましたので、緊急事態宣言を発出した中でやらなければならないという状況であれば、無観客でもやむを得ないのかなと思います。ただ、いろんな方からお話を伺う中で、無観客であっても世界で40億人を超える人々がテレビやインターネットで見られることも当然、私は承知していましたので、私自身、水際の対応策を2回も視察して自分の目でしっかり確かめました。そういう中で、安全安心の大会のために警備や管理される人、いろんな方にお会いして、状況等も承知していましたので、感染拡大させることはないという自信のもとに冷静に対応させていただきました。
できれば子どもたちには現場に行って見てもらえることができればいいなと思いましたが、これは地方自治体で決めますので。宮城県では、子どもたちや学生を入れてやりましたが、やっぱり良かったみたいですね。
選手や関係者の方から当初、かなりお礼を言われたと思っています。同時に、世界からも大変評価されていて、新型コロナも拡大しなくて本当に良かったと思います。
たまたま私はあとから聞いたのですが、警備の機動隊員がいますよね。オリンピックの時、(警視庁のほかに)全国から1万2000人が警備の応援に来て、7000人が(ワクチンを)打った人、5000人が打たない人だったのですが、打った人からは3人、打っていない人から119人の感染者が出たということで、こうしたことからも、やっぱりワクチンかなと思いますね。ちなみにパラリンピックは全員打った人でお願いしましたので、ゼロでした。
オリンピックも、あのような形で開催できて、国民の皆さんにも夢とか希望とか大きな感動といったものをできたと思いますね。パラリンピックも「やって良かった」という声が大きかったですね。障害のある人の頑張り、ともに共生する社会、心のバリアフリーとか、そうしたものを日本から世界に発信することができて、本当に良かったと思います。

Q)オリンピックについての決断は、振り返ってどうか?

A)「やることを決めてやっているんだろう」とか、いろいろ言われましたが、そこは冷静に、オリンピックによって感染させたら大変申し訳ないことになりますので、日本の接種の状況だとか、あるいは管理の状況だとか、すべて自分自身の目で確認して判断させていただいて、結果的にはそのとおりだったと思っています。

解散戦略について

Q)冒頭で話も出たが、政権発足当初の内閣支持率は60%を超えていた。早期に解散しようと思わなかったのか?

A)まったく考えていなかったですね。私の使命はコロナ対策と経済もしっかりしなければならないと。失業者を出さない、さらに企業を倒産させない、継続させる。そうしたことを頭に入れながら取り組みました。

Q)解散については、発足直後や補正予算の成立後など、いくつかタイミングが取り沙汰されていたが、結果的に解散しなかったことを、どう振り返るか?

A)そこは、まったく悔いないですね。やはりコロナ対策が最優先ですし、国民の生活をしっかり守っていく。そこが最大の使命だったと思います。

Q)感染状況は想定外だったか?

A)想定外というんですかね、全体像が分かりませんから。掌握しきれていない中での対策でしたから、専門家の先生方の提案を受け、お話を伺いながら対応して緊急事態宣言とか、まん延防止等重点措置を繰り返し行ってきたのですが、海外から見れば日本はある意味で効率的な対策だったと思います。ただ、海外があれだけ厳しい措置を講じても収束しない。それがやはり新型コロナじゃないでしょうか。

Q)緊急事態宣言が続く中で、任期満了まで解散しないという選択肢も頭にあったのか?

A)そこは当然ありました。緊急事態宣言の発出中は、なかなかできないと思いましたし、結果もいい結果が出ないと思っていました。

退陣に至る経緯について

Q)8月中旬以降について。緊急事態宣言が延長を繰り返す局面になり、衆議院議員の任期と総裁選挙が近づいてきた状況だったが、どういう思いだったのか?

A)私は9月12日に緊急事態宣言の日にち(期限)を途中で設定するわけですが、その時に、またそこで緊急事態宣言を延長せざるを得ない状況になったら、やはり(衆議院)総選挙はやるべきではないと思っていました。国民から、そんな状況の中で「何をやっているのだ」と、私が現職の総理大臣として言われるのは目に見えて分かっていますし、そうしたことは念頭に入れながら、9月12日という日にちを設定したことを記憶しています。

Q)その段階で、すでに大きな決意をしていた?

A)とにかく緊急事態宣言が行われている間は、いくらなんでもできないだろうと。国民から理解を得ることは難しいという思いでした。

Q)総裁選挙の告示まで4日間あったが、解散の余地を残したということ?

A)解散ということではないです。9月12日というのは、確か日曜日でしたかね。延長するかしないかは区切りが必要ですから、どうしても日曜になってしまうんですね。お店の商売をやる皆さんからの希望とか、そういうのはありましたので。

Q)期限延長の案は何パターンかあった?

