選挙に勝つため町長が
“悪用”したのは…

選挙人名簿を不正に持ち出し、町長選挙に当選した。

選挙管理委員会の幹部を通じて、その名簿をほかの議員にも渡した。

問題が発覚して町長を辞職したかと思うと、再び立候補し、再選を果たす。

名簿に揺れた神奈川県の小さな町を追った。

(豊嶋真太郎、鵜澤正貴)

辞めたはずの町長が立候補 異例の選挙戦に

神奈川県真鶴町の前町長、松本一彦は氏名や住所など有権者の個人情報が載った選挙人名簿を不正にコピーして持ち出したなどとして責任を取って2021年11月に辞職した。

1か月後の町長選挙には町を刷新しようと、元町長のほか、元町議会議員、元会社役員が立候補した。

候補者が出そろったと思われた告示5日前。
責任を取って辞職したはずの松本も立候補を表明した。「もう一回頑張ってくれ」という一部の町民の声に応える形となった。


配ることができるビラには手書きでみずから起こした過ちへの謝罪の言葉が記されていた。
選挙ポスターには、自身の名前のみ。
不祥事を起こして町民に顔向けできないという気持ちの表れか。

選挙戦では松本の不正への姿勢と個人情報の管理のあり方が問われた。

異例の展開をたどった選挙で当選を果たしたのは、松本だった。
次点とは88票差の勝利だった。
松本は自身の給与を1年間受け取らない意向を示した。

衝撃の告白「選挙人名簿を流出させたのは私」

選挙で問われた不正とは何だったのか、振り返ってみる。

10月26日、松本は緊急の記者会見を開いた。
真鶴町で選挙人名簿が流出した、と地元紙の神奈川新聞が報じていた。
私(豊嶋)は、職員の不祥事について、町長が説明するのだと思っていた。

松本の口から語られたのは、衝撃的な事実だった。

「選挙人名簿を流出させてしまったのは私です。町の職員だったときに、『選挙人名簿』 をコピーして、自分の町長選挙に利用しました」

有権者の氏名や住所などの個人情報が載った選挙人名簿は選挙管理委員会が有権者の情報を管理するために使うほか、公職選挙法で、選挙運動への活用のため、候補者やその関係者の閲覧も認められている。
しかし、個人情報が大量に流出するおそれがあるため、コピーは認められておらず、違反すれば罰則もある。


松本は、町の課長だった2020年2月、全有権者6600人分の選挙人名簿を不正にコピーして自宅に持ち帰り、この年の9月の町長選挙で、名簿をもとに有権者に支持を呼びかけるハガキを送った、と明らかにした。

それだけではない。

当選したあと、2021年9月に行われた町議会議員選挙の前に、選挙管理委員会の書記長に依頼し、自身と親しい議員3人のもとに名簿のコピーを届けさせたという。
にわかには信じがたい町のトップによる衝撃の告白。

なぜこんな不正を働いたのか、背景に何があったのか、私は取材を始めた。

議員「町長から電話がかかってきた」

町長の松本が名簿を届けさせたという3人から直接話を聞くことにした。

森敦彦は町の元職員。町議を1期務めていたが、9月の選挙で落選した。
告示の2か月前、松本から電話がかかってきたという。

「『選挙に使う名簿いりますか。町長選挙で使った紹介者リストですから、安心です』と 電話がかかってきて、せっかくだから、もらうことにした」

すると選挙管理委員会の書記長が「町長に頼まれた」と分厚い封筒を持ってきたという。
森は名簿を使うことはなく、選挙後に封筒を開けた。
すると、中から選挙人名簿のコピーが出てきたという。

「自分も町の職員をやっていたから、これはまずいとすぐ気づいた。
議員仲間や警察に相談した」

森のほかに名簿を受け取ったのは、現在も町議を務める2人。
いずれも受け取ったことは認めたが「自分の畑で焼いた」などと選挙には使わなかったと説明した。
このうち、元町長で実力者の青木健は「松本と書記長は昔の部下で、これが明るみになったときの立場を考えれば、自分から言い出すことはできなかった」と釈明した。
不正が明らかになり、11月、書記長は懲戒免職の処分を受けることとなった。

町を二分する激しい『派閥』争い

松本は職員時代、町長だった青木に「仕事が良くできる」と目をかけられていた。
周囲は彼らを「青木派」と呼んでいた。

青木のライバルにあたるのが元町長で、今回の選挙で立候補した宇賀一章。
ともに地元の同級生で「青木派」に対し、宇賀に近い議員などは「宇賀派」と呼ばれていた。

宇賀と青木は2020年までの16年間、町長の座を2人で分け合ってきた。
トップにどちらが就くかで人事が左右されることもあり、選挙戦では怪文書が飛び交うこともあったという。

「脱『派閥』のために『仲間』が必要だった」?

