静岡“コメ騒動”
川勝王国の自壊

12年にわたって築き上げられてきた“王国”が、1か月足らずで自壊した。
絶大な県民人気を誇り、自民党からの批判をものともしてこなかった静岡県知事・川勝平太。
リニア中央新幹線の工事に待ったをかけ、政権与党から警戒されてきた。
何に失敗したのか、解説する。
(井ノ口尚生、三浦佑一)

川勝の手法「敵を作り 戦う姿勢アピール」

川勝平太、73歳。
もともとは経済史が専門の学者で、静岡と深い縁はなかった。静岡県浜松市にある「静岡文化芸術大学」の学長を務めていた2009年に、政権交代に向けた波に乗っていた当時の民主党によって知事選に擁立され、自民党が推薦する候補を破って当選した。

県議会では一貫して自民党が過半数を占める中で、政治は門外漢だった川勝の手法は「敵を作り、戦う姿勢をアピールする」ことだった。

日本航空(静岡便の搭乗率保証金への批判)、県教育委員会(学力テスト低位に憤り)、静岡市長(静岡市廃止論や病院移転先をめぐる対立)など、川勝の“口撃”を受けた相手は枚挙にいとまがない。

その政治スタイルゆえの“失言”も繰り返されてきた。

2019年には、肝いりの文化施設構想の規模を疑問視する自民党県議らを念頭に「ヤクザ、ごろつきもいる」と発言し、「反対する人がいたら県議の資格がない」と議会での議論を軽視するような発言をした。
2020年には、日本学術問題の会員任命問題をめぐって「菅義偉(当時首相)という人物の教養のレベルが露見した」と述べ、「学歴差別だ」と批判を浴びた。(いずれの発言も、のちに謝罪・撤回)

当然、県議会自民党会派は猛反発したが、川勝人気は衰えなかった。

川勝が県民の支持を飛躍的に高めたのは「リニア中央新幹線のトンネル工事から大井川の水を守る」という訴えだ。

JR東海や国土交通省への激しい批判は、リニアによる直接の恩恵がない静岡県民から圧倒的な支持を得た。
6月の県知事選でもリニアを争点と位置づけることで、参議院議員を辞職して挑んだ自民党推薦候補を95万票対62万票の大差で退け、4選を果たした。

そして“コシヒカリ発言”へ

知事選で敗れた自民候補の欠員を埋めるためにその後10月に行われた参議院補欠選挙。

静岡県議会で川勝を支える立場の会派にいた無所属・山崎真之輔と、御殿場市長を辞して立候補した自民党公認・若林洋平の激しい争いとなった。
告示前は組織に支えられた若林が優勢とみられていたが、山崎の出陣式に突如、川勝が現れてマイクを握った。
川勝が国政選挙で応援演説をするのは初めてだった。

「山崎真之輔は命の水を大事にするということを一貫して言い、私にそれを教えてくれた、最高の後輩であります!」

またしてもリニアを軸にした川勝の絶叫によって聴衆は沸きに沸き、選挙戦の雰囲気は一変した。
この応援が「サプライズ」として大きく報道されると「各種情勢調査で山崎優勢」との情報が出回った。

勢いに乗った山崎陣営は選挙ポスターに川勝の写真入りシールを貼って連携を強調するとともに、さらなる応援演説を要請した。
この時が川勝人気の絶頂だったのかもしれない。

そして投票日前日の10月23日、浜松市での演説。
「浜松出身の山崎VS御殿場市長だった若林」を比較する中で、問題の発言が飛び出した。

「今回の補選は、静岡県の東の玄関口、人口は8万強しかないところ、その市長をやっていた人物か、この80万都市、遠州の中心、浜松が生んだ、市議会議員をやり、県議会議員をやり、私の弟分。こういう青年、どちらを選びますか?」

そしてこう続けた。

「こちら、食材の数でも439ある静岡県の食材のうち3分の2以上がここにある。あちらはコシヒカリしかない。だから飯だけ食って、それで農業だと思っている。浜松、遠州、その中心、ここ、経済はここが引っ張ってきた。あちらは観光しかありません。それしか知らない人間、そんな人間がですね、静岡県全体の参議院議員になって、どうするんですか。ダメです」

