田文雄は、なぜ立たぬ

「進むも地獄、退くも地獄」とも言われた、その男が選んだのは、立たないこと。
岸田文雄(61)。
「ポスト安倍」の1人と目された自民党の政調会長だ。
9月の自民党総裁選挙への立候補を見送り、安倍総理大臣(63)を支持する考えを表明した。これによって総裁選挙は、安倍総理大臣3選の流れが加速した。彼に何が起きたのか、心中は推し量るしかないが、側近たちの証言を通じて、決断の背景に迫る。
(政治部自民党岸田派担当 川田浩気)

苦渋

7月24日。
その日、彼は、意を決したような表情で話し始めた。時折、間を置きながら、眉間にしわをよせて苦渋の表情を浮かべた。

ただ会見が終わると、スッキリしたような表情となり、幹部一人一人と握手していたのが印象的だった。
この国のリーダーを決めることにつながる、自民党の総裁選。彼はなぜ、自ら降りることを選んだのか。

誰もが認める「有力候補」

「未来永劫、安倍総理大臣1人に、頼り続けることも許されず、『安倍時代』も、いつかは後が巡ってくるので、その時に何をするのか、今から考えておかなければならない」
去年4月、派閥創立60周年を記念するパーティーで、こう挨拶した岸田氏。安倍総理大臣の“次”を狙う意欲を強調した。

そして、ちょうど1年前の内閣改造・自民党役員人事で、大きく1歩を踏み出す。第2次安倍政権発足以降、4年8か月にわたって務めてきた外務大臣から、自民党の政務調査会長に就任したのだ。

「将来を見据え、党務を経験したい」という岸田氏の希望を、安倍総理大臣が酌む形で実現した。
主要閣僚に加え、党3役も経験することで、総理・総裁の条件を十分に満たす。また、率いる派閥・岸田派は、伝統的に財政規律を重視、ハト派色が強く、安倍総理大臣に対する対立軸になり得る。党内で岸田氏は「ポスト安倍」の有力候補者の1人と目されるようになった。

派閥幹部で岸田氏に近い宮沢洋一元経済産業大臣も、意欲を感じたという。

「外交というのは、総理マターが非常に多いわけで、独自色というのも、なかなか出しづらい。閣僚として、内閣に入っているよりは、党の役職の方が総裁選という観点からすれば自由度が高い。本人も、なかなか、はっきり言うわけではないのだけれども、出たいという意欲は、かなり強く感じられた」

「曖昧戦略」

しかし、これを機に、岸田氏の総裁選挙に対する物言いは、慎重さが目立つようになる。
なぜか。その大きな理由となったのは、一貫して支えてきた安倍総理大臣との「間合い」だった。

岸田氏はことしに入ってから、1月、4月、6月と3回、2人だけで食事。総裁選挙をめぐる党内の情勢などを意見交換してきた。

岸田氏は立候補するかどうか、明らかにしない「曖昧戦略」を取りながら、安倍総理大臣の動向を見極めてきた。

岸田氏に近い松山政司一億総活躍担当大臣は、こう証言する。

「安倍総理と岸田さんというのは、われわれが思っている以上の信頼関係だ。だから安倍総理に反旗を翻したりとか、そういったことではなく、総裁選で戦う時は2人で話して決断するんだろうと思っていた」

戦うなら、勝たねば

岸田氏に重くのしかかっていたのが、1999年の総裁選挙のトラウマだ。

当時の派閥会長で、将来の総理大臣候補と見られていた加藤紘一氏が、時の小渕総理大臣に挑むも敗れ、その後、加藤派は冷遇され、翌年の「加藤の乱」につながっていった。加藤氏は結局、総理大臣の座に就くことはなかった。

当時、加藤派の若手議員だった岸田氏は、この政治ドラマを目の当たりにして、1つの教訓を得た。それは「戦う時は、勝たなければいけない」ということ。

しかし今回、安倍総理大臣が細田派、麻生派、二階派から支持を得る見通しで、国会議員票では、優位という見方が強い。さらに「ポスト安倍」として争う石破茂元幹事長(61)は、6年前の総裁選挙で過半数の党員票を獲得した実績を持つ。岸田氏は周囲に「党員票では石破さんに負け、全体で3位になるかも」と弱音をこぼすこともあった。

派内からも「厳しい選挙にあえて臨まなくても、安倍総理大臣との関係を維持して、“禅譲”を狙った方が、総理への座が近いのではないか」という声も出ていた。

2位になれば…

一方で、今回立候補することが次につながると、岸田氏の背中を押す声も相次いだ。

宮沢氏はこう語る。
「今回、総理・総裁になれる可能性があるわけでは無いということは岸田会長も分かっているわけで、そういう中で、今回出た方が次につながるのか、出ない方が次につながるのかと、こういう話だ。私は出た方が次につながるだろうと、ずっと申し上げてきていた」

