“デジタル化”は実現するか?

新型コロナの感染拡大で露呈した日本のデジタル化の遅れ。
「国家の競争力に関わる」と強い危機感を抱いた当時の菅内閣は、鳴り物入りで「デジタル庁」を設置した。
後を継いだ岸田内閣も成長戦略の柱に「デジタル化の推進」を置いている。
果たして政権の狙い通りに日本経済再生の起爆剤となるのか。
(鹿野耕平、岩澤千太朗)

“門外漢”のトップ

日本のデジタル化を進め、国民の利便性を高めるために発足したデジタル庁。

オフィスは東京・紀尾井町の複合ビルの中にある。
自分の席を持たない「フリーアドレス」など、官公庁とは思えないオープンな雰囲気のオフィスでは、役所や企業で見られるような部局や課はほとんどなく、プロジェクトごとに官民混合のチームを編成して仕事をしている。

職員600人のうち、民間出身者が200人ほどと、およそ3分の1を占める。
その構成も、霞が関の官公庁とはまったく異なり、データやセキュリティー、デザインなど、各分野のスペシャリストが数多く集まっている。ベンチャー企業出身の職員も多い。

そんな多士済々の精鋭たちを仕切るのが、デジタル庁の事務方トップ、初代「デジタル監」の石倉洋子だ。

一橋大学の名誉教授を務める石倉は経営学が専門。アメリカ・ハーバード大学のビジネススクールで、日本人女性として初めてDBA=経営学博士を取得した。外資系のコンサルティング会社で企業戦略の策定などに携わってきた経歴も持つ。

「デジタルの専門でなければ、エンジニアでもない」とみずから語る石倉が、なぜ、デジタル庁の事務方トップを引き受けたのか。

その理由の1つに、新型コロナのワクチン接種をめぐって、もどかしい思いをしたみずからの体験がある。

「自分の命を守りたいから、ワクチンを何しろ早く接種したい。地方自治体のシステムにログインして予約しようと思ったらすごく時間がかかった。『何だこれは』と思って」

ウェブ上でのワクチン接種の予約方法にストレスを感じた石倉。
政府や自治体のサービスには利用者の目線が圧倒的に不足していると実感したという。

「経営戦略というのは、企業が、市場の誰を狙って、どういう価値を提供するのかが1番のカギなんですよね。デジタル化に向けて『誰も取り残さない』と掲げられる中で、ユーザー視点があまりなく、いろいろと生かせるのかなと」

真価問われる ビッグプロジェクト

そんなデジタル庁で、早くも真価が問われるプロジェクトが進んでいる。
新型コロナウイルスのワクチン接種をスマートフォンで証明する、専用の接種証明アプリの開発だ。

石倉も、庁を挙げての「ビッグプロジェクト」と位置づける。

「ものすごく大事なプロジェクト。これがうまくいって、『こういうことなのか』という実感として、一般の人にわかってもらえれば、『さすがデジタル庁』ということになると思う。『デジタル庁ができたから、ずいぶん変わったよね』と」

現在、海外渡航者向けに自治体への申請で書面で交付されている「接種証明書」をデジタル化して、利便性を上げるのが狙いのこのアプリ。

デジタル庁としては、このアプリを国内でも利用できるようにし、アプリを通じて、料金の割り引きやポイント還元などのサービスが行われることも想定している。

立ち塞がる課題

しかし、いざプロジェクトを進めてみると、次々に課題があらわれた。

その1つが「本人確認」だ。

デジタル庁は、本人確認の手段として、マイナンバーカードの利用を想定している。
スマートフォンにマイナンバーカードをかざして、4桁の暗証番号を入力すると、QRコード付きの接種証明書が表示されるというシステムだ。

マイナンバーカードを持っていない人はアプリを利用できないが、このマイナンバーカードの普及率が低く課題となっている。普及率はことし11月16日現在で39.5%。
石倉は、アプリの開発にあたってマイナンバーカードの普及も同時に目指しているという。

