政治学者が見た
菅内閣の“功罪”

自民党総裁選挙での新総裁選出に伴って、菅総理大臣は退任する。
去年9月、国民の高い期待を背負って発足したものの、最後は混乱の中で突然の退陣となった菅内閣は、この1年余りで何を残したのか。
日本政治を見つめてきた2人の政治学者が足跡を振り返り、その「功」と「罪」を語る。
(花岡伸行)

2020年9月 菅内閣発足

去年9月、総理大臣を辞任した安倍晋三の後継を争う自民党総裁選挙で圧勝し、第99代の総理大臣に選出された菅義偉。
「国民のために働く内閣」を掲げ、内閣発足直後のNHKの世論調査では、支持率62%という高い水準でスタートを切った。


そして、10月の所信表明演説。
「2050年カーボンニュートラル」「携帯電話料金の値下げ」「デジタル庁の設立」「不妊治療の保険適用」
菅は内閣の目玉政策を次々と打ちだした。

「脱炭素」は菅のリーダーシップ

自民党などの政党史を研究してきた一橋大学大学院教授の中北浩爾は、これらの政策には政治家としての菅の基本姿勢が投影されていると指摘する。

「時代の流れで必須のことは先駆けてやっていこうということと、国民が今、本当に困っていることで、省庁間の縦割りや官僚の抵抗などで動かないことを、とにかく動かしていこうという、この2つが菅総理の基本的な政策的な考え方なのだと思う」

「不妊治療の問題や子どもの問題は手を付けていかないと日本が先細っていくんじゃないかと分かっていながら、なかなかできない部分があった。そこを官僚を使って、グーッと前に進めていく突破力は菅総理らしいところなのではないか」

こうした政策の中でも「2050年カーボンニュートラル」は高く評価しているという。

「最初に国会での演説から出てきたが、当然、政府全体の方針ということになってくるわけで、菅総理のリーダーシップがあったとしか考えられない。菅総理の独自色が出た部分なのではないか」

「行政官的総理」の真骨頂

「オーラル・ヒストリー」を通じて、菅を含む多くの政治家に向き合ってきた東京大学名誉教授の御厨貴は、菅を「行政官的総理」と位置づけ、個別具体的な政策を進める能力にたけていたと指摘する。

「僕が感じたのは、この人は、分かりやすいところにポイントを当てるんだなということ。携帯電話の料金を下げることが総理が言うべき政策かどうかを議論するといろいろあるが、それでも、とにかく、そういうものを取り上げて、あまり大きいことじゃなくて、個別の具体的なものをつかんでいく人だなと思った」

「政治というよりは、むしろ行政官の一番上にいる、つまり『行政官的な総理』として、全部仕切ったという印象が強い。安倍さんのもとでも、官房長官として、そういうことをやってきたが、総理になっても、官房長官的な役割で行政官として上から何かを命じてやっていくということは、うまくそれなりに回したのだと思う」

御厨は、特にデジタル庁の創設が、総務大臣も経験して、官僚組織を知り尽くした菅の真骨頂だったと評価している。

「いろいろ問題はあるが、コロナの中でデジタル庁を作るというところまで持って行ったのは、すばらしいことだったと思う。なんといっても、あれだけの短い期間で作ってしまったというのは、『行政官的総理』の一番いいところだったのかもしれない」

2020年12月 Go Toトラベル停止

順調な滑り出しに見えた菅内閣だったが、徐々に新型コロナの感染拡大の影が忍び寄る。2020年11月以降、第3波が襲い、12月には、菅が、観光業支援の決め手として推し進めてきた「Go Toトラベル」が全国一斉停止に追い込まれた。

コロナを甘く見ていた

中北は菅が経済対策に軸足を置きすぎてコロナを甘く見ていたのではないかと指摘する。

「Go Toや観光は、菅総理が官房長官時代から力を入れていた政策だったので『やはり、これは続けたい』『事業者が苦しんでることを座視できない』という思いがあったと思う」

「経済対策に軸足を置こうとしたのが菅政権だったが、感染拡大が常に起きて、その結果、後手後手になるということが繰り返された。コロナを甘く見たというか、感染拡大がさほど進まないんじゃないかという希望的観測みたいなものが、知らず知らずのうちにあったのかもしれない」

2021年1月 緊急事態宣言再発出

その後も感染拡大は収まらず、大みそかには、東京で、新規感染者数が初めて1000人を超え、ついに1月8日、東京など首都圏の1都3県に再び緊急事態宣言が出される。感染はさらに拡大し、緊急事態宣言は、その後も、延長や再発出が繰り返され、「自粛疲れ」や「宣言慣れ」も指摘される状況となっていく。