また、党内でも麻生副総理は、1月に岸田氏と2人だけで会食した際に「権力は戦わなければとれない」と強調し、「総裁選に出るなら、2位にならなきゃダメで、2位になるには、どうすれば良いか教えてやる」と伝えていたという。

そして、今回立候補しないと、次の総裁レースは、河野太郎外務大臣(55)や、小泉進次郎筆頭副幹事長(37)ら、次の世代へ歯車が1つ回るという指摘も出た。

強まる「主戦論」

こうした中、国会では森友学園や加計学園の問題をめぐって、安倍政権に対する批判が強まり、内閣支持率が下落。これを受けて岸田派内では、岸田氏が総裁選に出るべきだとの「主戦論」が盛り上がりを見せてくる。所属議員の当選回数別の聞き取りにも、立候補すべきだという声が、見送るべきだとの声を上回った。

岸田氏も、直接的な政権批判は控えながらも、政治手法の転換を繰り返し主張するようになった。
「『トップダウン』も大事だが、最近、行き過ぎている部分があるのではないか。『トップダウン』と『ボトムアップ』、どちらが正解というものではなく、賢明な使い分けができるかが、いま政治に問われている」(7月14日講演)

番記者として、2年近く見てきた私には、普段は温厚な岸田氏が、徐々に神経質になってきたと感じられた。岸田氏の悩みの深さを表しているように思えた。

「出たら完全に干す」

なかなか態度を明らかにしない岸田氏に、今度は安倍総理大臣の側から苛立ちが伝わるようになってくる。

6月18日夜、安倍総理大臣と2人だけで会談した岸田氏は、宮沢氏にこう漏らしていた。

「総理からは『主流派として一緒にやっていって欲しい』という話があった一方で、自分からは『派内には、主戦論と慎重論があり、主戦論の方が多いが、出馬するしないについては、じっくり考えたい』ということを言って別れた」

その後、安倍総理大臣に近い議員からは、岸田氏の動向をけん制する声が聞こえてきた。
「岸田さんが『全面的に安倍さんを支持する』と言えば、“禅譲”はあり得るんじゃないか。岸田さんが処遇されるためには出ないことが一番いい」

「総理は結構シビアだから、岸田さんが出たら、完全に干すと思う」

結束か「荷崩れ」か

出るか、出ないかに加え、岸田氏が懸念したのは派閥の「荷崩れ」、つまり対応がバラバラにならないかどうかということ。

総裁選のあと、政府や党のポストに就けるのか? 来年には参議院選挙も控えるが影響は? 岸田派の議員一人一人、抱える事情は違う。どちらの結論を出すにせよ、派閥としての結束は維持したい。

丁寧に手順を踏みながら、国会閉会直前の7月17日、岸田氏は派閥からの一任をとりつけた。

決断の日

そして国会閉会翌日の7月23日、岸田氏はついに動いた。

宮沢氏の証言だ。
「総理と会うという話を聞いたのは、23日の朝だ。それまで、いくつか政策的に、安倍総理と考えの違う部分を言って、『配慮する』というようなものが無ければ、戦った方が良いし、『配慮する』という言葉があるのであれば、『今回は出ない』という結論もあり得ると話をしていた」

「総理と会う前に『少し話がしたい』ということで、昼頃、話をして、それから安倍総理のところに行った」

この23日の安倍総理大臣と岸田氏の会談について、菅官房長官は会見で「会ったことはないということだった」と否定している。

だが、岸田氏は立候補見送りを表明した24日の記者会見で、安倍総理大臣との会談を明言している。周辺にも「目指す政治姿勢や政治手法など、異なる点も安倍総理に伝え、『いろいろと変わらなきゃいけない』と言ってくれたことが決め手になった」と語っている。

悩みに悩み抜いた上での結論だったと、側近の松山氏も話す。

「岸田さんは、来年の参議院選挙での公認や、今後の人事といったことで、自身が総裁選に出ることによるデメリットを相当気にしていたと思う。やはり派閥の会長で、47人を背負ってやっていますので、相当熟慮したんだと思いますね」

“家康”

今回、立候補を見送った岸田氏に、「ポスト安倍」の芽は残ったのか。
記者会見で、岸田氏は、3年後の次の総裁選挙への対応を聞かれ、次のように答えた。

「気の早い話だ。1つ1つ、目の前の政治課題や政治日程に真剣にとりくむことが大事で、その積み重ねが未来につながっていく」
即答したいものの、自分に言い聞かせるよう「気の早い話」と答えた、岸田氏を見てきた記者としては、そんな印象を受けた。

岸田氏は、自身の強みを「辛抱強さ」と「我慢強さ」だと公言している。また、好きな戦国武将は「織田信長から、徳川家康になってきた」と語る。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の心境で、総理・総裁の座を射止めることが出来るのか。彼の戦いは、なお続く。

政治部記者
川田 浩気
平成18年入局。沖縄局、国際部を経て、政治部へ。2年前から「岸田番」。