「このアプリが、マイナンバーカードを持ってもらうための1つの手段というか、きっかけにもなると思う。そこをまずクリアする」

果たして思惑通りにアプリもマイナンバーカードも同時に普及が進むだろうか。

また、接種証明書の取得は、オンラインや役所の窓口で申請すれば、今後も、書面で証明書を受け取ることも可能だが、こうした方法を併用することで、思惑どおりにデジタル化が進むかどうかは不透明だ。

さらに、なりすましをどう防止するかという点も課題だ。
他人の接種証明を事前に画像で保存し、そのQRコードをスマホに提示されたらどうするのか。
デジタル庁は、対応策として、表示される内容に時刻を加えることにしている。
表示された時刻が、現在の時刻と異なっていれば、事前に保存された赤の他人の接種証明書だと判別できるというわけだ。

想定より早かった世の中の流れ

デジタル庁は、今のところ、開発は予定通りに進んでいるという。
12月中下旬にはこのアプリの運用が開始される見通しだ。

ところが、世の中の流れは開発の流れよりも早くなっている。

政府は新型コロナの感染対策と経済社会活動との両立を図るため、11月に行動制限を緩和し、ワクチンを接種済みであることや検査で陰性だったことを証明する『ワクチン・検査パッケージ』が活用されることになった。

「ワクチン・検査パッケージ」は、接種済証やそれを撮影した画像などを通じて、ワクチンの接種証明を確認する仕組みとなっており、最もアプリが活躍するはずの制度の開始に、開発が間に合わない事態となっている。

さらに自治体や民間の動きも早い。
東京都が10月15日から接種証明のスマホアプリの運用を始めたほか、ほかの自治体や民間でも、同様のアプリの運用を始めているところが相次いでいるのだ。

背景にあるのは本人確認の方法だ。
デジタル庁が開発中のアプリは、海外での活用も視野に、マイナンバーカードで厳格な本人確認を行う仕組みを目指しているのに対し、東京都などのアプリは国内向けで、本人確認を自動車の運転免許証で行えるようにしたため、国より早い運用開始につながったとみられる。

鍵を握る スピード

総理大臣の岸田文雄は、11月16日の「デジタル臨時行政調査会」で「行政のデジタルインフラ整備や制度改革のスピードが国や企業の成長力を左右すると肝に銘じて取り組んでもらいたい」と述べ、関係閣僚に対し、社会のあらゆる分野での迅速なデジタル化を指示した。

岸田内閣は、年末までに今後の基本方針となる「デジタル原則」を策定し、来年の春をメドに、デジタル時代にふさわしい経済社会構造をつくるための、一括的な規制見直しプランを取りまとめる方針も明らかにしている。

しかし、有識者などからもっとデジタル化のスピードを上げるべきだという指摘も出ている。

石倉も同様の認識を示す。

「私の『デジタル』の理解は、どんどん試してみて『あっ、違った』とか『ここは、おかしい』ということをすぐに直していけるということだ。最初から100%のものができるという話ではなく、あっちに行ったりこっちに行ったりしながら、いいものにしていけばいいのではないか」

デジタルやITの開発・普及で鍵を握るのは「スピード」だ。
慎重で丁寧な準備や根回しを得意としてきた「霞が関」で、トライ&エラーを重視するベンチャー企業流の意思決定や政策づくりを実現できるのか。
日本経済の再生にも影響するこの取り組みを、引き続き注目していきたい。

政治部記者
鹿野 耕平
2014年入局。津局と名古屋局を経て、2020年9月から政治部。総理番とデジタル関連政策の担当として、デジタル庁発足に至る過程などを取材。11月から、総理番を卒業し、文部科学省を担当。
政治部記者
岩澤 千太朗
2016年入局。大阪局、千葉・成田支局を経て2021年11月から政治部。総理番のほか、デジタル庁を担当。ブルーベリー農家の長男で、趣味は筋トレ。