コロナ禍の首相交代劇
安倍晋三の証言
「総理の人事 非常に孤独」

コロナ禍で日本社会が大きな岐路に立った2021年。
総理大臣の座は、菅義偉から岸田文雄へと移行した。ワクチン接種をコロナ対策の切り札として推し進めながらも支持率が落ち込み、志半ばで退任した菅。その舞台裏で何があったのか?
そして前回の自民党総裁選挙で大敗した岸田は、どのように総裁の座を手にすることができたのか?
キーパーソンによる証言からコロナ禍の政権移行の内幕に迫り、日本政治の行方を展望。
NHKスペシャル「永田町・権力の興亡」の取材をもとに、詳細な証言を掲載する。
今回は、元総理大臣の安倍晋三に聞いた。

菅政権について

Q)まず、菅義偉・前総理大臣について。総理大臣退任の際、長年、政権を支えてきた菅氏にどんな思いを託したのか?

A)7年8か月、ずっと政権を安定させるために、まさに人生を懸けてくれたと思います。寝食を忘れて全力を傾けていただいた。ですから、菅さんであれば安心して政権を託せるなと思っていました。事実、期待に応えてくれた。菅さんも当時は、安倍政治を経済政策や外交で継承するということを明確に打ち出しておられた。その意味でも大変、安心していました。

Q)この1年、目まぐるしく政局が動いたが、菅政権をどういうスタンスで見ていたか?

A)菅政権というのは、コロナに立ち向かい、戦い続けた政権だったと思います。そして、ワクチン接種等では、菅総理のリーダーシップの下に大きな成果を上げました。しかし同時に、オリンピック・パラリンピックを開催していくという大きな責任も負っていて、コロナ禍で開催するかどうかの決断を迫られました。ちょうどコロナ感染が拡大していく中での難しい判断だったと思いますが、開催国としての責任を果たしていくと。私は英断だったと思います。
一方、総裁選、その後の(衆議院)総選挙が迫り、コロナの感染が拡大していくという非常にタイミングが厳しくなっていく中において、菅総理も、どう政局を乗り切っていくか苦闘しておられたと思います。私は菅総理を支持していくという方針を決めていましたから、どのように党内を、あるいは当時の細田派をまとめていくか。何としても私の責任を果たさなければいけないと、ある意味、大変苦しい思いだったんです。

二階元幹事長について

Q)菅氏を支えていた二階俊博・元幹事長について。手腕をどう見ていたか?

A)二階さんという政治家は、二世議員が多い中にあって一代で今の地位を築き上げ、かつては田中角栄さんからも一目を置かれ、小沢一郎さんからも頼られ、郵政選挙においては小泉さんに信頼され、結果を出しました。そこで私は二階さんの実力、熟練の仕事師としての力に期待したんです。二階さんに対して、いろんな評論をする人がいますが、二階さんが端倪(たんげい)すべからざる人物であるということは、誰もが認めるところだと思います。大いに練達の政治家としての実力を発揮してくれたと思います。

Q)一方、人事で二階派議員が重用されることなどに、党内でいろいろな評価があったが、どう見ていたか?

A)自民党は、まさに実力の世界ですから、結果を出している限りにおいては、みんな評価をするんです。二階さんは幹事長になってからも、とにかく選挙に勝ち続けました。かつ、政権を安定させていく上で大きな力を発揮されましたし、私が(自民党総裁に)3選する上でも、今まではできなかったものを変えた。これは大きなことだったと思います。ですから私も信頼をしていましたし、二階派の人たちを重用していたのではないかという批判があったことも私も承知していますが、それはバランスの問題だと思います。濃淡はありますが、幹事長はやっぱり自分の派閥にいる人材についてよく知ってますから。どうしても気心の知れた人を登用していくことにはなるんだと思いますが、要は登用した人を含めて、結果を出せているかどうかということに尽きるんだと思います。

コロナ禍での政局について

Q)コロナの感染拡大に伴って菅内閣の支持率が下落する中、7月29日に麻生太郎・副総裁(当時は副総理兼財務大臣)と会談したとのことだが、どんな話をしたのか?