不正の真意を知りたいと、松本を直撃した。

名簿を持ち出した理由について問うと「法に触れる認識が甘かった。大丈夫だろうと勝手に思い込んでいた」とした。


不正の背景に派閥争いがあるのか尋ねると、こう説明した。

「選挙は戦みたいなもの。やっぱりどうしても敵と味方ができる。それを延々とやってきた。それは常に残っている」

「町民を2つに分けることが、真鶴町全体のプラスになるのだったら続けたらいいと思うが、私は、それがプラスになるとまったく思わない」

「『派閥』やしがらみにとらわれない政治をしたいと思っても、自分がしたい政治をやるためには『仲間』が必要だった。矛盾しているように聞こえるかもしれない。でも、賛成してくれる人がいないと、何も話が通らない。そういう思いはあった」

誰でも鍵を持ち出せた ずさんな管理体制

不正の背景には、個人情報に対する認識の甘さと、激しい政争があったことがわかってきた。

そもそも名簿は簡単に持ち出せるものなのか。
選挙人名簿は有権者の個人情報が集まっているため管理は厳重であるべきはずだ。

選挙関係者だけでなく、報道機関も、政治や選挙に関する世論調査などで公益性が高いと認められれば、統計的な手法を用いて調査対象を選ぶために閲覧が可能だ。
閲覧した名簿は厳重に管理し、調査が終わればすべて廃棄処分する。

閲覧にあたっては書き写しが認められ、ノートパソコンへの打ち込みを認めているところもある。
前述のとおり、個人情報が大量に流出するおそれがあるため、コピーは認められていない。
情報を得るためには、手間暇をかけなければならないということだ。

不正が起きた真鶴町を取材すると、ずさんな管理体制が見えてきた。

町によると、今回、不正に持ち出されたのは、2019年の神奈川県知事と県議会議員の選挙で投票所で投票した人を確認するために使われたものだ。


選挙が終わると、名簿は段ボール箱に収められ、当選者の任期の間、鍵付きの書庫に保管する決まりになっていた。

書庫の鍵は、町役場2階のロッカーに保管されていた。
鍵を借りるためには、担当の職員に声をかけて、ロッカーから鍵と受付簿を取り出してもらい、受付簿に日時や名前などを記入することになっていた。

しかし、ロッカーは無施錠で鍵を取り出そうと思えば職員なら誰でもできる状態だった。
松本は、誰もいない勤務時間外の夜間に、受付簿に名前を書かずに鍵を取り、書庫から持ち出した選挙人名簿をコピーしていた。

「誰でも持って行こうと思えば鍵を持ち出せた。甘かった部分があった」(上甲新太郎 財務課長)

問題のあと、真鶴町は鍵を厳重に金庫で管理し、担当の課長の許可がないと取り出せないようにした。

氷山の一角? 厳重管理の自治体も

真鶴町のような名簿の流出は、氷山の一角ではないか。

神奈川県内の真鶴町以外の32市町村の選挙管理委員会に選挙人名簿がどのように管理されているのか、聞いてみた。以下のような結果となった。


棚に鍵をかけずに保管していたと答えた伊勢原市と二宮町は、いずれも「真鶴町の件を踏まえ、鍵のかかる場所へ移して保管するよう改善する」としている。

開成町は、2020年の新庁舎への移転に伴い、金庫室に名簿を保管し管理をより厳重にした。
金庫室のドアはICカードとなっている職員証をかざすことで開けることができる。
また、入室できるのは選挙事務に従事する職員など一部に限定している。町長や副町長も入る必要がないとして、権限を付与していないという。
さらに、誰がいつ入ったかすべて記録に残る仕組みも導入した。

「システムに記録に残ることが『抑止力』になると考えている。住民の大事な情報なのでできることをしっかりと進めて管理していくというのがわれわれに課せられた使命と思っている」(開成町選挙管理委員会 中戸川進二書記長)

システム上で名簿を管理する市のうち、藤沢市と海老名市は名簿の閲覧の申請があった際は、該当部分のみを印刷し閲覧が終わればすぐに廃棄するという。
藤沢市の担当者は「紙の場合は紛失のリスクがある。できるだけ紙を残さないことで、そのようなリスクを減らしたいと考えている」と話した。

このほか、川崎市は、現在は閲覧への対応のため、紙の名簿を用意しているが、2022年1月からはタブレット端末で閲覧できるように準備を進めている。

また、不正があった真鶴町は再び町長となった松本が個人情報などの管理を徹底するため文書のデジタル化を進めると話している。

ポイントは「意識の強化」と「システム化」

名簿の管理のあり方はどうあるべきなのか。
長年、川崎市で選挙事務に従事してきた、選挙制度実務研究会の小島勇人代表理事に聞いた。


「閲覧自体は、選挙で候補者が必要な情報を有権者に伝えるためにも重要だ。民主主義の発展のためには、候補者側、政治団体側も誰が有権者なのかということを多少は知る必要がある。ただそれが、適正に法律に則った方法でない形で行われれば、行政全体の信頼に影響する」

「まずは、厳重に管理しなければならないというコンプライアンス意識を強化すべきだ。過去のケースでも管理職が不正を行うことは多く、それでは一般職員に対して示しがつかない」

その上で、システムでの管理を進めていくことも必要だと指摘した。
「紙であれば、目の前にあるので、持って行かれてコピーされてしまったら、その時点で終わりだ。データ上の管理であれば、当然、パスワードで扱える人を限定するなど厳重に管理できるメリットがある。デジタル化、電子化を進めていくべきだ」

取材でわかったことは、松本を筆頭に議員も役場も、個人情報を扱う認識がきわめて甘かったということだ。
今は認められている選挙人名簿の閲覧も今回のようにルールの無視がまかり通ってしまえば、選挙活動の公平性や公益を図ることを目的にしている制度そのものが揺らぎかねない。
民主主義の根幹を支えるためにも、行政には個人情報の適切な管理の実現を望みたい。

(文中一部敬称略)

 

横浜局記者
豊嶋 真太郎
2019年入局。初任地の横浜局で2年半、事件や事故の取材を担当。現在は小田原支局に勤務。
首都圏局記者
鵜澤 正貴
2008年入局。横浜局や選挙プロジェクトなどを経て、現在は首都圏局。選挙や東京23区の区政取材などを担当。