危機管理の失敗(1)放言誰も止めず

ここから、川勝側の危機管理の失敗が3つ考えられる。

応援演説に同席していた国民民主党幹事長の榛葉賀津也はあとから「そこにいた人間として、正直不適切だと思った。ヒヤッとした」と振り返った。

しかし、現場で川勝をいさめる声は出なかった。事前にも演説内容のすりあわせは行われなかったという。
川勝に“失言癖”があることを誰もが知りながら何も言わず、しゃべるに任せていた。

危機管理の失敗(2)チェックなきネット発信

それどころか山崎陣営はこの演説をSNSでライブ配信した上に、動画をネット上に残した。

陣営の担当者は「中身をチェックして判断するようなことはしていなかった」と話しているが、致命的だった。
選挙戦は山崎の勝利に終わったが、投票から4日たった28日になってネットで動画を見た御殿場市議会の議長が激怒し、SNS上で川勝に矛先を向けた。

「あきらかに差別発言です!御殿場市も静岡県です!」

議長の訴えは拡散し、県庁に批判の声が殺到した。

危機管理の失敗(3)“誤解”と主張

11月9日午前、知事を支える野党系議員会派の役員が事態を重く見て知事室を訪れ、謝罪会見を開くよう要請した。
川勝はこれに応じ、その日のうちに緊急会見を開いた。

「大変大きく誤解を生んでいる」
「御殿場市民ではなく、自民党の元御殿場市長に向けた難詰であります」
「選挙中の論戦であったことを踏まえてご理解賜りたい」

あくまで“誤解”だと主張したのだ。会見では結局、謝罪のことばはなかった。これが火に油を注いだ。

御殿場市長はその日のうちに「市民が感じ取った心の傷は消えないのではないかと思う」と反応した。

翌10日、御殿場市の男性が自民党を通じて知事に辞職を求める請願を県議会に提出。
男性は「会見は謝罪にはなっておらず、言い訳にしか聞こえなかった」と怒りをあらわにした。

ことの深刻さをようやく悟った川勝は、夜に御殿場市役所を訪れ、市長と市議会議長に謝罪。発言の撤回を伝えた。
12日に改めて記者会見を開き、県民に向けても謝罪した。

自民側も攻めきれず

それでも事態は収まらなかった。これまで川勝に煮え湯を飲まされて続けてきた県議会の自民党会派は「堪忍袋の緒が切れた」と、法的拘束力をもって知事に失職を迫ることができる不信任決議案の提出を宣言した。

地方議会での不信任決議案は、出席議員の4分の3以上の賛成が可決の条件だ。
この可決ラインは知事を支える側の会派からも賛成者が出ないと達しない。自民側は、野党から自民党入りしたばかりの衆議院議員・細野豪志や、野党系議員の支持基盤である労働組合を通じた造反の働きかけを試みた。
ある川勝側の議員のもとには「不信任に賛成すれば、あとのことはすべて自民党が支える」と引き抜きの誘いもあったという。

しかし、知事選で川勝に4連敗している上に参院補選でも敗北し、勝負弱さを見透かされている自民側の誘いに乗る議員はいなかった。
知事側会派は会見で「手をかえ品をかえの波状攻撃があった。ある議員のところに来たときのことはすべて録音している」とあえて明かすことで自民側を強くけん制した。

可決の見通しが立たないままで不信任決議案を提出することに、自民党会派の中では「不信任が否決されると向こうは信任と捉える。こちらは犬の遠吠えになってしまう」と異論が高まった。
結局、臨時議会の前日になって、不信任決議案をあきらめ、過半数で可決できるものの法的拘束力の無い辞職勧告決議案の提出に方針を転換した。

辞職を求める請願を提出した御殿場市の男性は「県議会に託したけれどダメだったか。否決されても不信任を提出するべきだった」と、自民党への失望感を示した。
また県に殺到していた苦情も次第に減り「反省して引き続きリニア問題で頑張ってほしい」「県民全員が辞任を希望しているわけではない」など、批判が過剰ではないかと疑問を示す声も複数寄せられた。

知事を一方的に攻める側だったはずの自民も、傷を負うことになった。

“生まれ変わる。富士山に誓った”