A)19日というのもありました。だけど、12日に設定すべきだろうと思いましたね。

Q)8月30日に二階幹事長と会談されているが、この時どのような話をしたのか?

A)特別具体的な話よりも、全体の話ですね。全体像について状況の意見交換です。

Q)そのあと人事の刷新を打ち出したが、人事をこのタイミングでやるのは、どういう狙いだったのか?

A)私が「刷新」とは言っていなかったのですが、そういう方向で、どんどんマスメディアが書いたということじゃなかったでしょうか。

Q)8月31日夜、総裁選挙を先送りして解散をするという報道が駆けめぐった。どういう思いでその報道を見ていたのか。実際に解散をする考えはあったのか?

A)そういう流れをつくろうとした人がいたんじゃないですかね。私はまったく話していません。解散権は私が持っているわけですから、それを次の日、あたかも事実みたいに、ワーと書かれましたから。

Q)悔しいという思い?

A)悔しいというより、ひどすぎると思います。そこは確認しないでやっていますので、そういう報道が多すぎたのではないかなと思いました。

Q)9月3日に退陣を表明したが、どういう理由で決意したのか?

A)そこ(退任)は常に考えてやっていましたから。それを「考えています」と言う人はいないんじゃないですか。やはり緊急事態宣言を終えてですよね、本来であれば。そこが、また延長せざるを得ない。確かにあの時は(感染者数が)ぐっと下がり始めた時だったんです。でも、確か1万人くらいいましたから、そこは国民は許してくれないと思いましたね。

Q)事態打開のために、東京五輪・パラ大会終了後に解散を打つ考えはなかったのか?

A)ただ、ずっと緊急事態宣言が続いていましたよね。私自身は(ワクチンの)接種が進めば落ち着いてくる、そう思っていました。ただ結果的に、私が考えたよりも、やはり遅れてきていました。

Q)歴史に「たられば」はないと言うが、退陣表明してから1、2週間で感染者が急速に減った。ワクチンの効果だという指摘もあったが、この状況をどう見ていたのか?

A)「たられば」は、私は何もなかったですから。やはり緊急事態宣言の中で(解散を)やったら、それは理解されないし、自民党が批判されるし、そこで選挙をやっても、そこはいい結果も出ないだろうと、そうしたことすべて考えた上での判断でした。

Q)退陣しようと思ったタイミングはいつだったのか?

A)緊急事態宣言をせざるを得ない状況であれば、続けるべきではないだろうと思っていました。

Q)解散と総裁選挙の順序については、どう考えていたのか?

A)(総裁選挙は)やはり堂々とやるべきだったと思いました。まず、私は緊急事態宣言の中で総裁選挙に出る人がいるのかなと思っていました、もともと。そういうことです。

Q)8月26日に岸田氏が立候補を表明したが?

A)私はびっくりしました。

Q)といいますと?

A)出るんだ、早いなと思いました。

Q)かなり準備をして会見したように見えたが、率直にどう思ったか?

A)ですから「え、早いな」という感じでしたね。

Q)複雑な気持ちも?

A)いやいや全然。出たい人が出ればいい。これが自民党じゃないですかね。

二階元幹事長について

Q)自身にとって二階元幹事長はどういう政治家か?

A)ある意味ですべてを知っていて、そうした中で、私にとっては私がやりたいことについては、全面的に応援してもらいました。カーボンニュートラルとか、デジタル庁の法律を制定し発足させるとか、あるいは不妊治療も支援策を倍にして所得制限を外すとか、そうしたものが自由にできる。地方活性化もそうじゃないですか。これだけ災害が多い中で国土強靱化対策もしっかり取りまとめてくれる。そうした人だと思いますね。

Q)積極的に政策を後押ししてくれたと?

A)私が判断したことについては、すべて理解していただいて、応援してもらっていました。私自身は総理大臣になった時、今まで先送りしてきたことや、大体方向性が決まったけれどもなかなか実現できなかった、やらなければダメなことは、全部やり遂げようと思いましたから、そうしたことについてはお願いしましたね。
例えば原発処理水の放出問題、これは福島復興のために廃炉は避けて通れないわけですから、それに伴って判断する方向は決まっていたと思っているんです。6年も7年も検討していますから、安全性と風評被害対策をやることで判断しようと。
憲法改正の国民投票法改正や、安全保障上必要な土地の制約を変えるとか、こうしたものができたのは、やはり二階幹事長、森山国対委員長の力だったと思います。

コロナ対策と厚生労働省について

Q)コロナ対策について、今後どのような法整備が必要と考えているか?