A)麻生副総裁とは、歩いても車でも5分くらいで家が近いものですから、よく夜、私や麻生さんの自宅で一杯飲みながら、今後の大きな方針についてゆっくり話をします。その時も、党内の状況等について意見交換をしました。そして確かに党内の若い議員が動揺しているということは共通認識だったんですが、そもそも菅政権をどうやって支えていこうかということで、2人はその日、私の自宅で会いました。ですから、それを念頭に現状分析をするとともに、どう対応していこうかということを話し合ったんですかね。

Q)8月の横浜市長選挙で小此木八郎・元国家公安委員長が敗北したが、選挙結果をどう受け止めたか? そして政局はどうなっていくと感じたか?

A)小此木さんは菅政権の大臣でしたし、菅総理の側近でもあった政治家があえて議席を捨てて市長選挙に出ると。それは大変な決断だったと思うんですが、総理の地元で残念ながら結果が出なかったということは、我々も党もショックでした。

Q)小此木氏からは立候補する際に何か連絡はあったのか?

A)小此木さんは、平成5年の初当選同期なので親しくしているんですが、その時に挨拶に来られました。私もちょっと驚いたんです。まさにこれからという政治家ですから。上り坂の人が、いわば道を変えるっていうのは珍しいんですよね。普通、ちょっと上り坂から、だんだんステップダウンしていく。下降局面に入ってから別の道に行くということはあるんですが、上り坂の政治家ですから、「なんで出るんだ」というふうに私も話しました。

Q)そこには菅氏の思いがあったのか?

A)そもそもが小此木さんの判断だと思います。小此木さんは非常に市長選挙にこだわりを持っていたのかもしれません。菅さんが判断して小此木さんを出したのではなくて、小此木さんが判断して出ることを決め、出る以上は菅総理も全面的に応援しようという判断をされたんだと思います。

Q)菅氏のお膝元の横浜市長選挙の敗北について、党内の動揺は?

A)衆議院選挙が近い中において、この敗北は大変大きいということを言う人はいましたけど、我々はむしろ、そういう動揺を鎮めなければいけない立場だったんで、菅総理の地元とはいえ、一地方選挙なんだから、衆議院選挙は衆議院選挙で頑張っていこうという話をしました。

解散報道と菅氏の退陣について

Q)解散・総選挙の時期が取り沙汰される中、菅氏が、幹事長人事を行うことを耳にした時は、どう受け止めたか?

A)おそらく菅総理は、執行部の人事を行って解散ということが基本的な考え方だったと思います。ですから、私は総裁選をやって勝って、人事を行って、解散・総選挙ということだろうと思ってました。

Q)何かアドバイスをしたのか?

A)私は、7年8カ月の総理の時代、人事を何回もやりましたけど、相談したということは全くと言っていいほどないんです。非常に孤独な、難しい、苦しい判断なんですが、人事は1人で行っていました。発表する前にいろんな方にお伝えするということはあります。その際、いろんな感想を述べられることがあります。でも、人事は決めてからお伝えして、その前に相談するということはないです。政治家に相談すると、その政治家の思惑の上の答えが返ってくるわけですから。そして、その通りにならなければ、せっかく相談したにも関わらず、相手が不愉快な思いになりますから。ですから私も基本的には、全ては総理が決めたことに従っていくという考えでした。いろんなお話を受けた時にもです。

Q)相談はあったのか?