「いつまでやるつもりだ」

御厨は、宣言の延長や再発出に国民が不満を募らせていったと考えている。

「『緊急事態宣言は、もう1回しかやりませんよ』と言うんだったら、それでやめて、全然別の手を打つようにしないとダメで、2回目、3回目の延長なんてやっていたら、国民の方も『いつまでやるつもりだ』となる。国民の側の『コロナをなんとかしてほしい』という気持ちにぴったり合った政策として出していなかった」

2021年4月 バイデン大統領と初会談

こうした中、菅は、アメリカを訪問し、バイデン大統領が対面で会う初めての外国首脳として日米首脳会談に臨んだ。
中国を念頭に置いた「自由で開かれたインド太平洋」の実現など、安倍の外交路線を踏襲した。

外交はマイナスもプラスもなし

中北は、対中国でのアメリカなどとの協力関係の構築に一定の評価をする一方、外交面での目立った進展はなかったと指摘する。

「コロナがあったから、外国に行ったのはアメリカ、イギリス、東南アジアの3回だけで、ほとんど外交をやる機会がなかった。成果は対中国で協力関係をきちんと確認するということはあったと思うが、菅総理らしい政策として出てきたわけでは必ずしもない。韓国の問題も、安倍政権末期のところで引っかかってしまい、ロシアも同じくで、なかなか難しかったわけだが、マイナスもなければプラスもなかったというところではないか」

2021年6月 ワクチン接種100万回達成

新型コロナ対策が後手に回っているという批判も浴びた中で、菅が対策の切り札として期待をかけていたのがワクチン接種の加速化だ。
1日100万回の接種を掲げ、6月24日、政府は、その目標を達成したと発表した。

総理が旗を振った成果

中北は、当初示していた供給量の見通しなどについては検証が必要としつつも、政治主導で接種を進めたことは高く評価できるとした。

「当初、『1日100万回なんて、できるわけがない』と、みんな思っていた中で、それを超えて実現してきたことは、菅総理が相当なリスクを負って旗を振った成果だというのは間違いないのではないか。批判もあるかもしれないが、『功』の部分として率直に認めるべきで、それがなければ、たぶん、今、デルタ株の感染が広がっている中でもっと悲惨な状況になっていたと思う」

2021年7月 東京五輪の無観客開催を決定

感染が拡大する中での東京オリンピック・パラリンピックの開催には、国内でも賛否が分かれる状況となっていた。
東京に4回目の緊急事態宣言の発出を決めた7月8日、IOCや東京都、政府などの5者は、東京オリンピックは、ほとんどの会場で観客を入れずに開催することを決めた。

評価は難しい…

御厨は、無観客での開催について、今は評価を下すのが難しいと話す。

「無観客でも何でもやり通すことができたこと自体は1つの功績かもしれないし、オリンピックを開いたことによって爆発的にコロナがとんでもない状況になったわけではないので評価は少し難しい。特にパラリンピックは観客がその場で見て、ある種の感動をするものだ。そういうことを含めて評価というのは、もう少し後にならないとできないかもしれない」

2021年8月 横浜市長選挙で敗北

菅内閣は任期中、選挙では苦戦を強いられた。

ことし4月、政権にとって最初の国政選挙となった、衆参あわせて3つの補欠選挙と再選挙では、候補者擁立を見送ったものを含めて全敗。
7月の東京都議会議員選挙では、4年ぶりに第1党となったものの、過去2番目に少ない議席にとどまった。

そして8月、菅のお膝元で行われた横浜市長選挙では、菅が支援した元国家公安委員長の小此木八郎が大差で敗れた。
これが政権の致命傷になったとの指摘も出ている。

コロナで負け続けた

御厨は、敗北の原因として、政権のコロナ対応への国民の不満が通底していたと指摘する。

「4月からの選挙で、とにかく全部負けてしまったが、コロナがうまくいかないという中で選挙があると、与党に物を申そうという人は与党に投票しない。これまで自民党支持であっても今回は嫌だという人が増える。要するに、最後の横浜市長選もそうだけれど、全部コロナの対応がうまくないから負けている」

2021年9月 人事と解散で退陣へ

そして、9月にかけて、菅内閣への遠心力が強まっていった。

自民党総裁選挙への立候補を表明した岸田文雄が党役員の任期の制限を打ち出し、党内の一部には、在任期間が長期化している幹事長の二階俊博を念頭に「二階外し」と受け止められ、評価する声もあった。
これに反応するかのように、菅は二階の交代を含む党役員人事を行う意向を固めるが、これを境に政権の命運は暗転していく。