A)今回の反省に立てば、ファイザー、モデルナは国際治験をやっています。確か数万人の治験をやっている。しかし、日本の規制当局は、それだけでは認可・承認をしない。日本人に対しての治験が必要だと。国会でも、国内治験をやれという付帯決議を付けられました。すると、通常は半年以上遅れてしまいます。今回は3カ月くらいまで縮めましたが、そういう状況の中で「遅い」と言われるわけですから。日本は民主国家ですから、国会の付帯決議は極めて重いです。そこは非常に残念でした。しかし、世界の国々はすべてそうですが、日本も、国際治験をやれば緊急承認という制度をつくって、接種していろいろな状況が出てきたら、もう一度やり直すとか、緊急事態についてはそうしたものがあっていいなと思っています。

Q)厚生労働省の組織のあり方については?

A)厚生労働省の人たちは、正直、真面目な方が多いです。しかし、どうしても自分の分野に固執するんですかね。やはり全体として進めていくというところが足りないと思いますね。それと、厚生労働省に仕事が多くいきすぎているんじゃないでしょうか。社会保障費の予算も多いし、いろんな課題も多くなっているので、もっと仕事をやりやすいようにした方がいいと思っています。

今後について

Q)衆議院選挙の街頭演説では、ワクチン接種を進めたことへの感謝の声も出ていたが?

A)私は正直言って、今度の選挙は総理大臣を辞めたあとの選挙ですから、ものすごく心配しました。しかし、街頭遊説に呼んでもいただきまして、行ったところで、今までにない多くの有権者の皆さんに来ていただいて、逆に励まされた。政治家冥利に尽きた遊説だったと思います。

Q)菅氏の存在感が再び高まっているという声もあり、派閥待望論も出ているが?

A)よく申し上げるのですが、派閥はどうしても右だったら右、左だったら左にみんながまとまってしまうような弊害がありますね。それよりも政策ごとに集まっていく。例えば携帯電話。いくらなんでも競争が働いていないし寡占状況が続いている。(料金が)高すぎる。世界と比べて、この問題をどうしようかという形で法改正もしました。その時、私と一緒にやっているグループの人たちがいろいろ世話を焼いて、勉強会をやって、どうすれば競争できる環境ができるか。そうしたこともみんなで作って法律を成立させた経緯があります。
ですから、そうした動きは大事ではないかと思います。役所の縦割りでどうしようもない、気がつかないところがあるんじゃないかと思っています。洪水のときに対応したんですが、ダムというのは国土交通省が所管する治水ダムしか事前放流していないというのは、まったく考えられなかったですね。電力会社のダムや農業のダムは、役所の縦割りで電力だけ、農業だけに使う。大雨で洪水で大変な状況になる時でも事前放流できない。そうしたことを直しましたから。そうしたことはなかなか政治家もわからないですから、1つ1つ堀り下げて解決していくのは、これからの仕事の1つかなと思います。

Q)そうした政策を実現する上でも数の力が必要になってくると思うが、どう結集させようと考えているのか?

A)ですから、そういう改革を進めたい人が集まって、問題によっては興味がないという人もいるし、あるという人もいるし、政策ごと、問題ごとに分かれて集まる人が違っていいと思っています。

Q)今後もさらに実現を目指して取り組んでいきたい政策は何か?

A)私自身の政権のときに骨太の方針を4つ掲げて、成長戦略の柱にしたいと決定しました。それはデジタル、カーボンニュートラル、少子化対策、地方の活性化ですが、誰が(総理大臣に)なっても大事なことだと思っています。こうしたことを、さらに前に進めていけるよう取り組んでいきたいと思います。

権力とは

Q)7年8か月務めた官房長官と、総理大臣とで、権力というものの見え方は違ったか?

A)それは大きく違うんじゃないかと思います。官房長官には、最後は総理が判断してもらう。当然、総理大臣の判断に従うわけですから。総理大臣は自分が最終判断者ですから、そこの違いはものすごく大きいと思いました。やはり権力には責任も伴うと思います。最高権力者が判断することは非常に重いと思います。ですから、国民の声を聞いて、必要だと思ったものについては判断をする。よく大臣になったら出来ないと言う人がいるじゃないですか。それではダメだと思いますね。大臣になったから実行に移すわけですから。ですから、大臣になったら何をやるか、常に考えながら政治家は臨むべきだと思います。ちなみに私は、当選4回で総務大臣になった時、ふるさと納税をつくりました。政治家として「これをやりたい」とずっと思っていましたから。

NHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 コロナ禍の首相交代劇」