A)いや、全くなかったわけではありませんが、基本的には、それはもう「総理の思い通りにやってください」ということを常に私は言っていました。

Q)8月31日に、菅氏が解散に踏み切るという報道が流れた際、安倍氏は菅氏と電話で話をしたと聞く。

A)2人だけの会話ですから、あまりつまびらかにお話をすべきではないと思いますが、当時の党内の状況についてお話をしました。もちろん、私は「菅総理の最終的な判断を支持します」ということは明確にしていました。その上で、党内には当選1回、2回、3回の議員が多いですから、「相当、動揺している」と。その中で「(もし解散すれば)相当の不満が出る可能性は高いのではないか」ということは伝えました。

Q)菅氏から解散への強い意思を感じたか?

A)そういう話はなかったです。解散という報道は出ていたけれども、私に対して菅総理から「解散したい」とか、そういうお話はなかったです。ですから、私は2人で話した時には、解散というのは、もしかしたらガセネタに近いのではないかと思いました。

Q)党内の現状を伝えたと。

A)そういうことです。

Q)その後、菅氏は総裁選挙に出ないことを表明したが、その決断をどう受け止めたか?

A)私も、第1次政権、第2次政権で辞任を表明したときは、それぞれ体調が悪化したということもありました。つまり責任を果たせない。責任とは何かと言えば、総理大臣は、いろんな判断・決断をしなければいけません。判断・決断をするには、精神的にも肉体的にも相当消耗しますから、それに耐えうる精神力と肉体がなければ責任を果たすことができない。総理大臣は全ての責任を背負っています。全ての評価も批判も1人で受け止めるわけです。言ってみれば、風がビュービュー吹いている中で1人立っているようなもの。その中で前に向かって進んでいきますから「もうこれは駄目なのではないか」と思った瞬間に、なかなかもう立っていることができなくなっていくんです。
おそらく菅総理も、コロナ対応においては全く正しい判断をし、リーダーシップで前に進め、感染沈静化という状況をつくり出した。成果を上げている。オリンピックでもそうです。しかし当時は、感染が拡大して大変な非難を受け、党内でも当時は当選1~3回の若い議員が多くて、残念ながら大きな不安や動揺が広がる中において、総裁選も戦いながらコロナ対策も進めていく。その後の(衆議院)総選挙の陣頭指揮を取れるかどうか。やはり精神的にも相当消耗されたんだろうと思います。であるならば、残りの任期、コロナ対策に全力を傾け、政局から退いて行政の長としての責任を果たしていこうという判断をされた。それは大変難しい判断だったと思います。もし総裁選が1か月後であれば、局面は全然変わっていたんでしょうけど、それは待ってくれませんから。

Q)潮目や転換点はどのタイミングだったと思うか?

A)非常にきつくなったなと感じたのは、(横浜)市長選挙で敗北した時です。しかし、私が急に総理を辞める中において、大変な中で立派に引き継いでくれた菅総理。そして、7年8カ月、官房長官としてひたすら汗を流し続けてくれた菅総理を最後まで支持するということは、心の中にも強く決めていましたので、苦しい中でも何とかしなければいけないと思いました。

岸田氏の総裁選立候補について

Q)一方で、岸田文雄・総理大臣が8月26日に総裁選への立候補を表明し、党役員の任期制限を打ち出した。どのような印象を持ったか?

A)岸田さんというのは、非常に温厚で誠実なお人柄の方ですよね。その岸田さんが、任期制限というのは、(二階)幹事長に対しての宣戦布告をされたということですから、随分、思い切った決断をしたんだなと思いました。ある意味、今までの岸田さんとは違うということを示すことができたと思っていました。「これが最後のチャンスだ」という覚悟が伝わってきましたね。

Q)岸田氏の変化は感じたか?

A)大変強い覚悟のもとに生き生きとしておられました。ある種、振り切れたような、勝負に自分の人生をかけるということだったんだと思います。

Q)岸田氏とは一昨年の総裁選挙のあとも会談を重ねていたが、政策面での意見交換や、アドバイスはしたのか?