「菅では衆議院選挙は戦えない」という声も出る中、菅が人事を行ったあと、衆議院を解散し、総裁選挙を先送りするのではないかという見方が一気に広がったことで、みずから「解散できる状況ではない」と火消しに追われる事態となり、事実上、総理大臣の伝家の宝刀である「解散権」を封じられた形となった。

そして、2日後、菅は総裁選挙への立候補断念を表明する。

得意な人事で道を誤った

最後の混乱を2人はどう見たのか。
御厨は得意だったはずの人事が命取りになったと分析する。

「解散する前に人事一新なんてあり得ない。総裁に再選されるのも、衆議院の総選挙で勝つのも、どっちも『これまでの業績をみんなが判断してください』ということなのに、『新しい顔にしましたから、これで私を』というのは…。どう間違えても、あそこで解散をするというのはあり得ない。ずっと持ち続けていた札を最後に全部一挙に手放して、もう解散権もない、人事権もない、何にもできないっていう総理大臣になってしまった」

「あれだけ人事権とか、そういう権限にこだわり、人をコントロールしてきた人が最後に大失敗した。人間は得意な分野で道を誤るというけれど、そうだったんだと思う」

「チーム安倍」との比較

中北は、「チーム安倍」と呼ばれた部下を率いて政策を進めた安倍と、チームをうまく作れなかった菅という対比の観点から分析する。

「菅総理からすると、自分は精いっぱいやっているという思いがあったのかもしれないけれども、客観的には、もう身を引いた方がいいというような状況だった。周りから十分な情報が入らず、希望的観測に流れていたのではないか」

「政策も大切だけれど、それを推進するための力をどうやって持てるか。菅総理自身は、人事を使って官僚を動かすところはうまかったが、そこで止まってしまった。チーム力と国民への訴えかけが弱く、その点をコロナで一番問われてしまった」

派閥経験と自分の言葉という教訓

最後に、菅内閣が果たした役割や残したものは何だったのか、2人に語ってもらった。

御厨は、「派閥とどう向き合うか」、そして「語ることの大切さ」という2つの教訓を残したと指摘する。

「安倍内閣から禅譲され、しかも、派閥がみんな一挙に乗っかって、総裁選挙も簡易な形でやったために本格総裁にならなかった。『本格総裁でなくて禅譲でやっていくという政権っていうのは相当危ない』ということをこれから後の人はたぶん思うだろう。しかも、無派閥でいることがこんなに危ないことはない。一挙に来るけど、最後の所で一挙にみんな逃げたわけだから。派閥政治に戻すのがいいことではないが、ある程度、派閥を経営している、経験しているような能力がないと出来ないというのが菅内閣が残した教訓の1つだと思う」

「同時に、これからの総理大臣は、これだけ情報過多の時代だから、みずからの言葉できちんと国民に訴えなきゃいけない。自分の言葉でしゃべって、自分の言葉で納得してもらうことが、国民との距離を縮めていくことになる。言い方は悪いけれども、菅内閣が反面教師になって、そういう総理大臣の資質みたいなことが出てきている」

安倍・菅政権の功罪直視を

中北も、菅内閣は「党内基盤を持つことの重要性」を教訓として残したと指摘した上で、今後は安倍政権と菅政権の功罪を直視する党内議論が必要だと指摘する。

「政権運営上はチーム力が不足していたという問題を直視しないといけないと思う。党内基盤が固い政治家を総理に押し上げるシステムをどうやって自民党が作れるか、そのために1つは今回のようにうんと激しい総裁選挙をやらないといけなかった。激しい総裁選挙の中でチームも出来てくる」

「菅総理がああいう形で辞めた結果、総裁選挙で候補者がたくさん出てきて、言いたいことが言える状態になっている。自民党にとっては望ましい状況が出来た中で、どれだけ安倍政権と菅政権の功罪を直視し、消化できるのかという議論はあってしかるべきではないか」

“功罪”を教訓として生かせるか

両氏のインタビューを進めると、いくつかの指摘が重なっていることに気付いた。
説明や発信のしかたで国民との距離を生んでしまったこと、党内にしっかりした支持基盤があることが政権運営には決定的に重要だという教訓を残したことなどだ。
「コロナ対策は誰がやっても上手くいかない」
そんな声が政府与党からよく聞かれたが、次の内閣も、当然、新型コロナ対策に向き合うことになる。

菅内閣の“功罪”を教訓として生かすことができるのかも、新しい総理大臣に問われていると言えそうだ。
(文中敬称略)

政治部記者
花岡 伸行
2006年入局。秋田局を経て11年に政治部。その後、函館局を経て再び政治部に。19年8月からは官邸クラブに所属。菅内閣の取材では、官房長官番を担当。