11月24日に開かれた臨時議会では、御殿場市の男性が提出した請願と、辞職勧告決議案がいずれも賛成多数で可決された。

かつては川勝と友好的だった公明党県議団による辞職勧告決議案への賛成討論が印象的だ。

「自分の言動がのちにどのような事態を招くのか、想定できていなかったとすれば、県政運営に最も必要な知事の危機管理能力に大きな疑問符を付けざるを得ません」

不信任決議案が見送られたとはいえ、辞職勧告決議の可決は静岡県議会では戦後初だ。
議会後の取材に対し、川勝は辞職を否定した上で述べた。

「来年は生まれ変わったような人間になってみようと、富士山に誓った。この年末にかけて沈思黙考する。そして県民の県民による県民のための県政に全力を投じる。知事として職責を全うしながら、辞職勧告を受けたということは忘れることがないようにする」

“地域政党構想”も立ち消えに

取材の中で思い返したことがある。6月の知事選のさなか、川勝側近のある議員がつぶやいていた。

「知事には『4期目はどんどん政治活動もしていきましょう』と言ったんだ」

あれが今回の“コシヒカリ発言”の予兆だったのか。

実は10月まで川勝周辺では、川勝と、参院補選で当選した山崎真之輔を中心とする地域政党のようなものを立ち上げる構想が取り沙汰されていた。
次の参院選や統一地方選に向けて、カリスマ的人気の川勝が前面に立てば、10年前の「大阪維新の会」のようなムーブメントを静岡で起こせるのではというもくろみだ。

しかしそれも、今回のコシヒカリ発言をめぐる一連の騒動に加え、自身の弟分と位置づけた山崎の女性問題が明るみになったことで立ち消えとなった。

川勝も、それを支える野党系議員も、自民党会派も、御殿場市民も県民も、多くの関係者が傷ついた“コメ”騒動だった。そんな中でも御殿場市長は会見で「コシヒカリと御殿場市の名が広まったのは事実で好機だ。この際に御殿場市を全国に売っていきたい」と度量の大きさを見せたのだから、川勝の立つ瀬がない。

川勝は続投することになったが、自民・公明との緊張関係は続く。

さらに失言発覚

11月の騒ぎを振り返りながらこの原稿を書き終えようとしていたところ、川勝の別の失言が新たに発覚した。
6月の県知事選期間中に候補者として招かれた集会で、自らが学長を務めた大学の学生についてだ。

「(学生の)8割くらい女の子なんです。でも11倍の倍率を通ってくるんですから、もう皆きれい。顔のきれいな子は、賢いこと言わないときれいに見えない」

学力と容姿を結びつけるような発言をしたとして報道された。
すると川勝は、今度はすぐさま謝罪・撤回した。

度重なる失言で、川勝に近い議員からも「ひたすら低姿勢でいるように」と釘を刺されていた中、過去の発言とはいえ、以前のような力強い政治スタイルを貫く状況にはなかったのだ。

川勝を支える会派の会長を務める女性県議も「軽い発言だったというが、そういうときこそ隠れたバイアスは出てしまうことが露呈した」とあきれるしかなかった。

自民・公明の女性県議らは「ジェンダーや人権に対する意識が欠如している」と怒りをあらわにし、重ねて辞職を求める抗議文を提出。

川勝は今回も辞職を否定したが、県民からはより厳しい目で言動をチェックされる日々が続く。

取材にも教訓

最後に、取材する立場としての反省も記しておきたい。10月23日のコシヒカリ発言の演説はわれわれも取材していた。

自民党が衆院選を総括する会見の中でこの川勝の演説を問題視したのが11月1日。
それを地元紙の静岡新聞が書いたのが2日。翌3日に地元民放1社が大々的に特集。それらを見た県民からの抗議が県庁に寄せられたのを受け、NHK静岡が放送したのは4日の夕方だった。

「問題が大きくなってきたら、タイミングを見て、書こう」と考え、なかなか判断がつかなかった。なぜ様子見をしてしまったのか、今後の教訓として生かしていきたい。
(文中敬称略)

静岡局記者
井ノ口 尚生
2018年入局。松山局をへて静岡局。11月に静岡県政担当になったとたん、今回の“コメ騒動”取材に突入。
静岡局記者
三浦 佑一
2003年入局。福島局、社会部などを経て2度目の静岡局。間に異動を挟みつつも、10年間川勝県政をウオッチ。