A)岸田総理とはいろいろと話をしました。政策面においても、私がいろんな要求をしたというより、岸田総理の方から、自民党の保守派、あるいは党を支持している保守系の無党派層に対して、その期待を裏切ることはないし、保守党たる自民党の舵をどちらかに切ろうということは考えていないという趣旨のお話はありました。

Q)去年6月に岸田氏が創設した、資本主義に関する議員連盟の最高顧問に就任したが、岸田氏から直接要請があったのか?

A)岸田さんから要請を受けました。そこで参加させていただいたんです。私も、いわゆる「アベノミクス」を進めたんですが、成長戦略を打ち出していく中において、規制改革、規制緩和も行いましたが、いわゆる新自由主義とは味の違うものをやろうと思っていたんです。ですから、よく「瑞穂の国の市場主義」ということを申し上げて、強欲を原動力とはせずに、道徳を重んじて真の豊かさを知る市場主義を目指していきたいと。そういう意味においては大体同じ方向なんだろうとは思っていました。

自民党総裁選挙での高市氏支援について

Q)一方で、総裁選挙では、高市早苗・政務調査会長を支援したが、どのような戦略や思いだったのか?

A)早くから相談がありました。私は、菅総理を支持するということを明確にしていましたので、はっきりと断っていましたが、菅総理が出馬をされないという判断をする中で、保守派の論客としての立ち位置を続け、風圧に耐え続けてきた高市さんを、私は評価をしていました。総裁選となる以上、党内でさまざまな意見がある中において、くっきりと保守派の考え方や意見を明確に述べる人が立候補した方がいいだろうと考え、彼女の立候補のお手伝いをしました。

Q)仮に河野太郎氏と岸田氏が一騎打ちになった場合、どのような可能性があると見ていたのか? 高市氏が入って三つ巴になるというのはどういう戦略だったのか?

A)(岸田氏と河野氏の)一騎打ちになれば、ムードに流され、(河野氏の)一方的なワンサイドゲームになる危険性もあったと思うんです。私は、じっくりと議論を深める中で、党員の皆さんに考えてもらった上で選択していただく必要はあるなと思ったんですね。結果、そうなったと思います。三つ巴になるから、例えば「岸田さんが有利になる」ということまで考えたわけではありません。結果としては、そうなる可能性は高いだろうとは思いましたが、それを狙って高市さんを応援したのではなくて、単純に保守派の主張をしっかりと述べる候補が注目を浴びる、新しいスターが誕生する。それも女性候補であり、新しい保守が誕生すると。自民党にとっても、日本にとっても大切なことだと思いました。

Q)河野氏は、小泉進次郎・前環境大臣や、石破茂・元幹事長と連合軍のような形で戦いを展開したが、どう見ていたか?

A)それも1つの考え方で、国民的な人気の高い人たちを集め、いわば「永田町の論理」対「国民」という構図をつくると。選挙はストーリーですから、1つのストーリーをつくったなとは思いました。しかし、党員票である程度の狙いは達成されたんだと思いますが、当初の思惑ほどではなかったと思います。それは、高市さんが出て、議論・討論が行われる中で、誰が優れているか、どの政策がより練り込まれたもので成果や結果を出せるかという判断をしていただいたのかなと思います。なるべくじっくりと見てから投票していただきたかったんですが、見る前に投票する人も多い。しかし、見ていただいた人は、割と高市さんに投票した人が多かったように思います。最初は予想以上に無名で、非常に支持率が低かったんですが、討論会を重ねる度にだんだん上がってきましたから。

決選投票に向けた戦略について

Q)安倍氏自身もかなり活発に政局的な動きをしていた。岸田氏らとはどういうやり取りがあったのか?

A)総裁選挙は、第1回目の投票で過半数を取れなければ、決選投票があります。その中で、みんな何とか合従連衡を図りながら勝利を勝ち得たいと考えていますから、皆さんからいろんなお話をいただきました。こちら側もいろいろな働きかけを。もしこちら側(高市陣営)が2位に残った、あるいは1位でも過半数を取れないという状況においては、決選投票の時に1位になれるような工作をするというのは、戦いの中では当然のことだろうと。お互いにですね。

Q)岸田氏とも終盤で意見交換していたようだが、人事の話も含めてか?

A)岸田さんとは、議員会館が同じ棟で同じ階ですから、たまに私の事務所に寄られるという関係でしたから。よく話はしていましたので、総裁選が始まってからも、いろんな話もさせていただきました。人事の話は全くしていませんけれども。

Q)決戦投票になった場合の話や、戦いの面での最後の詰めという感じか?

A)戦いの場に入った時に、最後、岸田さんとは協力できるなとは考えていました。

Q)二階氏とも選挙戦終盤に会談したようだが、そうした工作の部分もあったのか?

A)生々しい中身ですから申し上げられませんけれども、当時の二階幹事長とは、基本的に意見交換と、私の考え方について申し上げたということです。

岸田政権について

Q)岸田政権が発足した。林外務大臣の起用など、人事はどう見ていたのか? 一部では岸田氏との間で距離ができているという見方もある。実際はどうなのか?

A)私は、人事は、総理が1人で判断し決断するべきだと考えているんです。責任を負うのは総理1人ですから。相談した相手は責任を持たない。私も岸田さんからいろんな話をいただいた時も、もちろん前広に相談していただくことは大変ありがたいんですけども「それはもう総理のご判断です」ということを常に申し上げています。ですから、世上よく言われている外務大臣の人事について、私が何か意見を言った、あるいは反対したというのは全く事実と異なります。「それはどうぞ、総理お決めください」というふうに申し上げました。

Q)麻生氏との関係はどうか? 一部では少し溝ができたのではないかという見方もある。

A)全くそんなことないです。安倍政権7年8カ月、ずっと副総理でした。2012年の総裁選は、麻生さんの支援があった。私を支持するというのは難しい判断だったと思います。私は必ずしも本命候補ではありませんでしたから。以来、政治的には盟友関係で今日に至ってますし、麻生さんの人生哲学、美意識において、一度結んだ盟友関係を裏切るとか、自分の利害損得で関係にヒビを入れるということは絶対にしない人ですから。家も近いですから、今でもたまに麻生さんも来られますし。この前も、茂木幹事長も入られましたが、3人でゆっくり。麻生さんは常に胸襟を開いた方で、いろんな話をされますから。話は早いです。そういう意味では。

Q)茂木幹事長も交えて政局的な話も?

A)そうですね。茂木さんも麻生さんも、お互いに胸襟を開いて話ができる関係になっていますから、話は早いんです。すぐに核心に至るということ。そういう会話だったと思います。

今後の政局は 権力とは

Q)安倍氏の再々登板というのはあるのか?

A)それは全く考えてないですね。永田町でも、それは誰も考えてませんから。

Q)期待の声があることについては、どう受け止めているのか?

A)それは一部ですね。そうやって励ましてくれる人がいることは、大変私も感謝していますが、今は第一派閥として岸田総理を支えていく。これが私の使命だと思っています。

Q)安倍氏にとって権力とはどういうものか?

A)権力とは、政策を実現する上において絶対的に必要なものですよね。だからこそ、権力をつかみに行く戦いが起こる。権力闘争に勝ち抜くことによって力を手に入れ、まさにパワーを持っている人が政策を完遂することができるということなんです。国際政治の場でも力を発揮することができるということだと思います。

Q)岸田氏のパワーをどう見ているか?

A)まず熱があって、そこからエネルギーを発し、それがパワーになっていく。そのパワーによって、権力という政策を実行する上で絶対的に必要な力を得るんだと思いますが、その力を岸田さんは得て、選挙に勝ち、補正予算も組み、だんだん自信を持ってこられたのかなと思います。

NHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 コロナ禍の首相交代劇」